36 衝撃





思うに、回想ってどうしても長くなりがちだよね。


だから回想が悪いのであって、わたし悪くない。なんてね。


でも、いろいろ思い出してると、普段考えないことを考える。




たとえば・・・。わたしがいま、本当に大事なひとはふたり。


もちろん、周りにいるのはみんな良い人たちばかりだし、大切だけど・・・。このふたりは際立って特別だっていうこと。


ひとりは、メアリさん。わたしを姉のようにやさしく見守ってくれる。ただのメイドと主ではないきずなを感じている。


もうひとりは、お祖父様。この異世界の貴族社会で、母は放蕩娘で父親がわからない、お荷物なはずのこのわたしを、養女として引き取って、娘として愛情を注ぎ育ててくれている。



その大切なお祖父様から話があると、夕食後、執務室へ呼び出された。


そしてようやく、子供のわたしには長い長い廊下を歩いて、執務室の前にたどり着いた。





■□■




執務室にある応接セットは、わたしにはまだソファの背が高い。ふかふかの革張りのソファに身体は沈むけれど、気を抜くと足が絨毯から浮いてしまう。仕方なくわたしはソファのへりによりかかるようにして浅く腰掛けて、お祖父様と相対する。


音も無く、しかしそれとわかるように、お祖父様づきの執事さんがわたしたちの前にボア茶の入ったカップを置いて、また影のように去っていく。お祖父様は向かいのソファに深く沈みこむと、疲れた吐息を肺の奥から絞るように吐き出した。夕食後の今まで執務をしていたのだから、それは疲れが貯まることだろう。


わたしはボア茶に白糖を小さじで二杯入れ、匙でかき混ぜる。子供の舌は甘いものを好むし、濃い目のこの茶は、そのままで飲むと渋みがあって苦い。


「・・・リュミィ、すまぬな。こんな遅くに呼んでしまった。だがなかなか手が離せなくてな。それに真面目な話をしたかったので、時間も選ばせてもらった。許しておくれ」


とんでもないとわたしは首を振る。


「お忙しいなかでわたしにまで気を配ってくれて、お祖父様には感謝しかありません」


「・・・そなたは相変わらず出来た良い子じゃなリュミィ。わしはとても鼻が高い。じゃが、もっと我儘に振る舞っても、良いのじゃぞ? 親というものはな。子供に迷惑をかけられるのも嬉しいものだったりするのじゃ」


「お祖父様、お言葉ですが、わたしはすでにやりたいことをやらせてもらって、ご迷惑もかけしています・・・ほら、水の精霊をメイドにしたりですとか」


お祖父様は、その件があった! というように顔を青ざめさせたけれど、けれどさすがに公爵を長年勤めているだけに、すぐに平静に戻った。少なくとも、表情に動揺は見られない。


「そうか・・・では、そなたは、現状に満足しておるということか?」


わたしは、お祖父様の動きに合わせて、白糖の甘さで苦さを中和したボア茶を口に含んだ。お祖父様の質問の真意がわからない。けれど、ここはまっすぐに正直な気持ちを言うべきだろう。


「はい。お祖父様がいて、メアリを始めお屋敷のみなも良くしてくれます。外出に制限はありますけれど、それはいまのわたしの立場を考えれば仕方のないことだと思いますし」


それに魔王の落とし子で、異世界転生者だけど、精霊界の助っ人もいて、なんとか問題も解決できているし。ときどき命の危機があるけれど、ちゃんと生き延びてるし。


こうして考えてみて、言葉にしてみて、わたしはひとつの結論に達して、にんまりと口元を緩めた。


「お祖父様」わたしは大事な人をまっすぐに見て、緩やかに微笑む。「わたしはいま、ちゃんと幸せです」


「う・・・む。そうか・・・そうか」


お祖父様は顔を隠すようにそっぽを向いて、ぐす、と鼻を鳴らした。そしてそのまま語ってくれた。齢をとって老い先が見えると、どうしてもあとに託すものの幸せばかりを考えてしまう。引き取った孫娘のリュミィのことは特に心配で、いつも気にかけている。その娘が幸せだと言ってくれて嬉しいーー。


わたしとしても、お祖父様が喜んでくれるのは嬉しい。


「では・・・リュミィ。そなた、将来についてどう考えている? 何か希望はあるか?」


「将来の希望・・・ですか」


わたしは右上方へなんとなく視線をやると、執務室の天井にある飾り壁画が目に入った。蓮華の花を模した薄紅色とオリーブ色が鮮やかだ。将来ことなど、あまり真剣に考えたこともなかった。貴族の女性の将来っていうと、政略結婚のイメージがあるけど、まだこの世界で11歳だしね? まだどこかに嫁ぐのは早いのかな、なんてことはなんとなく思っていたけれど・・・。


「たとえば、良いところに嫁ぎたいとか、王都に住みたいとか、そういう希望でもいいぞ・・・しかし」


「しかし?」


「冒険者になって世界を廻りたい、などとは言い出さんよな?」


それはこの世界のわたしの生母、ルーナリィの希望だ。お祖父様の声音には切迫したすがるようなものがあったので、わたしは即座に首を振って否定した。


お祖父様が気にしていたのはわたしが母と同じ道をたどらないかということか。


「今のところは、はっきりとしたものはありません。今の暮らしが、ずっと続けばいいなと思うくらいで・・・世界を廻りたいとは、思っていません」


そうか、とほっとした様子のお祖父様。きっと同じようなことをかつてルーナリィに聞いて、彼女の答えに、ひどく驚いたのだろうな。大丈夫、お祖父様。わたしは彼女と同じことはしないから。


