34 かわいいワンちゃん





わたしの部屋まで、チェセが黒狼の仔を連れてきてくれた。


「あの・・・このワンちゃん、いつもご飯を食べるとすぐにどこかに行ってしまうのに、今日はどこにもいかず、すごくおとなしいので、少し心配で・・・」


黒狼の仔をわたしに手渡しながら、チェセが言う。


「そうね、今日はちょっと元気がないみたいね・・・でも、動物だって気分があるわ。心配しなくても、平気だと思うわ。明日にはけろっと元気にしているわよ」


はい、と力なく頷くチェセに、わたしはいう。


「この仔のことは黙っておくから。ちょっと独りにしてちょうだい。大丈夫よ、変なことはしないから」


「リュミフォンセ様にかぎって、心配はしておりませんが・・・お屋敷のなかで放し飼いというわけにも行きませんから、あとで預かりに参ります」


ありがとう、と了解すると、チェセは一礼をして部屋から出ていった。


さて、これでこの部屋は、わたしと黒狼だけになったけれど・・・。


(ちっ・・・ちがうのだあるじぃー!!! あれは、そう、誤解なのだ!!)


わたしの腕の中で、黒狼の仔がいきなり騒ぎ出したが、わたしは構わず部屋の窓脇にある椅子のほうへと移動する。そちらのほうが話しやすいと思ったのだ。


(あ、あれはだな、我が自由を求めて駆け回っていたとき、小娘が食料を差し出してくれたのだ。いたいけな小娘の申し出を断るのにしのびなく、仕方なく・・・)


「バウ。あなた、『ワンちゃん』ってよばれてるのね?」


ーーオオカミなのに。


ぴたりと、わたしの手の中で黒狼の仔が暴れるのをやめた。そして精霊の眷属は本来汗などかかないはずだが、このときは脂汗をだらだらとかきはじめた。


(あれは・・・あの小娘が勝手にそう呼んでいるだけで、我が認めたわけでは・・・)


「それにしては、嬉しそうにしてたわね。ご飯をもらうのも、初めてじゃないんでしょ?」


(それは・・・それは・・・)


ご飯ぐらいはべつにいいんだけど。たとえ食べる必要がない種族だったとしても、楽しみのために食べたいときもあるもんね。ただ、自ら狩りをするんじゃなくて食べ物を恵んでもらうって、独立を重んじる『ロウプの誇り』はどこにいっちゃったのかなーっとは思う。けど、それを言葉にしちゃうのはさすがに言いすぎのような気がした。


おとなしくなってしまった仔狼を膝の上に乗せ、わたしは黒い毛皮の背中をゆっくりと撫でてやる。


「食べたいものがあったら、わたしに言いなさい。わたしはあるじなんだから、それを準備する義務があるわ。あるじからのご褒美だったら、狼の誇りプライドは傷つかないでしょ?」


(うむ・・・うむ・・・あいわかった)


撫でるたびに、仔狼は気持ちよさそうに目を閉じる。尻尾が一定のリズムでふわふわと揺れる。こうしてみると、本当に生まれすぐの子犬にしか見えない。うーんちょろすぎる。


この問題はこれで解決だ。じゃあ本題に移ろうーーそう思った、そのときだった。部屋を漂うエテルナが一瞬乱れ、つぎの瞬間にはざばりという水音がした。異変を感じたほうをみれば、そこにはメイド服姿の、銀髪の少女が突然現れていた。


えっ・・・ええっ?! サフィリア? どこから来たの?


「ぬふっふっふ。おどろいておるな、おどろいておるな? わらわにはこういう特技もあるのじゃ、どうじゃすごかろ?」


「たしかにすごい・・・けれど」


見れば、花が活けてある水盆の近くにサフィリアは立っていた。水の精霊というのは、水を媒介にして移動できるということだろうか?


視線の動きだけで、わたしの考えていることがわかったらしい。水の精霊兼銀髪の新人メイドは、にやりと不敵な笑いを浮かべる。


「人間というのは不便なものじゃな。精霊であれば、その属性のものを媒介して、移動したり情報を伝えたりできるのじゃ。水の精霊ならば水を、火の精霊ならば火を、闇の精霊ならば影を介してな」


やっぱり。それは確かにすごい。その気になれば、こうして閉じられた部屋まで入ってこれるのだから。でもわたしが知らないだけで、対策もありそうな気がする。あまりにも便利すぎる能力だもんね。でもそれはそれとしてーー。


「どうしてここにやってきたの?」


「それはじゃな、そこなワンちゃんシヤンがあるじに怒られていそうな気配を感じてな、それを見物にきたのじゃ!」


がくり。


な、なにそれ。


バウとサフィリアはまだ打ち解けておらず、折り合いが良くない。なので、チェセあたりに聞いて、バウがわたしに怒られそうだと推測し、それを見物するために部屋に忍びこんできたということだ。


このあたりでサフィリアはわたしのことがまったく視界に入っていない。膝の上の仔狼を見つけて、からかい始めた。


「おお、ワンちゃんシヤンワンちゃんシヤンそこか! 今日はなかなか愛らしい姿ではないか、これならわらわも可愛がれるな。ほれ、ちゅーしてやろうか、ちゅー」


(やっ、やめろ! この水たまり精霊め!)


