122 幾分か爽やかな朝③






「これは持論なのだが」


部屋の隅に座っていた赤髪の女騎士が、軽く飲み物で唇を湿らせる。


「貴公子が好む女性。それには、3つの条件がある」


その部屋では、侍女たちが輸送するものの目録を作る作業をしていた。そのうちの一人、豊かな胸を書台の上に乗せて作業をしていた侍女が、濃緑の瞳をまたたかせて興味深そうに顔をあげた。というのも、彼女は貴族の恋愛というものにいたく惹かれていたからだ。


赤髪の女騎士は、聴者に反応があったことに気分を良くし、冷たい果実水の入った銅杯を再び傾けてから、言葉を続ける。


「ひとつは顔。身も蓋もないが、貴公子といえども中身は普通の男。やはり美女は醜女よりも好まれる。ふたつには世俗の力。具体的には、富と権力と名声だ。貴族はやはりここにこだわる。そしてみっつめだがーー」


「みっつめはーー」


末尾の言葉を繰り返し、期待にぎゅっと胸元でふたつの拳を握りしめる、豊かな胸の侍女。


「貴公子は、予想外のことをする女に弱い」


赤髪の女騎士の言葉に、話を聞いていた侍女は、雷で撃たれたかのように、はっとして目を見開いた。


「た、確かにーー! 人気の恋愛小説『花咲く恋の学園物語』、通称『花学』の1巻で、学院の貴公子が、みんなを驚かせるようなことをしでかした主人公の女性を、『面白い女だな』って評するんです。そして、そこから二人の恋が始まるんです!」


「だろう? 創作は現実の影だ。貴公子は相手に言うことを聞かせることに慣れている。かしづかれることに慣れきってしまっている。だから、思い通りにならない、予想外の行動をする女性が目の前に現れれば、惹かれてしまうのは道理さ」


赤髪の女騎士が、銅杯で聴者の侍女を指すようにして言えば、侍女は豊かな胸を揺らして、大きく三度、首を縦に振った。


「私たちのご主君は、みっつの条件にばっちりと当てはまります。貴公子がたに追いかけられるのに、相応しい方なのですね」


「違いないな」くっと赤髪の女騎士は銅杯の残りを飲み干した。


「ああ・・・。これからリュミフォンセ様は、貴公子がたとの熱い恋に、胸を焦がしていくのですね・・・くぅ〜〜!」


陶然としながら豊かな胸を押さえ、聴者の侍女は空をみるように天井を仰ぎ見る。


ふたりの話を、同じ部屋にいる侍女のふたりが黙って書き仕事をしながら耳を傾けていた。栗色の髪の侍女と、糸目の侍女。侍女ふたりは目を合わせると、わずかな間、手を止めた。


「それは・・・」「どうでしょうねぇ」


そして肩をすくめ合うと、作業へ戻っていくのだった。





■□■





朝食を終えたわたしたちは、それぞれ宿の部屋に戻り、宿の玄関で落ち合って、『クロネ村近くの枯れ谷』へ向かうことになった。短い旅のための準備をする必要がある。


サフィの持ってきた行李の中には、必要な衣類やお金だけでなく、収納を圧縮できる魔法袋も入っていた。気の利くチェセに感謝しつつ、わたしは下着や衣類、お金など必要なものを魔法袋に入れていく。水・・・はともかく、食料は村を出る途中で買うことになるだろう。


早ければ日帰り、長くても一泊なので、荷物は少ない。必要そうなものを入れ終えると、わたしは行李の蓋を閉める。


無言の表情しか見せない行李の蓋の模様を眺めると、サフィが持ってきてくれたチェセの手紙を思い出す。その短い中身は、こうだ。



『今回の王城での一件は、侍女頭である私チェセから公爵様へご報告しておきます。また、落ち合う予定の街ヴィエナには、公爵様とラディア様にもお越しいただくようお願いしておきます。そのときはリュミフォンセ様御本人から、状況のご説明をお願いします。

 追伸ーー私たちは常に主君の正義とともにあります。どうかご自分の高き道を進まれますよう』


・・・チェセはわたしに全幅の信頼を寄せてくれている。


それが嬉しくもあり、重い。なんといっても自分はそんなにたいそうな人間ではないからだ。


王城での一件も上手にさばくことができなかった。これから多くの人に迷惑をかけるだろう。けれどそれはわたしが選んだことで、その後始末もわたし自身がすることをーー皆が望んでいるのだろう。


お祖父様への報告も、起こったことだけではなくて、これからどうすべきか、どうしたいのかまでを含めて、わたしから説明をする必要があるだろう。


なのに、わたしは自分の気持ちも、どうしたいかもよくわからない。婚約者候補は皆さん立派な素晴らしい人達だけど、結婚したいかと言われると、何も思い浮かばない。いや、貴族の結婚はは恋ではなく打算でも良いのだけれど、選択によって悲しむ人が居て、失うものがあるのだということがわかってくると、選ぶのが怖くなってくる。


