72 月夜の再トライ




今夜は、空に浮かぶ異世界のふたつの月が、双方とも満月だった。


冷たい夜気に空気が冴えて、星明りに月明かり、まるで昼間のような明るさとまではいかないけれど、白く照らされる透明な世界は美しい。


わたしはバウの『影潜り』で天幕陣地を抜け出したあと、大瀬に向けて、ウドナ河の上をバウに乗って進んでいた。


バウならば、森の中の細い道を走る必要もない。広い河の水の上を四肢と魔法を使って、音もなく大河の流れの上を駆けていく。


隣ではサフィリアが淡い光を纏いながら清流の中を飛ぶように進み、ときおり河面を若魚のように跳ねる。水しぶきはごくごく少なく、物理法則を無視したその速度と進み方を見ていると、彼女が水精霊なのだということを思い出す。


天空から見れば、ウドナ河の流れの上を、ふたつのラインが進み、踊るようにときに交差し、ときに並行に、まるで刺繍の縫い目が出来ていくのがわかるだろう。


白く輝く天地に、わたしの白い息が流れていく。この世にあるのはわたしたちだけのように思えて、わたしは目的地に着くまで一言も発しなかったし、念話もなかった。とにかく透明な世界だけがあった。


そして、目的の『大瀬』の入り口までたどり着いた。


昼間来たところのちょうど対岸の場所に陣取ってもらうことにした。


「はふーん。気持ちの良い夜じゃのう。で、あるじさま。どういう作戦なのじゃ?」


冷たい夜気に目を細めながら、腰に手を当てて尋ねてくる銀髪のメイドにして水精霊のサフィリア。

そしてその隣には、ここまでわたしを乗せて来てくれた黒い大狼にして闇精霊の眷属、バウがいる。そういえば、バウが本当の姿を見せるのってものすごーく久しぶりなんじゃないしら・・・。


わたしの目の前には憎っくき『大瀬』が白波を立てていて、さらにそこには昼間を上回る数の爆ぜ実の木がひっかかっている。



「作戦は単純よ」


わたしは、一人と一頭に対してぴっと手袋の人差し指を立てた。毛皮の帽子に分厚い外套を着ているけれど、刺すような冷たい夜気は、それらを突き抜けてくるようだ。出てくる前に湯浴みをしたので、湯冷めが心配だわ。


「まずサフィリア。あなたが、短い間でいいから、ウドナ河の流れを止めて、川底を見せて欲しいの」


「んー、流れすべてを止めるのはさすがにわらわでも無理じゃぞ? じゃが流れを変えて、一部分だけ川底を見せるというならできる」


この大河の流れを変えられるとあっけらかんと言うサフィリア。期待通りだけど、やはりすごい。


「充分よ。それでお願い。川底を出してもらうのは、できるだけ爆ぜ実の木が集まっている場所が良いわ。そして川底が見えたら、わたしが思いっきり魔法を撃ち込むから。バウは、わたしの近くに居て不測の事態に備えてちょうだい」


(承知した)


頭を下げる黒い大狼。その隣で、銀髪のメイドが、考え込むように腕を組んで首をひねる。


「あるじさまの思いっきりの魔法とは・・・どのくらい思いっきりなのじゃ?」


ん? どういうことかしら?


「思いっきりは思いっきりよ。昼間はそれなりに強く魔法を撃ったけれど、河床まで壊せなかったから、今度は、本当に思いっきりいこうと思うの」


「・・・・・・。水をせき止める作業じゃが、ちょっと距離を置いて上流のほうでやらせてもらうが良いかの?」


「衝撃は下流の奥のほうへ向かうように、貫通型の魔法を使うつもりよ? だから巻き込むことはないと思うわ」


「あるじさまが抜かり無いのは知っておるが・・・。ときどき、威力が半端じゃないからの・・・念を入れさせて欲しいのじゃ」


サフィリアはときおり真顔になる。この顔をしたときは意見を曲げることはほぼ無いので、わたしは無理に自分の意見を通すことなく、申し出を了解した。


「さあ、始めましょう!」


ぱんと手を叩くわたし。


同時にサフィリアは河岸から駆け飛び、銀の髪をなびかせウドナの大河へと落ちていく。


バウが周囲を警戒するように星空に向けて鼻を鳴らす。


しばらく待つと、水のエテルナがざわめき、眼の前の大河が中央付近から真っ二つに割れ始めた。不思議な光景だ。本来なら水が落ち込むはずなのに、二股に分かれた大蛇のような水の帯が・・・いやそんな表現では生ぬるいかも知れないけれど、とにかく大質量の水が、見事な二筋の帯となり、崩れることなく、中央部を避け2つに分かれて流れていく。


