101 狩り 一本欅の下で①




「リュミフォンセ様。すこし日差しが強くなって参りました。帽子をどうぞ」


王都の郊外の森。


狩りはまだ続いている・・・というか、始まっていない。勢子たちがここまで獲物を追ってくるのを待っているのだ。まだ獲物を追う声や鳴り物は遠く、ぼんやりと風に乗って聞こえてくる程度だ。


幔幕の隙間から見える、騎乗で時間を待つ男性陣。その向こうに、遠く緑の丘の見事な一本欅ゼグバが見えた。


そしてわたしは女性陣のなかに混じって、お喋りを続けている。そこに、チェセが深緑色の帽子を持ってきてくれた。どうもわたしのイメージカラーを、この色にしたいようだ。


つば広で鮮やかな花飾りが付いた帽子をわたしに手渡しながら、チェセはそっとわたしに耳打ちする。


(うわの空ですよ。お気をつけくださいませ)


受け取った帽子で口元を隠しながら、小さく、ごめんなさいとつげる。昨晩までの伯母様との話し合いのことが、ずっと頭を巡ってしまっていた。


そのあいだもお喋りを頑張ったつもりだったけれど、外からみたら、気が入っていないのがまるわかりだったのかも知れない。


チェセはがんばってくださいと小さく囁いて去っていく。そして彼女とすれ違うようにして、仔狼姿のバウが、わたしの足元へと駆け寄ってきた。


短い手足でとてちとてちと駆けるさまは、あざといけど可愛らしい。


「あら・・・子犬シヤン? 仔狼ロウプ? 可愛らしいわ」

「森から出てきたのかしら。こんなところにいると獲物と間違えられてしまってよ」

「いえ、ずいぶんと人に馴れているわ。どなたかが飼われているのでは?」


「この子は、わたしが飼っておりますの。仔狼ロウプです」


わたしは身をかがめて、駆け寄ってきたバウの顔を、ひと撫でする。いつもどおり、つやつやとした黒い毛皮だ。


バウは騒ぐ令嬢たちには目もくれず、わたしの足元、彼女たちからは手が届かない場所に伏せると、目を閉じてしまった。恥ずかしがり屋で、と言い訳するわたしだけれど、わたしの周りの令嬢たちは、可愛い仔狼を見て、きゃいきゃいと楽しそうに騒いでいた。


そこへ、別のところから黄色い声があがるのが聞こえる。なにごとかと思い下品にならない程度に首を巡らせると、ひそひそと噂をする淑女たちの声が聞こえてくる。


「主催者のヴィクト様がいらっしゃったわよ」「精悍なお姿ね・・・素敵」

「北部では魔王軍との戦場を駆け回っていたそうよ。若き英雄様よ」


主催者である辺境伯子ヴィクト様が伴う男性陣1団が、女性陣のところに挨拶にまわってきたようだ。1団は数人ずつの人数に分かれ、女性陣のテーブルに挨拶しにまわりはじめた。


蝶とみまごうばかりの女性たちの美しい髪と飾りの群れから、軍衣を着た男性の肩から上がにょっきりと出て見える。


姿絵通りの、黒髪碧眼。あれがヴィクト様だ。呼びかけられれば誠実に頭を下げて言葉を交わしながら、端のほうから順々にテーブルをまわっている。


そして彼は、わたしのいるテーブルまで来た。


「ようこそ淑女の皆様。本日は私が主催する狩りにお越しいただき、誠に光栄の至りです。ご不自由な点はありませんか? どうぞごゆっくりと楽しんでいってください」


彼は胸に手を当て、慇懃に礼をする。ひとつの所作が機敏だ。


同じテーブルの皆が次々に立ち上がり、挨拶を返す。


そして、わたしの番だ。


「はじめまして。リュミフォンセ=ラ=ロンファーレンス=リンゲンです。本日はこのような素晴らしい場に招いてくださり、ありがとうございます」


「はじめまして、一代公。ヴィクト=アブズブールと申します。いまをときめく深森の淑女ドラフォレットにお目にかかれて、光栄です」


鋭い碧眼の視線を受け、わたしは微笑みを返す。そのあと二、三言を交わし、そして、ヴィクト様はこう言った。


「ははは・・・ところで、リュミフォンセ様は騎走鳥獣ウリッシュにお乗りになられると聞きました。実は北部はウリッシュの産地でして。最近、素晴らしいウリッシュを育てることができ、この狩りに連れてきているのですよ。・・・よろしければご覧になりませんか?」


えーっと・・・。ウリッシュを見るということは、この場から動く必要があるということで・・・。お誘いということだよね? わたし、王子じゃなくて、辺境伯子についていっても良かったんだっけ?


すすす、と視線だけを動かして、助けを求めて侍女レディーズメイドたちが控える幔幕の隅を見る。そこにはレーゼとチェセが。


(行け! 進めアヴァンス! 顧みるな!)


