100 狩り 王都郊外の森にて②




リュミフォンセ様は、第一王子との結婚と、王妃の座を望まれますか?



そのアセレアの質問は遠くから響いてきて、澱のようにわたしの頭の中に沈んだ。


なんともいえない違和感とーー束縛感が、わたしの動きを拘束する。見えない鎖、呪いのような言葉だとも思った。


空気。くうきが欲しい。


喉の奥の異物感にあえぐようにして、わたしは深呼吸をする。


窓から入る初夏の空気はどちらかというと生暖かく、精神を現実に引き戻すには至らなかった。


王妃。わたしがおうひになり得るだなんてーー。知ってはいたけど、わかってはなかった。それがどんなことを意味して、どんな犠牲を強いて、どんなことをしなくてはならなくなるか。


畏れ多い、というのが、きっとわたしが感じていることだ。


わたしはいまにも震え出しそう手で、チェセが新たに入れてくれたお茶のカップを掴み、なんとかひとくちのお茶を口のなかに流し入れた。そこでようやく、心の奥底、どこにいるのかもわからない動揺が、おとなしくなったような気がした。



「ーーその質問の答え。ぜひわたくしにも聞かせていただきたいものね」


結い上げた豊かなブルネット。形の良い赤い唇。妖しさすらこもる流し目。ラディア伯母様が、休憩を終えて階下の広間に入っていらした。


それまでわたしの周りで意見を交換していたわたしの家臣たちは、ざっとそれぞれの持ち場へと戻り、貴人への礼をとった。


わたくしは冷たいものをお願いね、とご自分の側仕えに飲み物を注文しながら、しずしずと移動し、わたしの斜め向かいの椅子に、ラディア伯母様は腰を下ろした。


そして、あえて、なのだろう。伯母様は、視線をわたしのほうには向けずに、窓の外の庭園へと向けている。


ぴちち・・・と鳥の声が空を横切っていく。


「・・・本当のところ、わたしが王妃だなんて、想像もできないのです」


わたしは、もやもやとした思いのなかで、かたちになった箇所を言葉にした。


「伯母様から、わたしが一部の貴族から小王妃レネットと呼ばれていることを教えてもらいました。けれど、そう呼ばれていると知っても、まるで実感がわきませんでした」


伯母様の反応はない。ただ少し物憂げに庭園を眺めているように見える。けれど、わたしの言葉を聞いてくれている。


「貴族たちの頂点と言われても、ぴんと来ません。わたしは、ただ大事なものとともに、生きていたいだけなのです。お祖父様や、わたしを支えてくれる家臣の皆ーーもちろんラディア伯母様も」


それにバウやサフィリアの精霊たちに、今は勇者一行に加わって、この国のどこかを旅しているメアリさんにーー。わたしがいま大事にしたいものは、すでにある。


「それに、王妃という地位は、どうしても夫のーー王の動きに、翻弄されます。自分の願いを、相手に委ねるのは、なにかーー違う気がして」


わたしがそう言うと、伯母様は、ぷっと吹き出した。


そしてそのまま、忍び笑いを続けている。えっ? なぜ?


「あ、あの、伯母様? どうして笑われていらっしゃるのですか? わたし、特に面白いことを言ったつもりはないのですけれど・・・」


「『大事なものとともに在りたい』『王妃だと王に従わなければいけない』ーー貴女の話だと、『女王にならばなってもいい』ということになるわね」


えっ。


「ち、違います。わたしは、『王妃とならなくても、やりたいことはできる』と言いたかっただけで・・・」


「結婚をすれば、多かれ少なかれ相手に縛られることになるわ。女の立場ならなおさらね。王妃にさえならなければ、たとえ結婚しても、好きにやるつもりだったのかしら」


伯母様の指摘は、意地悪な気がするけれど、思えばそのとおりだ。


「そ、それは・・・。伯母様だって、ご自分の好きにされているじゃないですか」


わたしが拗ねて言うと、伯母様はひとしきり笑って言った。


「そうよ。私はあえて格下の夫と結婚して、政治手腕を磨いて、努力して、根回して。自分の立場を確立してーーそれでようやく、好きにやらせてもらえるようになったの。女の身でね」


