103 狩り 一本欅の下で③
わたしは一本欅の丘から
一本欅の丘で、辺境伯子のヴィクト様に告白されて、わたしの頭はどこかふわふわして現実感がなかった。あれほど直截に男性から好意を伝えられたのは初めてのように思う。どう答えるかは別として、異性から好意を寄せられるのは嬉しいものだと知った。
わたしを出迎えてくれたアセレアに、純白の騎走鳥獣の手綱を渡すと、わたしは同じく出迎えてくれたチェセの先導に、仔狼姿のバウを従えて幔幕の中に入った。中ではいくつか屋外用の卓が置かれ、どこか雰囲気が前と違うことに気づいた。
どこが違うのかは、いくつもある卓の横をしばらく歩いているうちにわかった。みな、お喋りをしながら、ひとつの卓を気にしているのだ。
「第三王子のフェル様が、リュミフォンセ様を訪ねていらっしゃっております」
先導してくれいたチェセが、わたしの耳元でそっと囁く。
えっ? 第三王子様が?
驚くものの、この貴族の姫たちが集まる場で、感情を直接に表情に出すのは下品と扱われてしまう。
びっくりを胸に収めつつ歩を進めると、わたしが居た卓に、白色にも見えるプラチナブロンドの髪の子供が、姫々にかしずかれ、お茶の入った白いカップを手に楽しくお喋りをしているのが見えた。
その可愛らしい子供ーー第三王子のフェル様が、わたしを見つけると、快活にわたしに向けて手を振った。
■□■
「てっきり、貴女も、狩りに参加されるのかと思いました」
声は幼いけれど、しっかりとした発声。
幔幕の外側、新たに場をしつらえてもらって、わたしは第三王子と差し向かいになってお茶を飲むことになった。場所は屋外のままだけど、木陰を選んでもらったので、涼しい風が通る場所だ。仔狼姿のバウも、涼しげな場所を選んで、そこに寝そべっている。
第三王子のフェル様はまだ8歳。幼いという年齢だというのに、口調は完全に大人のそれだった。白いプラチナブロンド、碧眼は大きく、まるで
「いいえ。わたしでは、殿方のように、
微笑みをフェル様に向け、わたしはお茶の入った陶磁器に軽く口をつける。
わたしは狩りができない。理由は言った通りだ。本気を出せば魔法の矢を使って獲物を狩ることはできるけれど、それは流石にダメだよね。遊びじゃなくなっちゃう。
「なるほど。実は私も同じです。弓は嗜みとして練習していますが、騎走鳥獣に乗って獲物を追えるだけの手足の長さは、残念ながらまだ身についていません。
ーーなのでこうして、狩りの時間は、女性陣とのお喋りに混ぜてもらっているのですよ」
おどけて肩をすくめて見せたフェル様。その様子に、わたしも肩の力が抜ける。
「ところでですが」かちゃとフェル様はお茶の入った陶磁器を皿におく。「リュミフォンセ様。貴女は、セブール兄上の求婚を受け入れるのでしょうか?」
実に単刀直入に聞いてきた。子供だから無邪気にーーというのではない。完全に理解して聞いてきている会話運びだ。
「わかりません。なにも。ほんとうに。わたくしはあのときの出来事は、セブール様の一流の冗句だと疑っているくらいですから」
「なるほど。お受けになるとしたら、反対をする方がたくさんいらっしゃるのでしょうね」
「それは・・・そうかも知れません」
既婚者からの求婚なのだから、問題はありありだ。ただ王に近い貴族であれば、抱える政治的な問題に比べたら、既婚かどうかなど、問題の大小でしかないというだけで。
何を読み取ろうとしているのか、フェル様はわたしの様子をじっと見た。そして、一拍のあと、両手を広げて言った。
「僕は、実は、年上の女性に好かれる
言われて、それはそうだろうと思った。こんなに可愛らしい王子が嫌いな女性は、そう居ないと思う。
「まだ背も手足も伸びていませんが、父上や兄上を見る限り、あと5年あれば、それなりに大きくなるでしょう。それに僕は勉強が好きですし、家庭教師からも出来が良い、神童だと褒められているのですよ・・・自分で言うと、くちはばったいですけれど」
「まあ。でもフェル様は、とても優秀でいらっしゃると伺っておりますわ」
わたしは微笑う。
「そう。自分で言うのもなんですが、直径王族で血統は問題ないですし、僕はそれなりに将来性はあると思うんですよ。
それで先程の話に戻るのですが、リュミフォンセとセブール兄上との結婚に反対する、多くの人。僕は、そのうちのひとりなんですよ」
「そうなのですか?」
「ええ。だって貴女が兄上と結婚されたら、僕と結婚していただけないということですから。つまりーー僕は結婚相手として、いかがでしょう? リュミフォンセ様」
おぉう。こんな小さな子から、こんなことを直接、聞かれるとは思わなかった。けれど軽い冗談と流すことはできない。なんとなれば、フェル様は年は下だけど、家同士で認めている、わたしの婚約者候補であるからだ。
冗談めいていても、冗談ではない。細心に対応しなければいけない。5歳も年下の子だからどこか現実感がないけれど、れっきとした婚約者候補なのだから。
しかし、わたしが対応を考えているうちに、先方が話を進めてきた。
「やはり、年下は結婚相手として考えられませんか? ・・・それとも。ロンファーレンス公が、王位から遠い僕をお認めになりませんか?」
