102 狩り 一本欅の下で②





「驚いた。騎乗が本当にお上手ですね」


目指す一本欅の木陰の下、先に到着した彼が余裕綽々で言った。


丘の上の一本欅ゼグバまでの、白い騎走鳥獣ウリッシュによる駆けっこは、辺境伯子のヴィクト様の勝ちだった。わたしは遅れて到着し、ウリッシュの足を痛めないよう急に止まることはせず、歩足を緩めて輪乗りする。


「からかわないでください。ヴィクト様のほうが早かったではないですか」


ヴィクト様の騎乗は本当に上手だった。駆けっこの途中で、速度をわざと緩めてわたしに並び、様子を見てまた前へ飛び出すほどの余裕があった。


わたしがむくれるように言うと、ヴィクト様は鋭い碧眼を一瞬意外そうに丸くした。


「私は軍人で、騎乗は本職ですから。しかし・・・そうですね。貴女の言う通りですね。高慢でした。非礼は謝ります」


「受け入れましょう。ヴィクト様こそ、見事なお手並でした」


わたしがそう言うと、彼は後ろに流している黒髪を掌の腹で撫で付けて、少しきまり悪そうに吹き出した。わたしも微笑みを返す。


「鞍の前に乗せているのは、仔狼ですか? ずいぶんと可愛らしい護衛シュヴァリエで。揺れる背中に載せられていたはずなのに静かですね。賢いのか、おとなしいのか・・・おっと」


ヴィクト様が仔狼に触ろうとした手を伸ばしたが、バウが牙を向いて威嚇をしたので、慌てて手をひっこめた。わたしはこれとバウの頭をぺしりと軽くはたいて叱る。


「だいじょうぶでしたか?」


わたしが聞くと、ヴィクト様は伸ばしたほうの手を抑え、ひどく珍しいものをみたという表情をしていた。


バウの牙が届いて怪我をさせてしまったかと、わたしはどきりとしたけれど、続けられた彼の言葉にもっとびっくりした。


「この気配・・・驚いた。今日は本当に驚いてばかりですが、この仔狼は、精霊ーーいや、その眷属ですか?」


「わかるのですか?」


それではもう答えを言っているようなものだったけれど、反射的に出てしまった言葉は取り消しようもない。もちろん回答はもっと考えるべきだった。


「ええ。・・・私は、『精霊使い』なのです」


そう言って、ヴィクト様は服の袖をまくって見せた。その下には、宝玉が付いた宝具籠手ガントレットがつけられていた。宝玉のなかには、紺と青の輝きが、まるで炎のように揺らめいていた。


その宝具籠手からは、紺色と青色の強い魂力エテルナを感じた。


「出ておいで・・・『解放リベラシオン』」


ヴィクト様が籠手をひと撫ですると、2つの宝玉の輝きが大きくなり、ふたつの光が飛び出した。

発光しているそれは、半実体の紺色のフクロウのような氷精霊と、青色の小さいキツネのような水精霊だった。それぞれ宙に漂い、まるで甘えるようにヴィクト様の周りをまわっている。


これが精霊・・・! それっぽくてすごく可愛い・・・!


「こちらの氷精霊がミネバ。こちらの水精霊がカル、と言います。さあ君たち、ご挨拶を」


キュイキュイ、ケンケンと人間の言葉とは違う音が耳に届く。どうやらこれがご挨拶らしい。わたしは、はじめましてと返す。


2体の精霊は、わたしの周りをまわり、そして体を擦り付けるようにして甘えてきた。


「ふふふ。よろしくね」


2体の精霊はバウに向かってもひとなきし、それで用事が済んだとみたのか、ヴィクト様の宝具籠手に戻っていった。


「我がアブズブール辺境伯家の当主は、あまり表向きにはしていませんが、代々精霊使いであるのです。


幼い頃に『黒い森』で精霊を授かり、それから精霊とともに育ち、絆をはぐくみます。主人である人間と精霊は相互に干渉しあっていて、絆の強さが、行使できる魂力の強さに直結します。じっさい、彼女たちには、魔王軍の戦場でも助けられました」


そう語りながら、宝具籠手を眺めるヴィクト様の瞳はとても優しいものだった。彼は籠手を最後にひと撫ですると、めくっていた袖を丁寧な手つきで戻した。


「私の持論ですが、主人である者の心根が、従う精霊の強さに強く関係します。主人が澄んだ心であるほど、良い精霊が付き、その精霊の力が引き出せるのです。・・・常時実体を保つほどの精霊の眷属を従えるリュミフォンセ様も、きっと素晴らしい心の持ち主なのだろうと思います」


「まあ。・・・買いかぶりだと思います」


わたしが言うと、ヴィクト様は首を横に振った。


「初めて会ったのに何を言っているのかと、お思いかも知れませんが・・・、悪い人間に、ミネバとカルがあれほど懐くはずもありません。2人は、普段はそれなりに気難しいのですよ」


「そうなのですか。わたしは、特別に人懐っこい精霊なのかと思いました」


ヴィクト様が冗談を言っているのかと思えど、表情を見るに、そうではないらしい。


「ええーー精霊が人を見る目はたしかです。ですから貴女はーーその、姿かたちだけでなく、内面も素晴らしい方なのだと、そう思います」


「まあーー」


わたしははにかむように微笑む。というよりも、直截な賛辞が少し恥ずかしい。横座りしている鞍に、なんとなく座り直す。


そして、ヴィクト様は何かを決意したように、真剣な瞳をこちらを向けた。


「リュミフォンセ様」


「・・・はい」


初夏の空、一本欅の木陰を風が通り抜ける。それでもぴぃんと張った空気が動かず残ったように感じた。


「リュミフォンセ様、私は・・・第一王子のようにうまく言うことはできませんが、私もーー、私も、貴女をめとりたいと思っています。

許嫁いいなずけ候補として姿絵をいただいて以来、ずっと貴女の姿をに描いていました。しかし、実際にこうしてお会いして、実物の貴女は、それをはるかに越えていた。ずっと素晴らしい女性ひとでした。

ーー私の妻になってください。リュミフォンセ様」


「ーーーー・・・・・・」


初めてお会いしたけれど、ヴィクト様が悪い人ではないのは、この短い時間でもわかった。むしろ素敵な人なのだろう。けれど、申し出られたことは、すぐにこの場で答えられることでもなかった。


そのとき、鳴り物の音が遠くからにわかに聞こえてきた。わっと叫び声があがり、見れば大勢が騎乗して駈けているのがわかる。獲物を追い立てる勢子がようやく獣を追々ここに至り、狩りが始まったのだ。


ヴィクト様もそれに気づき、わたしから視線を外し、叫び声が響く方を一瞥した。そして、彼が手綱を引くと、純白の騎走鳥獣ウリッシュがきゅるるといなないて、体を反転した。


「勝手ですが、伝えたいことは、言いましたーー。返事は、またいずれに。今日は、一番の獲物を射止め、貴女に献上します」


そうしてヴィクト様は、ひとつ掛け声とともに拍車を入れると、騎走鳥獣が駆け出し、あっという間に遠ざかっていく。


緑の丘を純白の騎走鳥獣が滑るようにくだり、騎乗の美丈夫は、揺れる騎乗で手綱を口に咥えて、両手を空けると、取り出した弓に矢をつがえてつつ器用に騎走鳥獣を操り、狩りの集団に混じり、獲物を追い始めた。


その物語のような光景を、わたしは一本欅の丘の上から見送っていた。








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