「貴族としての栄達は考えているか? 立派な貴族になりたいとか?」


「それは・・・」


考えていないけれど、閃いたことがあったので、聞いてみることにした。


「ラディアおばさまはそう希望されたのでしょうか?」


「よくわかったの。そのとおりだ」


ラディア伯母様は、母ルーナリィの姉にあたるので、わたしからは伯母ということになる。しかし、貴族社会での栄達を望んだ姉と、自由を望み大貴族の地位を自ら捨てた妹。まったく正反対で、当時このふたりに共通点なんてなかっただろうな。あいだに入っていたお祖父様はさぞ苦労されたに違いない。


当時のことは置いておいて、わたしはお屋敷にずっと居て他の貴族との接点も少ない。特に貴族社会に興味も無いので、栄達についても興味が無いと伝える。お祖父様は、そうか、と頷いた。


「実はな、リュミィ。近々、大きな変化がある。今日はそのことで相談があってこうして来てもらったのだ」


そう言いかけて、お祖父様は止まって一瞬右上のほうをみた。


「・・・と、そういえば、もうひとつそなたに伝えねばならぬことがあったな。慶事じゃから、こちらを先に伝えておくか」




いかんいかんと頭をかいてお祖父様が次に伝えてくれたのは、衝撃の知らせだった。




「そなた付きのメイドのメアリに、勇者の一党パーティに加わるように王より要請があった。ふたつ返事で承知の返事をしておいたぞ。我が家から勇者の一党パーティに入る者が出るとは大変なほまれじゃな。リュミィ、そなたも嬉しいじゃろう?」




・・・は?


にこにこと笑顔で伝えてくれるお祖父様。けれど、あまりの衝撃に、わたしの頭にはお祖父様が続けた言葉はまったく入って来ていなかった。


メアリさんが、勇者の一党に入る? それはつまり、このお屋敷を出ていっちゃうってこと?


「な・・・ぜです?」


わたしの声はかすれていた。けれどそれぐらいしか言葉が出なかった。


「ふむ。確かにメアリはメイドかも知れんが、そなたを守って戦ったヴラドーーヴァンパイア討伐で貴族社会では名が売れていてな。さらにここの騎士団で訓練を重ねて、今では彼女と伍せるものは騎士団内でも2、3人ほどしかおらん。人格も清廉で、騎士団長としても推薦できる、申し分ない人材じゃ。きっと勇者を良く補佐し、魔王討伐を成し遂げるじゃろう」


「は・・・反対です! 彼女は、わたしのメイドです! 魔王の討伐なんて、メイドにはあまりにも危険すぎます!」


わたしは知らぬうちに立ち上がっていた。頭に血が登っている。興奮している。お祖父様が意外なところで反対されたと驚きの色を浮かべ、そして次にまた平静に戻る。


「まあ落ち着きなさい。知っているものが魔王討伐の旅に出ると聞いて心配するのは分かるが、メアリは騎士団長であるわしの目から見ても、一流と呼ぶに遜色ない戦闘技術を身につけている。さらに人類最強となる勇者とともに旅するのだ。そなたが思うよりも、ずっと危険は少ないとわしは思う。それに、人類を守る戦いに臨む勇者が求めたということは、すべての民からの要請にして王からの要請と同じことなのだ。断るわけにもいくまい」


「お祖父様はさきほどもっと子供らしく我儘を言っても良いとおっしゃいました!」


「その件はこれには当てはまらん。それに、当人の了承も先にあるのだ、雇い主に過ぎぬわしらが反対する筋もない。わしらができるのは彼女を支援して、快く送り出すことじゃ」


「いいえーーいいえーー、危険です、わたしにしかわからないことがあるのです、メアリは危険なのです! 勇者の一党パーティには、わたしが加わります! わたしが、魔王を倒して差し上げます!」


それはわたしにとって、一世一代の宣言だったのだけれど。


「いい加減にしなさい、リュミィ! そなたが魔法師の才能にあふれているのは知っているが、過信は身を滅ぼす。勇者の一党に加われるのは、本当の一流だけじゃ」


「では、わたしが魔法師として一流だと示せばーー」


「仮にそれができたとしても、許すわけがなかろう! そなたはロンファーレンス家の息女なのだぞ! それに、ロンファーレンス家がいくら横車を押したとしても、勇者が望まなければ何もならん。そのくらいのこと、わからぬそなたではあるまい」


「それでもーー」


わたしは唇を強く噛んだ。そうでもしないと、感情が爆発しそうだった。涙腺がゆるんで、視える世界がぼやける。


わたしは礼もそこそこに、身を翻す。わたしが出口のドアノブに取り付いたところで、お祖父様の声がかかる。


「待ちなさいリュミィ。そなた、どうするつもりじゃ」


「知れたことです。メアリ本人とーー話をします」


「そんなことをしてもメアリが困るだけーー待ちなさい! 落ち着きなさい、リュミィ!」




お祖父様の声を背に、わたしはドアを開け、走りだす。



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