47 後退




短く切りそろえられていた彼女の赤髪は、少し伸びてきただろうか。


わたしは、卓にある地図を見下ろす護衛騎士のアセレアの横顔を見て思う。


護衛が必要な機会が増えたのに護衛を兼任できるメアリさんが去ったので、彼女ーー赤髪のアセレアと一緒にいることが増えている。とは言ってもお屋敷内の護衛であるので、付かず離れずの距離に控えていることが多く、言葉をかわす機会はそう多くない。だから、顔を会わせる機会は間違いなく増えたけれど、彼女と親しくなったかというと、そうでもないと言うしかない。


騎士と令嬢という立場がそうさせるのだろうけれど、護衛騎士たろうとするアセレアは、わたしの心に踏み込もうとはしてこない。むしろ必ず一歩分の距離を保とうとしている。わたしと親しくなること、それは領分ではないというように。だから、わたしもあえて彼女に踏み込まない。


短い夏が過ぎて秋が深まりつつある。


巻き起こる風に、色づいた葉が落ちる季節だ。


落ちる赤い葉、彼女の髪の色と、どちらが赤いだろう。


そんな益体もないことを思いながら、お屋敷の一室、わたしは部屋の陽のあたるところに立って、彼女が準備を終えるのを待っている。


まず地図の上に並べられるのは白い駒。これはイセェキというチェスのような盤上遊戯に使う駒だ。剣のかたちをした駒、ケルの形をした駒、楔形の駒、丸形の駒がある。


それらを並べ終えたあと、アセレアは今度は地図の上に黒い石をばらまくように置いていく。平べったい円い石は、小さなものと大きなもののふたつの種類しかない。


器用そうな長い指が、駒を小気味よい速度で並べていく。


それらを地図の上にならべ終わって、アセレアは窓の近くに立つわたしを見た。


「お待たせしました、リュミフォンセ様。ご要望のように、現状をご説明いたします」




■□■




「急報、急報ーー!」


早駆けの伝令が、お屋敷に駆け込んだのはひと月半前のことだった。


知らせの内容は、驚くべきものだと言っていいものかどうか。


魔王軍がロンファーレンス領内に出没。被害は村が大小合わせて4つ、いずれも焼かれたというのだ。村人は男は殺され、女は攫われ、いくばくかの幸運な人が付近の街へ逃げ延びることができただけだという。


残念だけど、こうした被害はしばしばある。そして即座にモンスターの討伐隊が起こされる。


村には自警団、街には守備兵がいて、さらにモンスター退治を生業とする冒険者がいて、ロンファのような主要都市には常備軍として騎士団が配置されている。これら駐留兵力の出兵か、冒険者へ緊急依頼クエストでモンスター退治に乗り出すのだ。


けれど、今回は具合が違った。


モンスターは村を焼き払う前に、周辺の街に、しかも複数の街に攻撃を仕掛けた。その隙をついて、一昼夜の間に手際よく別のモンスターの軍隊が現れ、村々を手際よく襲い。そして討伐隊が攻撃を仕掛ける前に撤退していった。


言い換えれば、標的の周囲に陽動を仕掛け、こちらの動きを止めたうえで、標的を撃ち、そして反撃を受ける前に撤退した。陽動部隊もほぼ同時に引き上げている。


鮮やかな手並みだ。


「モンスターが、統率されている」


お祖父様が下した評価だ。そして付け加えた。


「今代魔王は働き者だな。前代魔王のように、のんびりしてくれていても良いのだがな」


これまでのモンスターは、群れて力押しで押しに押す以外に戦い方がなかった。魔王軍といえども変わりなく、ただ率いるモンスターが強くなるくらいだった。


だから力と力をぶつけ合うのがこれまでの戦い方だったのだけれど、いまの魔王軍は違う。


モンスターは下位から中位の雑魚モンスターで構成されていて、モンスター種類は人型、獣型、死霊型、悪魔型、物質型と種類は多岐にわたる。知能のあるモンスターは、種類によって傾向があるものの、高位以上のはずなのに、彼らは整然と行軍し、陣を敷き、攻撃し、撤退する。


一頭一頭は強くはないけれど、集団として行動できるのなら、集団として強い。


人間にとって、これは脅威だった。


お祖父様は緊急の軍議を開き、騎士団の出陣を決断した。


「リュミィ、先日に話をしたリンゲン行きやらの諸々は、延期だ。まずは目の前の魔王軍を破り、民を守ることが先決だ。縁談もすべてが終わってからだ」


出陣時、騎士団長位を示す緋色のマントを留めながら、お祖父様はわたしに話をしてくれた。


「まずはそなたも無事でいること。魔王軍はここにもくるやも知れんから、そのときはロンファに移って騎士団を頼れ。他のもろもろは、家宰のパースに言いおいておる。何かあったら頼りなさい」


