51 バウ作戦
「かなりの時間が経ってしまっていますが・・・リュミフォンセ様。どうされますか? 続けますか?」
赤髪のアセレアが思わしげにわたしを見ている。確かに、売り言葉に買い言葉に端を発したこの試験。たかがたわむれにしては、時間がかかりすぎている。けれど、一度やると宣言したものを、途中でやめてしまうのはみっともない。
「ええ。もちろん。貴女との約束を破るわけにはいかないでしょう?」
「約束? 約束などではなく、あれはーー」
「わたしはしたつもりよ。貴女の不満と怒りを、晴らしてあげるって」
「ーー! ・・・私は、そのようなつもりでは」
アセレアが言い訳しようとしたのを、わたしは必要ないと遮った。だってわたしがやりたくて始めたことだ。もうアセレアの意志とは別に物事は動いているのだから。
「でも、ちょっと待ってくれる? お願いした助っ人がまだ来てないの」
「助っ人・・・?」
赤髪の護衛騎士がいぶかしげに行ったそのとき、わたしの待ち人の姿がみえた。
お屋敷の花壇の影から現れて、とてち、とてちと、こちらへ向かってくる。短い足を一生懸命動かして、わたしの方へ駆けてくる。
そして足元までやってきた黒狼の仔を、わたしは顔の高さまで持ち上げて、赤髪のアセレアに見せる。
「じゃん! 助っ人参上! この仔がいればもう大丈夫なんだから!」
ウリッシュ騎乗対策その2、黒狼のバウ参戦である。
けれどアセレアは瞳の光を無くしたあとに、ふぅーっと鼻息だけでため息をついた。
まるで『期待した私が馬鹿でしたよ』というように。
あなた、人を馬鹿にする表現がすごい器用だよね?!
■□■
結果から言えば、このバウ作戦は効果てきめんというやつだった。
わたしが軽々と
わたしが急に
黒狼のバウに、
動物なので上下関係をしっかりさせれば、わたしが手綱を取っても
このことを見越して、服を着替えるときに、バウに騎乗練習場に来るように頼んでおいたのだ。
もしこの対策がダメだったら、最後は
「さて。一周終わったけれど、どうしよう。実は第5の試験を言い忘れていたりするのかしら?」
ウリッシュの鞍上からわたしがそう話しかけると、あぜんとしていた赤髪のアセレアは、表情を取り戻して小さく笑った。
「なんとも、いじわるな主君ですね」
「そう? ならきっと、いつの間にか部下に似ちゃったんだわ」
お互いに笑う。あいだに入っているバウとウルは、どこ吹く風でわたしたちのやり取りなど無視しているーーちなみにバウは鞍の前、ウルの首のところにしがみついている。
「機動防御部隊の新設と、リュミフォンセ様の隊長任官。引き受けました」
「そう? では、新設機動部隊の隊長の任を、アセレアに引き渡します」
即座に言い返したら、赤髪の護衛騎士は驚いたように黒の瞳を見開いた。今日は驚くことが多くて大変だね。
「リュミフォンセ様、それは・・・」
「貴女の望みははじめからそれでしょう? ロンファ近辺で魔王軍の襲撃があっても、わたしの護衛のために出撃できなかった・・・でもこれからは、心置きなく出撃できるわ」
「・・・・・・」
「わたしなら置いていってもらって大丈夫。騎士団の隊長の試験に受かったぐらいですもの。自分の身も、ついでにこのお屋敷も守ってみせるわ」
「リュミフォンセ様・・・お心遣い、かたじけなく。ですが、その申し出はお受けできません。貴女を守ることが、我が使命であれば」
「けれど・・・」
「ええ。迫りくる脅威を打ち払い、民を守るのが騎士の使命。その使命を果たすことが私の望みでもあります。ですが、リュミフォンセ様、貴女を守ることが私にくだされた任務なのです。その任務を果たさずに、望みだけを果たそうとするのは自儘に過ぎません。貴女のおかげで眼の前の霧が晴れました。私は間違っていたのですね」
言葉のとおり、透き通った笑顔を見せるアセレア。自らの間違いに気づき、素早く改める。良い騎士とは良い心の在り方を持っているのね。これならもう大丈夫そう。
「さすが、わたしの護衛騎士だわ」
「けれど」アセレアは肩をすくめて言う。「まさかリュミフォンセ様がハンス中隊長を倒してしまうとは思いませんでした。いま騎士団は圧倒的な人手不足ですから、リュミフォンセ様にも出陣をお願いする日が来るかも知れませんね」
「ロンファにはまだ常駐している騎士団員がいますし、わたしのような非戦闘員が出陣しなければならない状況にならないことを祈っています。もちろん、わたしの力が必要であれば、手を貸すことを厭うわけではありませんけど」
アセレアの冗談に、わたしは型に沿って言葉を返し、お互いに苦笑してその場は終わった。
でも、その場では半分以上冗談だったんだけど。
