45 ゆったりとした暮らし
「ーーと。こういうことを踏まえて、次の話を聞いてもらいたいのじゃが」
「はい」
お祖父様の言葉に素直に返事をして、横のメアリさんを見ていたわたしは、顔を正面に向ける。
えっ、今の話が前置きなの? 前置き重すぎません? やだー!
・・・などと思いつつも、表面上は平静を保つ。むしろ微笑みを浮かべるくらいの余裕があるからね。ほら。公爵令嬢は、外づらの防御力がすごいんだから。
「実はの、儂は、公爵位を娘のラディアに譲り、隠退しようかと考えておる」
「・・・!」
爆弾発言。
お祖父様の言葉には、さすがに驚いて、わたしは言葉が出ない。
お祖父様はわたしを引き取って娘としているから、わたしは公爵令嬢なのであって・・・あれ? お祖父様が公爵位をラディアおばさまに譲ったら、わたしは公爵の姪になるから、公爵令嬢じゃなくなるってこと? そ、そんな日が来るなんて・・・!
「儂は、ロンファーレンス公爵位を引き継ぎ40年。もう充分に働いたと思っておる。長い目で見れば、そろそろ次代に引き継ぎ、次期公爵に経験を積ませるべきじゃ。それが長期的にみた国と領地の発展の道筋じゃと考えている。・・・ひとりが長く地位に留まるのではなく、順々につなげていく。多少至らぬ者も出てこようが、領地経営に長けた人材を数多くつくることで、この国は強くなっていくじゃろう」
自分の地位や権力に拘泥しない、自由なお祖父様らしい考え方だと思う。この国のことを一番に考えていないと、こういう考え方は出てこない。お祖父様は本当に気高い人だと思う。そして、領地経営のあり方には、わたしごときが口を出すところではない。黙って頷いておく。
「儂自身はロンファーレンス家の家長は引き続き続けるが、公爵位を譲ることで政治の表舞台からは身を引く。旧公爵が居ては、新公爵が政務がやりにくかろうて。隠遁先は、リンゲンを考えておる。その地名は知っておるか?」
「リンゲン・・・はい」
わたしは頷きながら、頭の中に地理を描く。そこはロンファーレンス公爵領内にある地名だけど、確か王国を横断するように西流するウドナ河の上流、源流に近い場所だ。深い森と山に阻まれ、僻地も僻地、という場所だったような気がする・・・。
「そう。『鳥しか通わぬ地』などと世間で言われておるな。あとは古戦場と鍵盤楽器の発祥地として有名じゃの。そこでじゃ、リュミィ、そなたはどうするかを、決めてもらいたい」
「わたし・・・ですか」
「儂についてくるか、ここに残るか、という選択になるじゃろう。
ここに残れば、そなたの後見は、儂の娘で新公爵のラディアに委ねることになる。もしそうなっても、ラディアからは姪にあたるそなたじゃ、扱いも邪剣にはせんじゃろう。王都にも馬車で1日で通える距離じゃ。地理というのはそう馬鹿にしたものじゃなくてな。縁組にも有利になろう。
儂についてきた場合も、もちろんできる限りのことはしよう。しかしなにぶん僻地であることには間違いなくてな。今のような欲しいものがなんでも手に入る便利な生活ということもなかろう。王都からも遠くなるので、縁組には不利にはたらくかも知れん」
「・・・・・・」
なるほど、これは判断が難しい。単純な気持ちとしては、お祖父様についていきたいけれど、わたしの将来を考えた場合、地理条件が悪すぎる。どちらを取るべきかを考えた場合、わたし自身、自分の人生をどう作っていきたいかという考えがないと、決められない。
前世日本で喩えたら、そうか、お父さんの赴任先の離島に家族で引っ越すか、地方都市にとどまって親戚のお家にご厄介になって、お父さんは単身赴任してもらうみたいなものね。
「いろいろ準備もある。時期は来年の夏を予定しておるから、それまでに決めるがよい。今雇っている使用人たちにも同じ話をする。一部の腹心は、政務が滞らぬよう、残る者とついてくる者とに振り分けさせてもらうが、他の使用人たちの身の振り方はそれぞれ決めてもらう」