ああ、このふたり騒ぎ始めたよ。チェセのいるメイドチームではともかく、精霊チームのなかでサフィリアを抑えていくのは大変かも知れない。


やめなさい、とわたしは銀髪のメイドの手から、まずバウを取り上げる。


「サフィ。呼ばれてもいないあるじの部屋に忍び込むのは、メイドとして相応しい行いかしら?」


「・・・ひょっとして、いかんのか?」


あぅ。そうきたか。


・・・なるほど、こいつぁちっと骨が折れそうだぜ! 言うこと聞かせるまでにはなッ!


タフなハードボイルドおじさんを頭に思い描いて自分自身を鼓舞しながら、わたしはきょとんとしているサフィリアのお説教を始めた。




■□■




「それで、本題なのだけど・・・」


わたした切り出すと、黒狼と銀髪のメイドはこちらを見た。窓枠に水滴がついている。部屋の窓の外、白い空にしとしとと降り出した雨。


わたしの心配事は、こうだ。魔王トーナメントの本戦が終わり、魔王が決まった。そのあと、魔王はどう動くのだろう。権力を握った王は、反乱分子の制圧に乗り出すのではないだろうか。具体的には、魔王トーナメントに中途半端に参加したわたしとか、負けたのに生き残っているバウやサフィリアとか・・・。


「まあ、わざわざ攻めてこんじゃろ。勇者も決まって、魔王も対応に忙しかろうて」


銀髪のメイドは大股開きでストールに座って言った。スカートが長いから大事なところは見えないけれど、行儀の悪さを本当にわかってもらうのは大変そうだ。


「現に、わらわも長く生きてるが、魔王トーナメントに参加するのは初めてではないからの。まあ本戦に出たことはないのだが」


「そうなの?」


「おう、暇つぶしで最初だけトーナメントに参加する精霊は結構居ると聞くぞ? 長生きしてるとヒマじゃからな?」


なるほどね、とわたしは頷いて、ふと思う。


「ねぇ・・・精霊ってなにものなの?」


「んん? 『精霊とは何かか』・・・深い、良い質問じゃの・・・ふふ・・・。じゃが、答えは『知らぬ!』じゃ!」


えっ、ええ〜?? サフィリア、自分のことでしょ?


「じゃあ逆に聞くが、あるじ様そなた、『人間はなにか』と聞かれて答えることができるか?」


「う・・・確かに改めて聞かれると、一言で答えるのは難しいかも・・・」


人間とは何かって、つまりはわたしとはなにか? ってことだよね。なんというか、わたしはわたしとしか答えようが無い気がして、何か哲学的な、深遠な問いかけをしてしまったような・・・。


銀髪のメイドに言い負かされそうになっているわたし。だがさらりと正解を口にしたのは、絨毯の上でおすわりの姿勢をとっていたバウだった。


(世界には、エテルナが溜まりやすい場所がある。そこにエテルナが大量に溜まり集まって、かたちを持ち、それに人格が宿ったものが精霊と呼ばれる)


えっ、はあ、なるほど、わかった気がしてきた・・・・。


(ちなみに、精霊の眷属は、こう定義される・・・エテルナの濃い場所にいた生き物・・・植物や動物がエテルナを過剰に摂取して、突然変異してさらに上位の存在になったもの。そういうものらしい)


ふむう。じゃあ闇の精霊の眷属であるバウは、もともとは闇のエテルナの濃い場所に住んでいたオオカミさんだったということなのかしら?


そう聞いたら、バウは『そうかも知れん。覚えていないが』ということだった。


(そして人間はといえば・・・そういう生き物だとしか言えないな。器用な手足と高い知能を持ち、道具と言語と魔法を操り、高度な文明と都市を築きあげ、種として大陸の覇者となっている、そういう生き物だ)


はぁ〜、とわたしはため息をついた。


「バウ・・・あなた、賢い子だったのね」


(うむ・・・我もそう思った。賢さというのは、比べる相手がいて初めてわかるものなのだな)


「まてい。その発言は、まるでわらわが賢くないと言っているように聞こえるのだが?」


犬歯をむき出しにしてサフィリアが唸るが、さきほどとうってかわってバウは涼しい表情。


あっ、これ、勝者の余裕ってやつだ・・・。






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