あとから考えると、これ、完全にフラグだった。
■□■
騎乗練習場、赤髪のアセレアの背景に、栗色のツインドリルが目に入った。侍女のチェセだ。さっきまではいなかったので、いまやってきたのだろう。走ってきたのか、息をかすかに弾ませ、それを抑えようと苦心をしているのがわかる。
目が合うと、軽く微笑んで栗色の髪を揺らし、彼女がわたしに歩いてタオルを差し出してくれた。
わたしはそれを受け取り、軽く汗ばんだ額を拭う。
「お疲れさまでした。もう練習は終わりましたか?」
「ええ。ありがとう、チェセ」
「練習というか、試験だったんだ、チェセ。だがリュミフォンセ様は見事にウリッシュを乗りこなされた。まったく、才能というのは恐ろしいな」
わたしがタオルのお礼をいって、チェセの疑問を引き取ったのはアセレアだった。このふたりは湖での1件もあり、それなりに気安い仲みたいだ。ふとした仕草でそれがわかる。
「えっ、ウリッシュを初めてで乗りこなされたのですか?」チェセが驚きの声をあげる「さすがリュミフォンセ様、素晴らしいです」
そして向けられるチェセの視線。敬意というか崇拝めいたものを感じる。わたしは微笑んでそれを受け止めながらも、一度は拭った額をもういちどタオルで拭い直した。
「リュミフォンセ様が騎乗なさると聞いて、お召し物を準備したまでは良かったのですが、そのあとに私が呼び出しを受けてしまって・・・心配だったので現場を見ていたかったのですが。けれど、ご無事にこなされたようで何よりです・・・。リュミフォンセ様は本当に多才でいらっしゃいます。いえ、単なる才能では足りず、天に与えられ、天に愛された才能。むしろその一身に天の愛を受けていらっしゃるといっても過言ではありません!」
うん、それは過言かな。ウリッシュに乗れたのはバウのおかげだし・・・。放っておくとさらにヒートアップしそうなチェセの方向性をそらすために、わたしは話題を変える。
「チェセが受けた呼び出しという用事は、なんだったの?」
本来リュミフォンセ様よりも大事な用事というのは無いのですけれど緊急だったもので、とチェセが前置きして、
「執事長からのお呼び出しで、騎士団の遠征先に、追加の食料と武具や日用品を届けるため、購入方法と輸送路について助言を求められたのです」
チェセはメイドでありながら、大商会であるフジャス商会のお嬢様でもある。商人としての知見もあるため、そっち方面の人材が不足している貴族のロンファーレンス家では、彼女をメイド以外としても重宝しているということがある。ロンファーレンス家はフジャス商会と太い取引あるからということで、チェセも本来の仕事ではないけれども、そうした助言のお願いに快く応じてくれている。
いつもありがとうとわたしがねぎらうと、チェセが嬉しそうな顔をする。その反対に、アセレアが考え込むような難しい顔をした。
「追加物資が必要だということは、公爵様の軍がさらに転進するということか?」
「そのあたりはわかりませんが・・・ただ求められた補給地点から言えば、ロンファーレンス公爵領の北部で陣を張るおつもりなのではと思います」
「公領北部で滞陣・・・防衛線を張ろうということか?」
「さて、そのあたりは騎士様のご領分ですので、わたしからは何も申し上げられません。ただ・・・アセレア様なので申し上げますと、物資の量からいえば、1ヶ月の滞在は見込まれているのでは、とわたしは思います」
「そうか。貴重な情報、感謝する」
「お礼には及びませんよ。同じ主に仕えるもの同士ですから、良い関係を築いていきたいと常々思っておりますから」
「そうか。かえすがえす、貴女が酒が飲めないのが残念だな。良いワインを手にいれたので、杯を酌み交わして親交をさらに深めたいところだが・・・」
「そうですね、お酒はちょっと。甘いものであれば、いつでもお付き合いしますよ・・・そう、リュミフォンセ様、本日のお茶のお供は、お好きな
「
「もちろん、ご準備いたしております」
やった! あれは甘くて美味しくて元気の出る、とても良いものです。わたしは今日のメニューを聞いただけで、他の話は頭から吹き飛んでしまった。
「チェセ。今日はこの仔にも準備してもらえる? 頑張ってくれたのよ。それにせっかくだから、今日はここの皆でお茶をしたらどうかしら。もちろんチェセもね」
そう言って、わたしは足元の黒狼の仔を拾い上げてみせる。
「あら、バウもこんなところに居たのですね。ええ、わかりました。ご準備致しましょう」
チェセが快諾してくれる。
そしてその日は、美味しいお茶とお菓子を皆で楽しんだ。
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