■□■
そして回想から戻り、お屋敷の部屋、お祖父様を待つ時間。
まだ寝込んだときのダメージが抜けきっておらず、わたしの体力は完全に元に戻っていないのかも知れない。
わたしはチェセが積み上げてくれたクッションの山を脇息代わりにもたれかかりながら、お祖父様を待つ時間、うとうととしていた。葉陰を通り抜け、窓から入り抜けていく涼しい風が暑気に心地よく、それも眠りを誘うもとになっていたのかも知れない。
光も絶妙に外の樹々の葉で遮られて、木陰が部屋のなかに生まれている。自然の絶妙な配置がもたらす陰影が作る模様が、部屋全体とわたしに投げかけられている。
部屋にやってきたお祖父様に背後から声をかけられるまで、わたしの意識は夏の空に飛んでしまっていた。
「あ・・・お祖父様。ご足労いただき、ありがとうございまふ」
「なんだリュミィ。眠っていたのか?」
言いながら、お祖父様はソファを回り込み、わたしの隣に腰かけた。視線はふたりして自然と窓を覆う樹々の葉陰、そしてその向こうに見える青い空。
「身体は大事ないか、リュミィ。つらいのならば、寝ていなさい」
「体力は完全ではないですけれど、体調は戻っているので、大丈夫です。ただ、この部屋がとても心地よくて、ついうとうとしていました」
「この部屋が気持ち良いというのはわかるな。外の樹の枝の伸び方、影の落ち方が絶妙だ。自分の屋敷だというのに、これまで知らなんだな」
ほんとうに、とわたしが同意すると、お祖父様がうむと答えた。
「そなたから大事な話があると聞いたが?」
「はい、そのとおりです」わたしは首肯する。脇息代わりのクッションから離れ、腰から上はお祖父様へと向ける。「せんだっての選択のお話について、わたしの結論が出たのでお伝えしようと考えました」
「あの件か・・・猶予はまだ1年あるのだ、もっと慎重に、時間をとって考えても良いのだぞ?」
「しかしわたしのなかでもう結論は出ましたし、大事なことは早くお伝えしたほうが良いと思いまして」
わたしがそう言うと、お祖父様はそうかと頷き、
「ならば、聞こう」
そう言って姿勢を正した。わたしは緊張に一度唇を湿らせ、それから口を開く。
「お祖父様。わたしもリンゲンにお供させてくださいませ」
お祖父様は一度目を見開いて、そのあと眉間を押さえ、瞑目した。
「・・・理由を聞こう。そなたなりに、考えた結果であろう?」
「わたしは、大切な人と一緒に時間を過ごしたいのです。それがわたしの人生にとってなによりも大事なことなのです。最近、大切な人と別れる機会があって、それを思い知りました。ですから、いまはお祖父様とともにあることが、わたしにとっての最優先事項です」
「大切な人に、新たに出会うこともあろう」
「それはリンゲンに行っても同じことかと思います。それに、辺境でのスローライフにも少し憧れがありますし」
「すろーらいふ?」
「あ・・・。精霊語です。『ゆったりとした暮らし』というような意味だそうです」
と、わたしはつい口をついて出た言葉をうそぶいて誤魔化す。
「そうか。それがそなたが考えたうえでの判断ならば、それでいい。どの選択が人生にとって良いかは、ひとくちにはいえぬからな」
「はい。そう思います」
お祖父様は大きな手で自分の顔を擦った。わたしはその様子を見ながら、返事をして軽く頷く。
「ただーー」
お祖父様は言った。顔を擦った姿勢のままなので、表情はうかがえない。
「そなたが付いて来てくれると言ってくれて、嬉しいというのが正直な気持ちだ」
「ーーーー」
わたしは、お祖父様に飛びついて、その腕に頬をすりつけた。
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