「お祖父様、わたしになにかできることはーー」


お祖父様は普通に歩いていても大股なので早い。わたしが追いすがって言うと、立ち止まって振り向いてくれた。


「貴族は民を守り、公を守るためにある。その地位と役割に恥じぬようにな。そなたならいつも通りにしておれば問題ない。くれぐれも、自分の身を大事にするのじゃぞ」


「わかりました、お祖父様」


フルプレートの鎧だから抱きしめることができない。わたしはお祖父様のマントの裾をにぎり、頷く。お祖父様は立ち止まってわたしの頭をそっと撫でると、騎士団を連れて出立していった。





■□■




「こちらを御覧ください。アクウィ王国全土の地図です」


準備を終えたアセレアに言われて、わたしは頷く。


わたしもお祖父様の出陣から、いろいろと情報を集めた。先代魔王はやる気が無いと思われるほどに魔王軍として動くことはなく、それでも勇者一行とそれなりの戦いを繰り広げ、最終的に先代勇者と相討ちとなった。


けれど、今代魔王は、雑魚モンスターを集めて魔王軍を組織して、村や街や都市を襲い、広く人間世界に攻撃を仕掛けてきている。


具体的には、西部のロンファーレンス公爵領に多発的に攻撃を仕掛けるだけなく、北部、南部、東部、中央ーーつまり、わたしたちのアクウィ王国全てを戦域して、攻撃を繰り返しているらしい。


そして、魔王軍の数が多いために、全体として戦況は人間側に不利で、押されつつあるらしい。


けれど、全貌がよくわからないので、お屋敷に残っていて一番軍務がわかる者、つまりはわたしの護衛騎士であるアセレアに教えてもらうことにしたのだ。



準備された、卓上の王国大地図を覗き込む。


わたしたちが住む王国は、大陸の一部にある。王国領土は概ねひし形というか四角いかたちをしており、西には暗黒荒野、北は大森林と氷の北壁、東は大山脈、南には大洋ーーという天嶮に囲まれている。


この王国以外の国も存在するけれど、あまり交流が無いらしいのでこの場では置いておく。


「まずは地理の確認から。王国は、5つに分けて語られます。尚武の北部、冒険者の西部、商いの南部、肥沃な東部、そして王すまう中央。我らロンファーレンス家は、西部を統べる存在と言われておりますね」


アセレアは授業のように言う。情報量が多いので、どうしても授業のようになってしまうのだろう。


「魔王は代々、西の果てにある暗黒荒野に居城を持つといいます」


そう言って、アセレア地図の左端、黒く塗りつぶされているところに指を置いた。かなり広い。王国西部の1地方のような説明だけれど、塗りつぶされている面積は、王国西部よりも大きい。


「暗黒荒野は、星1つない無明闇夜。骨を砕いたかのような白い岩石砂漠。わずかにある沼沢は猛毒におかされ、風すらも毒をまとう。唯一の灯りは地面で赤く光る溶岩のみ。そんな暗黒荒野のその果てを知る者は未だおらず、ある勇敢な冒険者の手記によれば、7日7晩まっすぐに進んでも果ての果てにはたどり着かないとか」


「おそろしい。そんな厳しい世界では人は生きていけないわね」


わたしが呟くと、アセレアが頷く。


「そうですね。故に暗黒荒野は人の立ち入らない地、モンスターの楽園。その楽園と接しているのが、我らが西部なのです。そのため手強いモンスターが他の地域よりも多い傾向があります。ダンジョンに潜りモンスターを退治する冒険者が、ほかの地域とは違って西部では重用される理由です」


「あら? 他の地域では冒険者の地位は低いということ?」


「そうです。西部の外を知らなければ、意外かも知れませんが・・・亜人との戦いを常に抱え、冒険者の需要がある北部では多少ましですが、戦いの少ない中央、南部、東部では、冒険者という言葉は、荒くれ者・無法者という意味とさほど変わりません」


アセレアはそう言って肩をすくめると、説明を続ける。


「野生のモンスターも魔王軍に所属するモンスターも、単独で、あるいは群れてひとを襲うことがありました。けれど、統率されるということはなかったのです。群れと統率の違いは、そうですねーー。ただたくさんいるのと、機能化された組織は違うということです。この説明で伝わりますか?」


「群れはただ居るだけだけど、機能化された組織は、一定の目的、たとえば敵を滅ぼすためにーー組織が階層化されて、個人と組織に役割を割り振られているという理解でいいかしら?」


わたしは家庭教師に教えられたことを思い出しながら言う。


「すごいですねリュミフォンセ様。そのとおり、いえ私の説明以上の理解です」


「お世辞はいいわ、アセレア」わたしは地図を見ながら言う。「それで、今代魔王軍の特徴は、ただ群れていたこれまでと違って、軍が統率されて、機能化されていて手強い、ということね?」


「半分は正解です」


「じゃあ、残りの半分は?」


「敵の数ーーいえ、量です。魔王軍のモンスターは雑魚モンスターなので、とにかく数が多いのです。それは小分けにした攻撃が可能だということを意味します。機能化された軍隊が、各地に小分けにしてばらかまれているのです。ひとつひとつ潰していけば勝てますが、同時多発でこられると、さすがに守りの手が足りません」