その言葉には、揺るぎない自信と自負を感じた。いまのラディア伯母様は、そのまま手に入れた姿ではなく、伯母様自身が努力して苦労して手に入れたものだということが、ひしひしと伝わってきた。


「ロンファーレンス家の公爵位も、手に入れさせてもらったわ。お父様ったら、孫娘の貴女に首ったけだから、貴女に公爵位を譲るなんて突然言い出さないか、ひやひやしてたわ」


「そうだったのですか・・・」


それはきっと伯母様の本音なのだろうと思った。確かに、伯母様への公爵位承継が決まる前は、わたしへの当たりがきつかったように思う。妹であるわたしの母親との仲が悪かったことだけじゃなくて、公爵位の継承も原因だったのか。指摘されてみればもっともなことだ。


「でも、貴女も成長して、いろいろ話ができて、貴女がどういう人間かわかるようになった。それは良かったわ。貴女とわたくしが欲しがるものは、どこか違うしーー。欲しいものは、自分の力で手に入れないと気が済まない種類の人なのね、貴女は」


「・・・・・・」


「けれど、欲しいものは徹底的に求める・・・『あの子』も含めて、ロンファーレンスの女は、そういうものかも知れないわ」


ラディア伯母様は頑なに名を呼ばないが、『あの子』とはわたしの母親、ルーナリィのことだ。ラディア伯母様からみれば妹だ。仲は良くなかったらしい。


でも、今の伯母様は、いつもよりも優しい雰囲気だ。『あの子』と言ったときの表情、嫌悪がいつもの半分くらいにとどまっているように思えた。


いまならーー聞けるかも知れない。


「伯母様。『あの子』というのはーールーナリィ・・・お母様のことでしょうか?」


「ええ、そうよ」


言い慣れていない名前なのでつっかえてしまったが、ラディア伯母様はすんなりと認めてくれた。


「わたしのお母様・・・ルーナリィ。どのようなひとだったのでしょう?」


その質問に、ラディア伯母様は苦笑した。


「そういえば、貴女には、ルーナリィの話をしたことはほとんどなかったわね。思えば親が気になる年頃だったでしょうに。貴女が幼いころからしっかりしていたとはいえ、可哀想なことをしたかも知れないわね。とはいえ・・・真実を話したほうがいいのよね?」


「・・・どのような話であれ、受け止める覚悟はできています」


公爵家を出奔した人だ。良く言われているはずもないのは知っている。


ラディア伯母様は、どこから話すべきかしらと呟いて、少しのあいだ虚空を見た。


伯母様の瞳に映るのが懐かしさではなく、どこか諦観めいたものであったのは、気になった。


「ルーナリィはね」


そう言いかけて、ラディア伯母様は、さらに言葉を探すように虚空に視線をさまよわせーー。


「まぁ、どーっしようもないだったわ」


言い切られた伯母様らしくない言葉選びに、わたしが唖然として言葉もないうちに、ラディア伯母様ーーわたしの母の姉は語り始めた。


「ルーナリィは、幼いころから魔法に夢中だったわ。魔法バカアントクシィケと言われて、それがあだ名になるくらいに。


小さい頃も、成長して年頃になっても、ずっと魔法に夢中。それ以外のことは目に入らない、やる気もない。魔法と自分の興味が向くもの以外には、一切関心がないの。だから、家庭教師泣かせでもあったわね。いくら言ってもあの子が課題を一切やらないものだから、何人もの家庭教師が挑んで、そして辞めていったわ」


へ、へぇ・・・。


「あの子は普段はののほんとしているんだけど、行動が過激でね。令嬢らしく綺麗な花を摘みたいと言えば、豪風を起こして花畑を根こそぎにしたり。池に魚がいて、面白いから獲ってみたいと思えば、池ごと蒸発させたり・・・あれは綺麗な蓮花ロタスが咲く池だったのに、本当に惜しいことをしたわ・・・もちろん、次の年は池もそのものが枯れてしまっていたわ」


それは過激だ・・・。


「やがて成長すると、頻繁にお屋敷から抜け出すようになったわ。外に出て、冒険者とつるんで迷宮潜りを覚えたの。魔法が得意なものだから、ロンファの冒険街では、ちょっとした顔だったらしいわ。『令嬢魔法師』なんて呼ばれてね。


