35 長い廊下




わたしは、お屋敷の廊下を歩いていた。祖父様のお呼びがかかって執務室に呼ばれたのだ。珍しいことだ。


お屋敷の奥のほうにあるお祖父様の執務室。お仕事を邪魔しないようにと、わたしはあまり近づかない場所だ。


お祖父様は、公爵にして領主、ロンファーレンス家の家長、公爵家の騎士団長を兼任するお祖父様は毎日忙しい。手紙だけでも毎朝銀盆にうずたかく積まれている。それを執事長が運び、家宰が重要なものとそうでないものをより分け、その上でお祖父様が優先順位に応じて手紙に目を通し、判断、あるいは調査のうえ、返事をしたためるのだ。それとは別にお祖父様が決裁するための書類が山のようにあり・・・と、異世界でも日本でも、忙しいひとは忙しいと、そういうわけで。


わたしが歩く、廊下が長い。


艶のある木の装飾と暖色の壁紙、赤い絨毯と一定間隔ごとに置かれた装飾品や調度。外は既に暗く、蝋燭の灯りを模した魔法灯が壁で瞬いている。


わたしは、昨日のバウとサフィリアーー精霊チームとの話を思い出す。




■□■




「おっ、そうじゃ。魔王トーナメントの参加者は、魔王から誘われることはあるかもしれんぞ」


ぽん、と掌を拳で叩きながら、銀髪のメイド。


その足元に、踏まれている小さな黒狼・・・。


勝ち誇った顔のバウが、サフィリアに踏まれるまでの彼女の動作はまさに神速。眼の前で見ていたわたしは、事が起こるまで、反応できなかった。それはつまり、事が起こったあとはすぐに動いたということだけど。


「こらっ!」わたしは反射的に叫んでいた。「いじめちゃダメでしょ! 次にやったら、叩くからね?」


わたしは小さな黒狼を部屋の絨毯から拾い上げて保護する。バウも精霊だしサフィリアも手加減しているし、肉体的なダメージは無いようだけど、あっさりとサフィリアに攻撃を許してしまったのは、精神的なダメージがバウにあったようだ。


「そ・・・ういうことは、魔法杖で突き入れる前に言ってくれんかの・・・いつつ・・・」


「・・・で、サフィ、さっきなにか言いかけたけど、もう一度言ってもらえる?」


白い額をさすりながら、かなわんな、と呟いたあと、サフィリアは絨毯に尻をつけたまま話始めた。


「魔王になると、モンスターは魔王に忠誠を誓うし、勝手に集まってくるが、そのモンスターを束ねる将校級の上位モンスターがなかなか出てこんらしいのじゃ。そこで、魔王は人材を探しはじめる。思いつくのは、トーナメントで戦ったかつての敵たちじゃな」


「でも、それって、相手も了解するものなの? もともとは敵同士だったわけでしょ?」


「そこから先はもう魔王の手腕次第じゃの。ほだしたり、交渉したり、脅したり。力技の屈服は最後の手段じゃな。魔といえども王は王。腕っぷしだけじゃ務まらん面倒な仕事よ。

ーーしかし、ともに武器を交えたもの同士にしかわからないつながりを持つ魔王も歴代には居たらしい。多数の仲間に恵まれて、当時の勇者をだいぶ苦しめたらしいぞ・・・」


「そういえば、バウの好敵手ライバルさんはどうなったの? 魔王になったのは、違うひとだったんだよね?」


わたしは結局膝元に置いておくことにした小さな黒狼に話しかける。踏みつけにされたショックからは多少立ち直ったらしい。


(蒼白虎はトーナメントの本戦に出て、そこで負けたと聞いている。その後は行方知れずだ)


トーナメントのあと行方知れずって・・・それって・・・うん。聞いちゃってごめん。


(新たに魔王となったのは、『竜帝』だと聞く。老ドラゴンらしいが、個人の戦闘力だけでなく、政治もなかなか遣り手だと聞くな。野良モンスターをみごとに統率し、すでに4軍団の編成を終えたとか)


「そうなんだ・・・これから人間界も大変になるのかな・・・」


(とはいえ、人間は騎士団などの軍隊を擁しているだろう? 魔王軍も周辺の村や小さな街を襲うことはできるだろうが、いまの規模では城壁に囲まれた街を攻めるところまではいかないな。それに、人間界では勇者が指名されたのだろう?)


「うん・・・そう聞いているんだけど、勇者って、精霊界ではどういう扱いなの?」


(基本的には人間界と扱いは同じ、英雄だな。大精霊たちがこぞって支援する、選ばれし人間・・・というところだ。もともと資質の高いものが選ばれるが、大精霊たちが力を与えるので、人間の中では際立ったちからを持つ。敵対すれば手強い相手だ)


「あれ? 大精霊は勇者を支援しているの? 精霊は魔王トーナメントに出ているんだから、魔王側じゃないの?」


黒狼の仔は、ふるふると首をふる。


(精霊界も一枚岩じゃない。いろいろな考えを持った者がいるというだけだ。それに精霊には気まぐれな者も多い。そのときどきで魔王を支持したり、勇者を手助けする者もいる)


なるほど。争っているのは人間と魔王だもんね。直接戦いの当事者にならない精霊が、統一感なく自由な振る舞いをするのは、むしろ自然なのかもね。


「新たに選ばれた当代の勇者は、ルーク=ロック、17歳・・・ちんちくりんじゃの。出身はスロ、まあ西部の北辺、辺境のど田舎じゃな。勇者に選ばれるまでは、羊飼いをやっていたらしいの」


わたしも知らない勇者の情報を、すらすらと読み上げるように語るのは、銀髪のメイドだ。・・・いや、見れば、彼女は片手に収まる光るなにかを覗き込んでいる。実際に読み上げているようだ。


「サフィ、それ・・・」


「ん? すごかろ? わらわも人間界の事情にまったくうといというわけでもないぞ」


えへん、と胸を張る銀髪の水の精霊。たしかに引きこもりの期間が長かったので、世情にうとそうだとは思っていたけれど、情報が詳細すぎない?