ダメだ。こんな弱い気持ちでは、正しい道は選べない。


わたしは自分で両頬を叩いて、気合を入れる。


まずは身近なものからやっていく。さしあたっては、シノンをきっちりと家に送り届けてあげねば。道が見えないときは、とにかくできることをこなしていくのだ。


ふんすと気合を入れ直して。


見た目はぺしゃんこな魔法袋を背中に背負い、わたしはバウとサフィリアを伴って、階下に降りていくことにした。



宿から出てみると、シノンといーちゃん、そしてメアリさんが既に待っていた。メアリさんは待ち時間に佇む姿も端正だ。


自分は侍女メイドだという意識からだろう。メアリさんの服は、特注のお仕着せメイド服に、よく見ると武装がつけられているという、見た目と機能性を両立させた服装だった。きっと動きやすくもあるのだろう。ケープのような、フード付きの柔らかな素材の短外套が可愛らしい。


「いまルークが、騎走鳥獣ウリッシュ車を回してきてくれていますから、少しお待ちください」


「ええ、ありがとう。メアリたちは、ウリッシュ車で旅をしているの?」


「いまはそうですが、移動手段はいろいろですね。でも徒歩が一番多いような気がします。このウリッシュ車は、この宿のご主人がご好意で貸し出してくれているものなので」


ふうん。さすが勇者。勇者は地方に行くとこういう好意や寄付を多く受けたりすると聞くけれど、こうして目の当たりにするとちょっと感動する。過去の事例をさかのぼれば、勇者に入れ込んだ貴族が、自分の娘と結婚させて領地の統治権ごと譲り渡そうとしたりすることもあったらしい。


朝陽も昇って少しずつ南の空へと向かっていく。時刻は9時を回っただろうか。宿は村の大通りに面していて、付近の人通りも繁くなる。村とはいえ、さすがに王都に近いだけあって、道はところどころ石畳が張られていて、道行く人の動きはどこか都びている。ここは、村というよりも、小さな街だと捉えたほうがよさそうだ。


「けれど、こうしてメアリと冒険の旅に出ることになるなんて。おかしなめぐり合わせね」


わたしが言うと、メアリさんは目をまたたかせて、そしてふわりと笑う。


「ふふ。そうですね、お屋敷にいたときは、こんなに長いあいだに旅をすることになるなんて、思いませんでした。そして、リュミィ様と一緒に旅をすることになるだなんて・・・旅は奇縁、不思議なものです」


「旅は奇縁・・・本当にそうね。旅に出れば、思いがけないことが起こるし、思いがけない人に会う。わたしも王都に旅をして、そしてこうしてメアリと一緒に旅をすることになるのだから。わからないものね」


そんな他愛もない話をしていると、純白のウリッシュが二騎、競うようにして駆けてくるのが見えた。何かと思う前に、その二騎はこちらへと向かっている。騎上の人には、見覚えがあった。


あれって・・・ヴィクト様とオーギュ様じゃない? どうしてこんなところに?


後ろで控えていたサフィリアが、ここだと合図をするように手をあげた。えっ、なに?


ウリッシュは速い。それ以上に何かを想う前に、二騎はわたしの前で音を立てて急制動した。地面が蹴爪にひっかかれて、土煙があがる。シノンがびくりと怯え、メアリさんは鷹揚さを崩さないものの、警戒をわずかに上げた。


ウリッシュに騎乗していた二人が降りて、わたしの前にやってくる。それぞれの戸惑うような微笑みがチャーミングだと言う女性もいるだろうと思う。


第二王子のオーギュ様と辺境伯子のヴィクト様は、挨拶もそこそこに、わたしに言い募る。


「リュミフォンセ様。お迎えにあがりました。問題はすべて解決しています。さあ、王都へ戻りましょう。私が付き添いしましょう」とオーギュ様。


「いえいえ。王都になど戻る必要はありません。リュミフォンセ様は、ご自身の想いを貫かれるべきなのです。私がヴィエナまでの旅をお助けしましょう」とヴィクト様。


ふ・・・ふたりとも言っていることが正反対なんだけど?


そして、ちょうどそのとき、勇者ルークが、宿の厩舎のほうから、ウリッシュ車を操ってやってきた。


「あれ? リュミフォンセ様の仲間の人ですか? その人たちも一緒に行くッスか?」


空気を読まない、のんびりとした声。


戸惑うわたしには、逆にそれがありがたかったりするけど。


ルークが操るウリッシュ車の車輪が、からからと軽い音を立てて回っている。








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