109 王城夜会 第二王子と①




(ほお・・・なんとも可憐な)(緊張されているのか。憂い顔も美しい)


入り口の緞帳をくぐり抜けた先は、きらびやかな世界ーーではない。少なめに数を絞られた蝋燭の灯りは意図的なものだ。星の河のように輝く魔法銀粉を散りばめた天井。壁にはめ込まれた黒い漆塗りと金の蒔絵の壁飾りが暖色の灯りに妖しく輝く。夜の闇を活かした演出の部屋だ。


夜会の会場は、『黒と始原の間』。100人は入れる大きな部屋だ。


黒とは神秘的な夜闇を室内に演出するための部屋の装飾を指し、そして始原とは、部屋の中央に飾られた絵に由来している。翼を持った天使が、剣を持った若者を導くモチーフの絵。剣を持った若者は初代アクウィ王国の王。彼は天使に導かれ、戦乱を収めて王となる。これはアクウィ王国の始まりの物語の一幕なのだ。


(けぶるような灰色の瞳・・・幻想的でいらっしゃる)(お召ものも、髪飾りも素敵だわ!)


会場にほのかに流れる洋琴ピャノの音。夜会に集まっていた貴族たち、軽く目礼しながら人と軽食と飲み物が乗ったテーブルの間を通り、わたしは目当ての人のもとに向かう。


その人はこの夜会の主催者にふさわしく多くの人に囲まれていたが、わたしを見つけると、ありがたいことに、人垣を抜けるようにしてこちらに向かって来てくれた。


お互いにぶつかる二歩手前でわたしは立ち止まり。なるべく優雅に見えるように、ドレスをつまんで裾をあげ、淑女の礼をする。


「本日はこのような素晴らしい場にお招きいただき、ありがとうございます。オーギュ王子」


暖色の光に輝く金髪に、薄闇に淡く浮かぶ碧眼。第二王子のオーギュ様は、綺麗な笑顔を浮かべて、歓迎を示すように両手を広げて迎えてくれた。


「これはこれは。いまをときめく一代公にご足労いただき、光栄の至り。今宵は退屈せぬよう趣向を凝らしていますので、ぜひ最後までお楽しみください」


「ふふっ、それは楽しみですわ。どのような仕掛けがあるのです?」


「そうですね、本当は一代公を驚かせたいので秘密なのですが・・・。美しい夜景と素晴らしい音楽の共演・・・とだけ申し上げておきましょうか。

それから、飛び入りで東部のさる貴族が珍しいものを参列の客に見せるそうです。詳細は私にも知らされていませんが、相当な自信でした。その自信相応に、珍しいものだと良いのですが」


「まあ、オーギュ王子でもご存知ないのですか? それは楽しみですね」


「本来、主催者である私はすべてを把握しておくべきなのですが・・・。突発的なことにも対応するのも役目ですからね。何が起こっても対応できるように、準備はしていますよ。

・・・ところで、お互いに肩書で呼ぶのは、やめにしませんか。この場では、少し堅苦し過ぎる・・・ように思います。んんっ。どうです?」


「そうですね・・・では、オーギュ様。このようにお呼びすればよろしいでしょうか?」


「んんっ、大変結構だと思います・・・。・・・。リュミフォンセ様」


「はい」


呼びかけれれたので、わたしは答えて微笑んでみせる。でもオーギュ様は、真顔になっちゃったよ。


「んん・・・リュミフォンセ様とは、お話をする機会を持ちたいと思っていました。この機会にぜひ、いろいろとお話をしたいと思っています」


お互い婚約者候補だし、王太子になれるかどうかが、結婚によって変わってくるなら、意見をすり合わせしておく必要はあるよね。なのでわたしは頷いた。


「そうですね、ぜひ。でもオーギュ様は夜会の主催者ですから、いろいろとお忙しいのでは?」


「実はそうなのです。ですから少し時間を調整させてもらいたい・・・夜会が半分を過ぎたあとに、んんっ、貴女のところに伺います。・・・ご承諾いただけますか?」


なんだか動きがぎこちないオーギュ様。緊張している? まさかね・・・。西部では見ないお洒落な夜会。さすが王都という感じだけど、こういう場にも慣れているだろうし。オーギュ様が通う学院は共学だと聞くから、女性に慣れていないということもないだろうし。


音楽が変わって、女性の低い、けれど情熱的なハミングが響く。会の始まりが近いみたいで、会場の温度が一段上がり、熱のこもった空気が漂う。


「はい、わかりまし・・・」

「もーっ、会長! お話、長いですよっ!」


おおぅ。


どんっ、とぶつかるような勢いで、ひとりの令嬢がオーギュ様の腕に抱きついてきた。黒色にフリルのついた長いリボンで髪をまとめていて、見た目はオーギュ様と同じくらいの年ーー17,18歳というところだろうか。髪の色は黒・・・ではなく茶色のように見える。ドレスは濃い赤のレースで肩がでる形だ。可愛らしいのに落ち着きと品があるデザインだ。