「それもすごいけど、サフィが手に持っているのは、なに?」


「ん? これか? 魔法具『とーみぃ』じゃ。精霊界の最新文明品でな、これがあると、その場にいながらにして、遠くのことがわかるという便利なやつじゃ」


わたしが説明を求めてバウを見ると、黒狼の仔は首を振った。知らないということだろう。サフィリアの手の中にあるものは、円形のレンズのように見える。それを彼女は人差し指だけで操作している。ていうか、その動き、すごくスマホの操作っぽいんだけど・・・? 前世を思い出しちゃいそう。


「頭の固い暗黒狼には珍しいものじゃったかな? だが新しく生まれた文明の利器を使いこなしてこそ精霊じゃ」


そう言って銀髪の水精霊は勝ち誇った笑いを、暗黒狼の仔に向ける。情報提供、という面でも争っているつもりらしい。バウも実際のところ初めて見たらしく、なんだか悔しそうにしている。


うーん、その魔法具、すごく気になる。


けれど、わたしが質問しようとしたそのとき、サフィリアは唇に指を当てて、静かに、の合図をした。


そして手に持っていた『とーみぃ』とやらを握りつぶすようにして消した。円いレンズみたいなものは、霧状の水しぶきになって消える・・・どうやら本体は水で出来ているみたいだけど・・・?


「うむ、時間じゃな」耳をほんの少しそばだてたあと、サフィリアは言った。「・・・あるじ様は、精霊の話は、普通の人間に聞かせるつもりがないのじゃろ? それはわらわたち精霊ののりも一緒じゃ。精霊の人間への過剰な干渉や情報の漏洩は、禁じられておるからの?」


まあのりがあるからといって、それきちんと守るかどうかは別の話じゃが、と銀髪の水精霊は、床に腰をおろした姿勢のまま肩をすくめる。


と同時、部屋に響くノックの音。メイドのチェセが、黒狼の仔を引き取りに来たのだろう。なるほど、サフィリアはこの足音を聞いていたんだ。


入室許可の返事をすると、失礼しますという声とともに栗色の髪のメイドが姿を見せた。そして、あっと驚いて彼女は栗色の巻き毛を揺らす。


「さ、サフィリアさん! どうしてここに? いやそんなことより、リュミフォンセ様の前で床に座っちゃだめですよ! いえ、リュミフォンセ様の前でなくてもダメですけど!」


おう? ととぼけた声をあげるサフィリアに、入室してきたチェセが注意というか『マナー教育』を開始する。ううん、内容からいくと『人間界の常識教育』かな。とにかく出来の悪い生徒にもわかるよう、懇切丁寧な説明が必要なので、とても時間がかかって根気がいる作業だ。




お願いね、とチェセに声をかけて、わたしは黒狼の仔を、もうひとりやってきていた金髪のメイドに渡すことにする。メアリさんだ。チェセと一緒に来たということは、彼女も既に事情がわかっているということだ。


わたしは黒狼の仔を胸に抱き、戸口付近に立つメアリさんに近づく。


「あのね、メアリ。チェセが面倒をみてあげているこの仔、わたしも気に入っちゃった。飼いたいとは言わないけれど、もし手が空いているときに見かけたら、ご飯をあげてもらってもいいかしら?」


いけないことだとはわかっているんだけど、と付け加えると、メアリさんはふわと微笑んで、承知しました、と言ってくれた。



メアリさんは黒狼の仔をわたしから受け取った。


けれど、そこで何かに気付いたように動きを止め、手の中の黒狼の仔ーーバウを黄色の瞳でじっと見つめた。


あ。バウがただの動物じゃないって気づかれた。


わたしはそう直感した。背筋がさわりと冷えるのを感じる。


どうしよう。この場合、どこまで話すのが正解なんだろう。バウは特殊だ。闇の精霊の眷属で、暗黒狼で、わたしと主従契約を結んでいて、普段はわたしの影の中に入っていて、わからないことはいろいろ聞いているし、意外に賢くて人間界じゃわからないことをいろいろ答えてくれて、魔王トーナメントの関係者だ。


でも、全部をいまメアリさんに話すのは違う気がする。


どうしよう。


「ーーとても可愛い仔ですね。チェセがたまにご飯をあげていたのは知っていましたけど、改めてみると、みんなが夢中になるのがわかります」


「そう・・・でしょう! やっぱりメアリもそう思うのね!」


結局。わたしは、メアリさんの話に乗っかって誤魔化した。メアリさんは、どういう考えで、気付いたはずのことを言わないのだろう。


きっと、この人は、とても優しいからだ。


メイドだけど、わたしにとっては、実の姉みたいな人なんだ。


ーーメアリさんには、わたしの秘密をいつか伝えなくちゃ。


この人には、正直に、伝えておきたい。そう思った。




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