54 リンゲンへの道のり





「ーーそういうわけで、リンゲンに行くことになりました」


わたしの部屋で精霊チームにそう告げると、黒い子狼と銀髪のメイドがそれぞれ頷いた。


(承知した。あるじがどこにいようと、全力で支えよう)


真面目にびしりと背筋を伸ばす、黒い子狼の姿をしたバウ。


「んむぅ、リンゲンは遠いが、水の精霊のわらわにとって、清流の源の地は、馴染みのある場所じゃ。頼るがいいぞ」


サフィリアが、肉又フォークを模した人差し指と親指を顎につけて、ふふんと笑う。可愛いわぁ。


「・・・なぜわらわの頭を撫ぜるのじゃ?」


「最近は素直じゃない人ばっかり相手にしていたから。久しぶりのサフィは可愛いなあと思って」


「まあわらわが可愛らしいのは事実じゃから別に構わんが、なにか調子がくるうのう・・・」


たっぷりとサフィリアの銀の頭を撫でくりまわしたわたしは、満足して手を下ろした。


「まあでも、今回サフィにはお留守番をお願いするんだけど」


「なっ、なんと! こんなに気をもたせた癖に、ひどいではないか! あるじさまは魔性か!」


そうです魔性の女です。なんてね。


「サフィリアには、万が一があったときに、お屋敷を護って欲しいの。今回は軍行だから、お屋敷にはチェセも残るし。貴女が残ってくれれば、安心だわ」


「うむそうか、任された!」


腕を胸の前で組み、仁王立ちして宣言する銀髪のメイド。さすがサフィリアは切り替えが早い。そしてわたしは黒い子狼に向かって言う。


「それで、バウには一緒に来てもらうわ」


(うむ。大丈夫だ。愛らしい子狼の姿でも、人間の姿でも、またあるじの乗り物として、本来の姿でも同行できる。我をうまく使ってくれ)


「そうね、今回のリンゲン行きではいろいろと頼ることになると思うわ。お願いね」


「このひ弱なワンちゃんシヤンが役に立つかのう? せいぜいあるじさまの足を引っ張るでないぞ?」


(なんとでも言え。供に選ばれたのは我だ)


「むっ・・・家の守りを任されたのはわらわじゃぞ?」


がるるる、と犬歯をむき出しにしてにらみ合う、華奢な銀髪のメイドと黒い子狼。


何も知らない人が見たら微笑ましい光景だろうけれど、この子たちが本気で争えば、このお屋敷は戦いに巻き込まれただけであっという間に崩壊してしまうだろう。銀髪のメイドは300年以上生きる水の精霊、本当の姿は空に届くかというほどに大きい龍。黒い子狼は闇の精霊の眷属で、子牛ほどの大きさの大狼なのだから。


はいはい。わかったから仲良くしてね?


いつものやり取りを眼の前にして、わたしはどこかほっとして、いつものように仲裁した。




■□■




領内とは言え、リンゲンまでは遠い。


ちゃんとした街道を走るのは1日目までで、あとは森深い曲がりくねった細い坂道をを延々と進むことになる。


ロンファから言えば、1日南方に向かう平地の街道を走り、森の街道をさらに南下し、大河にぶつかったらあとは西へと向かう。途中山をかわすために大きく迂回しながら、山をふたつ超えればリンゲンだ。


片道に徒歩なら1週間。四足の馬のような騎獣、ケルなら4日。最速の騎獣、二足の騎走鳥獣のウリッシュを使いつぶしながら走れば2日以内だけど、今回は荷物もあるのでそう早く進めない。余裕を持って3日の旅程だ。


わたしは先行する騎士団ーー先遣隊とともに、騎走鳥獣ウリッシュでリンゲンへと向かった。バウを鞍に乗せ、先導してくれるアセレアの後を追う。


新しい仲間も出来た。わたしのウリッシュ、クルルだ。気性の穏やかな女の子で、くりっとした目で他のウリッシュよりも美人さんな気がするのは、欲目だろうか。バウの言うことを良く聞いてくれるし、わたしとも相性が良いらしい。なんとなく言うことを聞いてくれるような気がする


秋に色づいた森の中をウリッシュを一列にそろえて疾走する。


ときどき頭をかすめる枝、地面に転がる木の実に、冬枯れを始めた草。秋の深まりと冬の訪れを感じながら、わたしはウリッシュの羽毛の首筋に顔を埋めるようにして走り続ける。


いつしか、騎走鳥獣の蹴爪が地面を蹴る音の裏に、水音が遠く聞こえるようになった。大きな滝があるのだろうか。記憶にある地図から言えば、どうやら河が近いようだ。森の木が低くまばらなになり、湿地らしき場所も目にするようになってきた。それに、へし折れた木を多く目にするようになる。