今がその状態です、とアセレアが肩をすくめる。困るわね、とわたしは返す。


「敵の数は、どのくらいなの?」


「一説には、推定20万」


「にじゅうまん・・・」


その数が多いのか少ないのか。わたしはすぐにわかりかねる。


「参考までにアクウィ王国の人口は70万人。戦える種類の人間をかき集めて、さらにそのなかで魔王軍に振り向けられる戦力は、全国で2万人です。おおよそですが」


わたしは卓上の大地図を改めて見遣る。都市や砦に置かれた白い駒。そして、それらを取り巻く、多くの黒い駒。地図は、黒い駒に埋め尽くされ、白い駒はいまにも埋もれてしまいそうだ。


「そうです。この戦力ーー物量差ですと、都市や街の城門を下ろして守りを固めたところで、勝利は見えません。ゆえに、我々がーー騎士団長様が採用された作戦は、『機動的防御』です」


「・・・?」


知らない単語に、わたしは顔をあげてアセレアを見る。赤髪の護衛騎士は、良い姿勢のまままっすぐにわたしを見て答えてくれた。


「要するに、機動に優れた軍団を編成し、その軍で敵の軍勢を撃破してまわるのです・・・例えば、このように」


言って、地図上のロンファ近くの白い駒、4つのうち3つを動かして、黒い駒を跳ね飛ばす。地図の外に出た黒い駒は、9つにのぼった。ロンファの近くの黒い駒がなくなり、地図に空白ができる。


「幸い、魔王軍を構成するモンスター自体は強くありません。ですので、守りを固める人数は最小限にして、機動的な精鋭で各個撃破して敵の数を減らす戦術が有効なのです」


「お祖父様は、この機動防御のために、ずっと出陣されているのね」


「ええ、そのとおりです。現在、ロンファーレンス家の騎士団に加え、夏に冒険者を大量に雇い入れて、総勢2000名から4軍団を編成。そのうち3軍団を機動防御の任務につけています」


赤髪の護衛騎士は頷き、軍団の内訳を説明してくれた。冒険者を雇い入れたのは、逆に言えば彼ら彼女ら抜きでは、数が足りず、4軍団を構成できなかったということだろう。


「残りの1団は?」


「ーー。有事のために残してあります。公都ロンファに1団、およそ500名。ちなみに私は、その1団に形式上配属されていますが。・・・特殊任務中です」


直立不動の姿勢で答えるアセレア。特殊任務とは、わたしの護衛のこと。わざわざわかりきったことを言うのと、その声音がひっかかった。


「ーーアセレアは、機動部隊に付いて行きたかったの?」


聞くと、アセレアは小さく笑った。そして一度わたしから視線を外して、また視線をわたしへと戻した。


「リュミフォンセ様には、モンスターを倒してまわる、機動防御部隊をもう一部隊、新設いただき、その隊長になっていただきたいと思っています」


「わたしに?」


わたしはいぶかしく思い反射的に身を固くする。


わたしの”魔王の落とし子”としての力に気がついたーーということは無いよね?


わたしはアセレアを注意深く見る。彼女は口の端をあげて笑っている。どこか皮肉げに。


顔の中心にある薄いそばかすのあとは、今日は化粧によって隠れている。


しばらく見つめ合いーーというよりもにらみ合いをしていると、アセレアはふすっという音で笑いを吹き出した。


「冗談ですよ。お嬢様がお可愛らしくて、ついからかってみたかっただけです」


「じょうだん?」


「ええ、そのお綺麗なお顔とドレスは、婚約されるまで、綺麗なままでいていただかなければなりません」


ちなみに。わたしの婚活話は、2王子と1伯子、それぞれお見合い用の姿絵を互いに交換したところで終わっている。


2人の王子は金髪碧眼、上の王子は凛々しいし、下の王子は6歳ということでかなり可愛らしく描かれていた。背景は王城のどこかの部屋なのだろう。分厚い絨毯と高そうな調度も一緒に描かれている。


黒髪青目の北の伯子は武勇が自慢のようだった。なぜそれがわかるかと言うと、絵姿が剣を掲げて軍馬を駆っているところだからだ。何かの訓練のいち場面なのだろうか。写真や映像が無くて情報が少ないので、人となりを伝え聞くだけじゃなくて、絵でイメージを膨らませろ、ということなのだと思う。


さらにちなみにわたしの絵は、送る前にちらっと見せてもらったけれど、お屋敷の一室で楚々と立つ姿になっている。床にさり気なく置かれた魔導書は、わたしが魔法が得意だということを示しているらしい。肖像画の小道具ってそういう意味があるんだね。


「お嬢様が婚約されるそのときまで、我ら民らは一枚の盾となり、魔王の手からお嬢様をお守りする覚悟でありますので」


丁寧な彼女の言葉に感じる、武人の驕慢と薄い悪意。


国が大変であるなか、あなたは守られているだけの無力なお嬢さまで、しかもわたしを守るためにわざわざ貴重な戦力を割いているーーと。


そう揶揄されたのだ。


なるほど。言われてみるとごもっとも。


でも、わたしはちょっとかちんときたよ。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る