ロンファーレンス家の恥だから、どうにかして引き戻そうとしたけれど、あの子はどうしても言うことも聞かない。もう、お父様と私を交えて、毎回喧嘩よ。ーーそして中央貴族との縁談が持ち上がる頃には、あの子は出奔してしまった。『好きな冒険者の男が出来た。もう待てない』と、あの子は言ってね」


そこでラディア伯母様は、懐かしいものを見るように目を細めた。


「空が好きな子でね。お屋敷の窓から、良く見上げていたわ」


『愛する人を追える、体が欲しい。知りたいことを好きなだけ求められる、時間が欲しい。何にも縛られない、自由が欲しい。風になれたら、雲になれたら、星になれたら・・・。どんなにいいかしら』


「これまで好き勝手やっておいて、まだ足りないのかーーと当時は思ったものだけれどね。もともと、あの子ーールーナリィには、貴族社会この世界は狭すぎたのかも知れないわ。南を渡る鳥が、ひとつの木に棲み続けられないように」


「・・・・・・」


そして、先代魔王の子供を身ごもって、生まれたわたしをお祖父様に引き渡し、今に至るとーー。


そういうわけだ。


この世界での母親について聞いたけれど、わたしの心は驚くほどに静かだった。娘だからだろうか。そしてルーナリィに対して、同情や共感のような気持ちは湧いてこなかった。ルーナリィは、いまどこで、何をしているのだろう。もうこの世にはいないかも知れない・・・。


ラディア伯母様は、わたしに優しい目を向けた。


「正直なところね。娘の貴女も、なんじゃないかと疑っていたのよ。つまり、貴族社会の責任と束縛を嫌い、自由を求める型の者なんじゃないかって」


えっ!? そんな風に思われていたんだ!


それはわたしの予想外の角度からの指摘だった。いつもの令嬢力が発揮できず、わたしは、ぽかんと口を開けて、伯母様を見返した。


「でも杞憂だったわね。貴女はルーナリィと比べてーーいえ比べ物にならないくらい優秀だし、自由のために、地位や責任を投げ出したりもしない」


「・・・・・・」


今度はわたしが黙る番だった。


ーー第一王子からの求婚のことを、言われているのだと思った。


そして実際、伯母様は遠回しに、そのことを指摘していた。


「リュミフォンセ。貴女にとって、貴族の殿方とのお付き合いは、経験のないことなのだろうけれど、難しく考えることはないわ。だから逃げる必要はないわよ。・・・まず、第一王子の求婚は、冗談だと思っておきなさい」


「じょうだん、ですか」


それはわたしには予想外の振る舞い方だった。


「第一王子は宮廷巧者。だから田舎から出てきた娘を、一流の冗句でからかったのだーーと。そう理解しておきなさい。そして、誰かから説明を求められても、そう話しておきなさい」


「はい」


わたしは素直に頷く。


「ロンファーレンス家としては、第一王子を貴女の結婚相手とするには、消極的にならざるを得ないわね。今回のようなとんでもない行動で周囲に迷惑を振りまく人間を王に戴いて、さらに親族としてやっていくのはいささか骨が折れるわ。なので、当初の予定どおり、他の婚約者と接点を持って、相手を見定める」


「はい」


貴族社会での人間あしらいが得手のラディア伯母様に言い切られると、わたしの迷いもなくなる。


「貴女が、第一王子に惹かれているかどうかは知らないけれどーーどのみち素直になびくようだと女の価値が下がってしまうわ。じらすにも、お断りするにも、他の殿方との接点があったほうがいいのよ。


そして、王妃になるだとか、あまり先々のことまで考えすぎないようになさい。人と人との関係なんて、あやふやなものだから、思い込みすぎないほうがいいわ。


ーー大事なことは、主導権をこちらが握ること。交渉であれ、同盟であれ、戦争であれ、ね。恋愛も結婚も、それは同じよ」


じらすとか正直良くわからなかったけれど、わたしは、今度は令嬢力を発揮して、余裕でわかっていますというふりをした。


そして、伯母様の言にわかりましたと頷いてみせる。優雅な令嬢のように。







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