という雰囲気と視線を感じたので、わたしはすすすと視線を戻し、にっこりと微笑む。


「ええ、ぜひ」




■□■




ふむ。なるほど、これは素晴らしい子ですね。


11歳から騎走鳥獣ウリッシュに乗ってきたわたしである。必要に迫られ、出張のときに今も良く乗っている。騎乗の達人でもあるアセレアの指導を受けているので、自然と技術と知識が身についた。


辺境伯子、ヴィクト様に案内された先には、二頭の、真っ白なウリッシュがいた。体とくちばしが大きく、堂々としている。純白の羽色と羽艶が美しく、足をみれば長く、それでいて蹴爪が力強い。目を見ると気性がわかるというけれど、闘争心が強そうなのに、それを穏やかな気性で包み込んでいるのが素晴らしい。このあたりは、ヴィクト様の好みだろうか。


二頭には、上質の飾り手綱と鞍が載せられている。といっても実用に用いていることは道具のわずかな擦れ具合から明らかだった。


わたしがくちばしを鼻のあたりから先のほうに向かって撫でてやると、くるる、くるるとくすぐったそうに喉を鳴らす。うん、良い子だ。


「ーー本当に、お好きなのですね。扱いに慣れていらっしゃる」


「気性の安定したいい子ですね。初めての人にも臆しない」


ウリッシュのくちばしを撫でながらちらりと横を見ると、ヴィクト様と目が合った。お互いに微笑みを交わす。


そこは小さな空き地のような空間で、2頭のウリッシュが木に繋がれていた。辺境伯子はさきほどまで居た供がそれとなく距離をおいて離れ、わたしも連れているのは仔狼のバウだけである。男性陣と女性陣からは見える位置だし、大声を出せば会話は筒抜けになるような場所だが、ふたりきりと言えばいえなくもないーー微妙な感じだ。


「気に入っていただいたようでなによりです。そのウリッシュは、気性だけでなく、走りは静かなのに力強く早い。見た目も鮮やかな純白。北部産の名鳥です・・・どうです、お乗りになってみませんか?」


「えっ、ですが、いま初めてお会いしたばかりで。それは申し訳ないです・・・」


わたしは迷う言葉を口にしている間に、ヴィクト様は木に結ばれていた手綱をほどいてしまった。1頭を切り株の近くに寄せると、彼は、わたしに乗るように促した。くるる、と西部では珍しい純白のウリッシュも、わたしが乗るのを待っているようだ。


「さあ」


促され、わたしはヴィクト様の誘いに乗ることを決めた。


バウを地面から拾い上げ、鞍の前に乗せた。そして、切り株を足場にして、そこからあぶみに足をかけて鞍の上にあがり、横座りする、という手順だ。いつもはアセレアに専用の踏み台を足場を用意してもらうのだけれど、今回はそれが切り株に変わったというだけだ。


「このウリッシュはーー」


ヴィクト様が何かを言いかけた。けれどすでに勢いのついたわたしは、軽く切り株を蹴り、鞍によじのぼるのと同時にあぶみに足をかけ、横座りで腰を鞍のうえにおろすーー。


「とっ!」


どうやら跳躍の高さが足りなかったらしい。ウリッシュの体が大きいのか、足場にした切り株が低かったのかわからないけれど、わたしの体がずるりと鞍から落ちかける。


そこを、力強い手がわたしの腰の脇をがっしりと掴むのを感じた。


その力は、わたしをすっと鞍の上へと運んでくれた。近づいた体温がまた遠ざかる。


ふう、びっくりした。まだどきどきしている。


掴まれたところが、いまもなお熱いような気がする。


ありがとうございます、と助けてくれたヴィクト様にお礼を言うと、


「・・・驚いた。思い切りよく鮮やかに乗られるのですね。あやうく手助けが遅れるところでした」


「まあ。落ちかけてしまいましたのに、鮮やかだなんて、そんな意地悪をおっしゃらないでくださいませ」


わたしが軽く頬を膨らませると、いやいや違うのです、とヴィクト様は手を振った。


「リュミフォンセ様の動きが軽やかで、私が、目を奪われてしまったのです。このウリッシュは鳥格が大きく、普通よりも鞍の位置が高い。先に注意をお伝えしておくべきでした」


ヴィクト様の言葉に、そうなのですか、とわたしは納得する。ジャンプした高さがぎりぎりの微妙なところだったらしい。


「ーーでは、せっかく鞍上の人になったのですから、駆けっこをしてみませんか」


「駆けっこですか?」


「ええ、あの丘の上の木のところまで」


彼が指さした先は、さきほど男性陣の向こうに見えた、丘の上の一本欅ゼグバだった。遠く見えるが、ウリッシュの足であればすぐだろう。


ヴィクト様は、しなやかに体を動かして、あっという間に、もう1頭のウリッシュにまたがってしまった。


「この銅貨を上に向かって弾きます。これが、地面に落ちたときが、合図です」


にっと笑ってみせたヴィクト様の顔。鋭い目つきが和らぎ、なにかいたずらっ子のようで、わたしも思わず笑ってしまう。


そんなふうに油断していると、合図の銅貨が、ぴぃんと青い空に向かって弾かれた。


回転する銅貨が、陽光に煌めいて青空に浮かぶ。









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