大河が流れぬ中央部の水は、時間がすぎるに従って下流に向かって流れ消え、だんだんと少なくなった。そしてついに湿った河床が、見えてあらわになった。


水の底には巨大な岩の壁、あるいは岩の山脈が覗いている。岩のくぼみには、たわわに実を枝につけた、爆ぜ実の木がひっかかって堆積している。


(あるじさま・・・やはり、かなり重い。そう長く持たん、早く決めてたもれ)


頭の中に、サフィリアの声がする。河水の底からの念話だ。


うん、それじゃあ、始めようか。


サフィリアに感謝を伝え返すと、わたしは魂力エテルナを魔法のために練り、集め、限界まで高めていく。


わかる。エテルナを集めるごとに、水が、森が、空が。世界が震える。


わたしと世界がつながり、魂が循環する。わたしは、魂の流れをつなぐ、ひとつのリンクになる。

リンクを起点に世界から魂の力を取り出し、わたしの意志を乗せて、思うような魔法の力に換える。


「混色魔法ーー黒灼核爆」


全力の爆裂魔法を準備。


さらにそれを、貫通力を持たせるために具現化ーー武器の形状に変形させる。


「具現化ーー神槍」


宙に浮かぶ、巨神が操るべき巨大な槍は、きらきらと黄金色の光粒を放つ。


わたしはその槍の力を維持するために、魂力(エテルナ)を限界まで圧縮する。


そして、いまは月影のもとにはしたなく横たわるウドナの河床に向けて、掲げていた両腕を思い切り振り下ろす!


吶喊アソー!」


次の瞬間、宙に浮かんでいた巨槍は、きんと金属的な音をひとつ残し、刹那の光になった。


次の瞬間には、河底の岩山に、ぽっかりと真円形の穴が空いていた。


ほんの少しの間の静寂。けれどすぐに耳をつんざく轟音が波となって響きわたり、続いて襲ってくる爆発によって生み出された嵐が、わたしたちを、世界を包む!


(あるじ!)


急な突風に浮かんだわたしの身体を、大狼のバウが大きな顎で咥えとり、地面に伏せさせてくれた。そしてバウは続けて魔法障壁を発動した。


そのあとのことは、よくわからないうちに終わった。


わたしの魔法の余波と爆ぜ実の誘爆と豪風と轟音がぐちゃぐちゃに混ざり響き暴れ狂い、あとで続けて雨が降ってきたと思ったら、それはわたしの魔法の爆発で巻き上げてしまったウドナ河の水だった。


そのウドナ河の驟雨が止んだあとーーバウの魔法障壁が消える。


目を開けたわたしの視界に飛び込んできた光景は、逆巻くウドナ河と、岩山から峡谷へと姿を反転させた、ウドナの河床に、河水が落ちるように流れ込むところだった。


滝が崩れるような水音がして、水があるべきところに戻っていく。ウドナが平常に戻るには、いますこしの時間が必要そうだ。


わたしは大きく息をついた。


「ふぁぁ。びっくりしたぁ。やっぱり、爆ぜ実の誘爆は大きいね」


立ち上がり、外套の埃を払いながらわたしが言う。


(あるじ・・・それは冗談か?)


バウがそう聞いてきた。


え、いまの言葉に冗談の要素があったかな・・・。


わたしはバウに聞き返そうとしたけれど、それは、空から降ってきた問いかけで、中断させられた。



「ちょっとねぇー。確認なんだけれど」


きれいな、女性の声だった。


鈴を転がすような高い音ではなく、むしろ円熟を感じさせる落ち着いた声。


「いまのーー世界の終わりっぽい大破壊は、あなたがやったのよね?」


声をするほうへと、わたしは顔をあげる。


双月の星空。ウドナの大河。


そしてそののあいだに。


空に高く浮かぶ白い獣に腰掛けた、星影を背にする、長く豊かな髪の女性が居た。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る