貴族の結婚は、家と家とのもの、貴族同士の同盟だ。だから結婚相手についても家長の意見が重視されるのは当然のことだ。けれど、第三王子のフェル様から、その方面のさぐりを入れられるとは思わなかった。
お祖父様は・・・と言いかけようとして、わたしは口に出す前に言い直す。
「ロンファーレンス公は、正義の人ですので、利益ではご判断されません。まして、次の王位の座の遠い近いなど、まったくの慮外です」
わたしの言葉に、フェル様は興味深げに膝をうつ。
「なるほど、ロンファーレンス公は正義の人・・・なるほど」
感慨ぶかげに、くせなのだろうか、自分の唇をいじりながら、フェル様が言った。
ほんとうに8歳だろうか。そんなことを何度も思わせるほどに、この王子から精神の成熟を感じる。
「ところで、王宮の夜会の招待状は届きましたでしょうか?」
フェル様は、話題を転じて言った。わたしはいいえと首を横に振る。
「では今日戻られたら、届いておりますよ。オーギュ兄上からの招待状です」
「・・・・・・」
「これでおわかりでしょう。誰もが貴女に興味しんしんです。今日お会いしてわかりましたが、リュミフォンセ様。貴女はご自分の魅力について、どうも無自覚でいらっしゃるようですね」
さらりと年下に諭されてしまった。どうも、恋愛ごとではわたしは分が悪いらしい。この短いやり取りで、わたしは主導権を取ることを諦めた。
「・・・しょうじき、困り果てています」
それはぽっと口先から出た言葉だったけれど、わたしの本心だった。
「多くの男が思慕を寄せる、
「王族の方を前に、とても得意とは申せませんが、嗜みとしては身に付けております」
「では、僕と練習をしてみましょう。なに、お気軽に」
フェル様が椅子から降りて卓から離れたので、わたしもそれに従う。
「
そして、フェル様とわたしは、木陰でゆっくりと踊りを始める。とんとんとん、とんとんとん、と確かめるように足拍子を踏み、体の動きは真上から見れば円を描く。
王子の可愛いつむじを見下ろしながら、楽しい時間を過ごしていると、つと見上げられた大きな碧眼が、わたしの視線を捉える。
「ヴィクトはどうでしたか? ちゃんと想いの人である貴女に、告白できたでしょうか?」
「え?」
とんとんとん、とんとんとん。質問のあいだも、円を描く足拍子は続いている。
「僕と彼とは、年は離れていますが、友人なのですよ。ですから、今日のことも、事前に話し合っていました」
「そうなのですか」
「意外でしょうね。僕と彼とでは、10歳も離れているのに、友人などと。けれど、彼の目は公平だ。生まれや年齢では区別せずに、相手の魂をその秤に乗せるかのように人を推し量ります。不思議な人です。彼は、こんな僕にも、対等に接してくれます」
たしかに、8歳と18歳という年齢差で、友情が成立しているというのは、にわかに信じられない。けれど、実際にふたりと会って、ヴィクト様の誠実さとフェル様の精神の成熟を見れば、それがあり得る事実だとわかる。
だから、北部が第三王子を支持するというのは、フェル王子とヴィクト辺境伯子の友情が前提にあってのことみたいだ。わたしは、お祖父様の情報を頭のなかで少し修正する。
「もし立場が何もなければ、僕個人としては、貴女とヴィクトが結ばれることを応援しますよ」
「・・・・・・」
「何も答えなくても結構ですよ。それに、僕も貴女との結婚を諦めたわけではないので、そのおつもりでーー。貴女が僕と結婚していただけるかどうか、お答えは急ぎませんがーー
「そ、そうですか」
「もう少しーーそうですね、もし、いまではなくて3年あとだったら。僕も、もう少し良い勝負ができたと思うのですけれどーーとても残念です」
「・・・・・・」
とんとんとん、とんとんとん。
「とつぜん結婚を申し込まれる、貴女の戸惑いもわかります。けれど、セブール兄上が、貴女に婚約ではなく結婚を申し込んだことで、僕たち婚約者候補も、一足飛びに貴女に結婚を申し込まなければならなくなりました。そうでないと、条件が対等にならない」
なるほど、そういう背景だったのか、とわたしは思う。いくら家同士のつながりがあるとはいえ、初対面から結婚を申し込んでくるのだ。申し込まれるわたしとしては、突拍子もないと感じるのは否めない。
「けれど、じつはですね。ヴィクトは、ずいぶんと昔から、貴女のことを想っていたのですよ。姿絵を見ての一目惚れだとか」
「え?」
これは僕が言ったとは秘密ですよ、とフェル王子はささやく。
「婚約者候補として、お互いの姿絵を交換していたでしょう。ヴィクトは、貴女の姿絵を大事にして、魔王軍との戦場にも持ち込んでいたとか」
とんとんとん、とんとんとん。
「姿絵を見て、会ったこともない相手に思慕をつのらせるのは、悲劇のはじまりだと聞きますが・・・今回ばかりは、彼が正しかった」
「まあ」
フェル王子は、わたしを正面から見ながら、臆面もなくそう言った。
大きくなったら、今は兎のように可愛らしいこの王子は、たいした毒舌家になりそうだ。
お決まりの最後の足拍子を踏んで、緑の草の上をくるくると周りながら、わたしは思った。
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