やがて、開けた草地に出た。周囲よりも少し盛り上がっていて、乾いた感じがする。


「ここで大休止する! 火を焚いて軽食を使え!」


アセレアが部隊に指示を出す。


先行部隊である25騎が、一斉に大型騎鳥から降りて、火を起こすために簡易のかまどを作る。


気づけば日が高くなり、一番高いところに差し掛かろうとしていた。とはいえ、ウリッシュから降りると顔に吹き付ける風は冷たく感じる。首に巻いたケープの前をかきあわせながら、火を熾してもらうのを待つ間、轟くような水音がするほうに視線を向ける。ごうごうという音。


わたしが音がするほうをなんとなく見ていると、アセレアが近づいてきた。


「ウドナ河が近いのですよ。中流域になるとゆったりとした大河になりますが、上流は険しい滝のような瀬になっています。ここからすぐですので、ご覧になりますか?」


「面白そう。見てみたいわ」


アセレアはわたしを連れて、大休止の準備をする皆を尻目に、ウリッシュに乗って細道を進む。さらに進むと、ほんの少し高くなっている丘があり、その先はもやで覆われていて視界が悪い。


けれど丘にのぼってしまうと、その先は大量の水が白い飛沫をあげて流れていた。大きな岩がごろごろと転がり、まるで小さな滝が連なっているように見える。上流をみればそんな地形が続き、滝群の真ん中に流れを遮るように巨石が突き刺さってもいる。


「ウドナ河の上流にある『大瀬』です。この大瀬があるために、ウドナ河は船を通すことができません。樵も丸太も落とせないと聞きます」


「すごい・・・」


決して手綱をつけられない暴れ馬を見ている気分だった。自然の猛威というやつが常に牙を剥いているような厳しい地形。常に出る水しぶきが細かく砕け、河の表面を薄く霧のようにおおっている。


「このような地形が、この先上流数里に渡って続きます。激しい流れのために、船も通れず魚も棲まず、自然、関わる人間も減ります」


もうひとつ気になったのは、これだけ激しい流れだというのに、川岸と川水面との差がそうないことだった。このあたり、西部では川は秋、冬と水量が減るはずなのだけれど・・・。


「そしてウドナ河上流は険しい地形のうえに川筋周辺と地形の高低差があまりなく、氾濫もよく起きます。河の水量が増える春先から夏にかけては、今立っているこのあたりも、水の下、河になるのですよ。そのためリンゲンまでの街道も寸断されて通れなくなります」


「そんな・・・それでは不便でしょう?」


「不便ですよ。どこにでも現れる行商人も、通行を控えます。だからリンゲンが僻地になるわけです」


なるほど、とわたしが頷く。


「それに、この先には『ぜ実』の山もあります」


「はぜみのやま?」


「『ぜ実』とはその名の通り、爆発する木の実です。エテルナの影響で生まれる魔法植物らしいですが、夏、気温があがってくると実をつけ爆発するのです」


「なにその物騒な実!?」


とはいえ、錬金魔法の授業でそんな実があると聞いたことがある気がする。


何かに使えそうだけれど、制御が難しいので使いみちが無いとか。確か凍らせれば勝手に爆発しなくなる性質を持っている実だった。


「爆ぜ実」などという、そのままの名前が付いていることから見ても、使い途のなさは察することができる。ようは厄介者というわけね。


「そういう木が繁っている山が、この先、街道沿いにあるのですよ。今は秋ですので、実はありますが自然爆発はしないので安全です。逆に言えば、夏はリンゲンに至る街道は危険だということです」


「となると、リンゲンに安全に行けるのは秋と冬ということ・・・? でも冬は雪が降るのでしょう?」


「雪は気合で乗り越えられますが、秋の今ぐらいの時期が、リンゲンを訪れるのに絶好の季節なのは間違いないですね」


「・・・・・・」


雪は気合って。そんなに簡単なものじゃないと思うけれど・・・。


軽い気持ちで来ちゃったけれど、実はわたし、とんでもないところに行こうとしているのでは・・・? リンゲンを形容する”鳥しか通わない”という表現が、誇張でも何でも無いということがわかってきた。


「リンゲン自体は古代の王国の名残の地ですから、見た目は都ですよ。石材も木材も粘土も豊富なので、建物は立派です。ただ交通がとても不便で、周囲から隔絶しているというだけで」


「アセレアの話を聞けば聞くほど、なんだか不安になってくるのだけれど・・・?」


「うん? そうでしたか? リンゲンに行くには、いまが絶好の季節だという話をしたつもりでしたが。着いて野宿をするわけでもないですし、さすがにお屋敷の快適さには劣るかも知れませんが、魔王軍との戦いの拠点としては上等です。”住めば王都” と言いますしね」


「そうね。魔王軍との戦いに向かうのですものね。たしかに、贅沢を言っている場面じゃないわね」


そう言って、わたしは軽くため息をつく。まぎれもない本音だったけれど、我ながら公爵令嬢みたいなコメントだった。





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