驚いたのと状況を把握するために、わたしは言葉を止めて、成り行きを見守る。


「マルグもシドも、向こうで待ってますよぅ。運営が一人じゃ大変だからって、学院生徒会を夜会に借り出したのは会長じゃないですかぁ。それにお話が長いと、お相手の方だって困っちゃいますよう! ねぇ?」


「こら、ポーリーヌ書記。失礼だろう。慎みたまえ」


「またオーギュ会長はそんなお澄まししちゃって。お相手の方は・・・あら。ものすごく綺麗な。えこひいきは良くないと思いまーす。会長」


ポーリーヌと呼ばれたリボンの令嬢は、わたしを一瞬だけ見て、そしてオーギュ様の腕をさらに強く抱いてみせる。


「いい加減にやめるんだポーリーヌ。この人は・・・」


「ええ、存じておりますよ。お会いしたのは初めてですけれど、お名前を当ててみせましょうか?」


そしてポーリーヌ嬢は、再びわたしのほうを向く。視線がわたしのつま先から頭の先まで走る。まるで値踏みするように。


「『深森の淑女ドラフォレット』リュミフォンセ様ですね? ロンファーレンス家の」


名前を言い当てられたけれど、友好的な雰囲気とは言えない。わたしは警戒しながら口を開く。


「ええ、そうです。お見知りおきを。それで、貴女はーー」


これは申し遅れました、とポーリーヌ嬢は白々しい声で頭をさげる。


わたくし、ポーリーヌ=ポタジュネットと申します。オーギュ様とは、学院の生徒会で一緒に活動させてもらっています」


ポタジュネットーー東部の公爵家の名だ。わたしは小さく息を飲む。その一方で、ポーリーヌ嬢は言葉を続ける。


「それから、第一王子の妃であるディアヌは、私の姉。なので私も王族で、オーギュ様の婚約者候補なんです」


「・・・!」


ーーポタジュネット家は、負けません。そのためにいくつも策を巡らせているーー今夜だって


先程まで一緒にいた、ディアヌ様の言葉が脳裏に蘇る。


王権に近づくために、ポタジュネット家として動いているのだ。ディアヌ様だけが動いているわけがない。こんな風に、親族に同じ歳周りの娘がいるのならば、その娘を第二王子に近づけることは、なんでもない。当たり前のことだ。


同じ学院に入学して、王子と早くから心の距離を近づけておいて、婚約者として選ばれやすい土壌を作っておく。普通に思いつくことだろう。


むしろ、王子にわたし以外の婚約者候補がいると知りながら、それをろくに頭に入れておかないわたしに落ち度があるだろう。


とはいえ、それはそれとして、この場を切り抜けなければならない。


わたしは小さく頭をさげる。


「お会いしたのが初めてであったとは言え、ご挨拶が遅れて失礼致しました、ポーリーヌ様。改めまして、リュミフォンセ=ラ=ロンファーレンス=リンゲンでございます。若輩者ではありますが、よろしくお願い致します。

・・・さきほど、ディアヌ様にもご挨拶させていただきましたわ」


わたしからディアヌ様の名前を出したことに驚いたのか、ポーリーヌ嬢は一瞬言葉をつまらせたが、次の瞬間にはつんと可愛らしい鼻先を上に向けていた。


「そう。それは結構ね。姉さまとセブール様とはご結婚されて2年が経っているし、私もオーギュ様と学院で5年もご一緒させてもらっているの。舞踏会にあとから遅れてきても、もう席が残っていないのではなくて?」


舞踏会とは、婚約者レースの比喩だ。あとから婚約者レースに参加してきた、新参者のわたしにあてこすっているのだ。


「まあ。席と縁とは違いますわ。席は人が決められますけれど、縁は神さまが決められますからーー。人と人との縁は不思議なもので、過ごす時間の長さだけでは決まりません」


とっさに言い返したわたしだったけれど、わたしの言葉に反応したのは、ポーリーヌ様よりもむしろオーギュ様だったように思う。はっとした表情で、わたしを見ている。


ポーリーヌ嬢は柳眉を寄せて、わたしを見る。


「ずいぶんと自信がお有りになるのね。それとも、もう王冠クーウニーを手に入れたつもりなのかしら?」


「そのようなつもりはありません。人の縁の不思議さをお話したかっただけですわ」


「ひとつ教えておいてあげるわ。慎みは淑女の装飾よ。特に離れた土地では謙虚に振る舞うべきね・・・さ、参りましょう、オーギュ様。オーギュ様に指示してもらわないといけないことが山積みで、裏方ははてんやわんやなんです」


てんやわんやってなんか可愛いな・・・とまったく関係ないことを思いながら、わたしはポーリーヌ嬢に引っ張られていくオーギュ様を見送る。


腕を掴まれたまま引っ張られていくオーギュ様は後ろをーーつまりわたしのほうを向き、声は出さず口だけを動かした。


(あ・と・で・あ・お・う)


そういうかたちに、口が動いたように思えた。






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