31 夜宴と独白
「それでですね、わたしはアセレアさんとおしゃべりしながらのんびりとお茶を飲んでいたら、突然ですよ、こーんな大きい、青い魚のモンスターがですね、湖からざばーっと・・・」
後輩メイドのチェセが、先程から体験談を元気に語ってくれる。わたしたちは部屋でメアリさんのお茶を楽しみながら、体と心を休めている。
わたしたちは、人間に擬態したバウが漕ぐ船で、使用人の皆がいる小島へと戻ってきた。バウは人間形態を解き、いつものように影の中に戻っている。バウは通りすがりの冒険者という役柄をこなすために、着岸のあと、わたしたちと別れる芝居をしたときは、大根役者すぎて思わず笑ってしまいそうになったけど。
使用人の皆さんによると、ついさっきまで湖に白波が立つほどの、大荒れで嵐の前触れかと恐れていたところに雷鳴やら巨大なモンスターの姿が遠望できるなど、ちょいと刺激的なエンタメがあったようだけれど、みんなには特に被害はなかったそうだ。やれやれ。
使用人のみなさんは不穏な気配を感じて、ひとところに集まっておとなしくしていたそうだが、わたしがちゃんと無事に戻ったし、湖も穏やかさを取り戻したということで、いまは再び活気を取り戻している。宴の準備という名の軽い宴を張りながら、夜からの本格的な宴の準備を再開している。わたしたちがいる部屋の窓から見える裏庭では、美味しい料理とお酒と音楽と歓声とが切れ目なく続き。気づけば、陽がだいぶ傾いている。
「・・・アセレアさんがばったばったと魚たちをなぎ倒すんですけどね、多勢に無勢、だんだん押されて、もうダメだと死を覚悟したそのとき! 颯爽と現れたのが『麗しの黒衣の君』! あっという間に半魚人たちをなぎ倒して・・・」
チェセの熱い体験談は佳境にきたようだ。身振り手振りに迫力があって、不思議と聞き入ってしまう。アセレアは満足げに、メアリさんも楽しそうに笑っている。けれど、先程から同じ場面が繰り返されているような気がするけど気のせいだろうか・・・。というか、『麗しの黒衣の君』って誰のことだろう?
夕闇が濃くなって、夜の宴が始まった。わたしを楽しませるという名目なので、最初だけわたしも参加する。芸達者なひとたちの宴会芸を見てひとしきり楽しんだあとに、疲れてしまって早々に引き上げてきたわたし。護衛としてメアリさんとアセレアが一緒だ。
しかし、自分の部屋ではなく、その隣の部屋をノックする。返事は無いけれど、ノブををまわすと、鍵はあいている。
「ふたりはここで待っていて」
暗い部屋にわたしが言うと、護衛役のふたりはむずかしそうな顔をした。特にメアリさんは、わたしの耳元にささやくようにして訊いてきた。
「彼女は精霊なんですよね? おひとりで大丈夫ですか?」
わたしは殊更に笑みを作って、何も言わずに黙って頷いた。もし何かあったとしても、またメアリさんを精神支配するのは心苦しいからね。
部屋の中は暗かった。部屋のぬしは灯りもともしていない。けれど窓から入る弱々しい夜の光が、部屋の家具の輪郭を陰影に落とし込んでいた。家具にぶつからないように気をつけながら、わたしはひとり、部屋の中に入る。
「おじゃまします」
扉を閉じる。返事はない。
けれど、部屋のぬしはすぐに見つかった。彼女は窓際に椅子を持ってきて座り、そこからぼんやりと宴の様子を眺めている。
外の暖色の灯りに、彼女の銀色の髪が淡く輝いている。窓の外を眺める無垢で無防備な表情が、彼女の雰囲気を幻想的なものにしていた。
「水の精霊さん」迷ったすえ、わたしはこう呼びかけた。「ご機嫌はいかが?」
「・・・・・・・・・・なつかしいのじゃ」
しばらくの沈黙のあと、そんな答えが返ってきた。
わたしは部屋の薄縁を踏みながら、彼女へ近づく。
「むかし、もう思い出せないくらいむかし。ここにも村があって、村人たちは祭りの時期に集まって、夜どおし騒いでおったわ。けっして豊かではなかったが、楽しかった・・・遠くから見ているだけのわらわでも、楽しかったわ」
わたしは彼女のそばにたち、窓の外を一緒に眺めた。いくつも立てられた灯りのもと、みんなが飲み食いし、おしゃべりをしている。エールや
「わらわは、この土地の
彼女の独白は続いている。眼下では、宴の会場の奥のほうで、大きな篝火が立ち昇った。昼間のうちに組んでおいたやぐらに火をつけたのだ。天をこがすような大きな炎に、歓声があがる。
「じゃが、あるとき、長い長い湖の奥に、立派な石材が取れる山が見つかった。人が集まって大きな街ができた。ここにおった村人も、魚を取るよりも実入りがいいからと、大きな街へと移っていった。ひとり減り、ふたり減り・・・残ったのは、わらわだけだった」
そして精霊の住まう地ができた。
「それから、また幾年過ぎたのかはもうわからぬ。200より先は、数えるのを辞めたからの」
水の精霊はずっと孤独だった。どうしてこの土地を去らなかったのか。人とは違って生活に困らない精霊には、生まれた場所を去る理由がなかったのかも知れない。いつか誰かが戻ってくると信じていたからかも知れない。人とは違って何年経っても風化しない思い出を、捨て去るのが忍びなかったからかも知れない。
確かめる気にはならなかった。傍にいるだけで伝わってくる、夜気のような寂しさだけで充分であるような気がした。
「
「え?」
「・・・わらわの特殊能力の名前だ。わらわはおぬしに殺されたが、生き返ったであろう? あれは、『一度だけ蘇ることができる』という能力ゆえじゃ」
「・・・・・・」
わたしは思い出す。最後に水龍を雷槌で撃ったあと、確かに敵を倒したときに出る虹色の泡が生まれていた。そのあとに、彼女は白い光とともに現れた。あれは、復活の能力が発動していたためだったのか。
「あれはの、信仰のあかしだったんじゃ」
「しんこうのあかし?」
「そう。
彼女は言い直した。
「特殊能力『だった』のじゃ。いまそれも失われてしまった・・・」
あれは絆のあかしであり、桎梏でもあったのだな、と彼女は呟いた。
「・・・さて。そういうわけで、わらわは、ここに居る意味と目的を無くした。想いは使われてしまったわけじゃからの。寂しくないと言えば嘘になるが、しかし自由にもなったということだ」
そして独白が終わった。宴の炎はまだあかあかと窓の外で燃えているが、水の精霊は窓から視線を外し、わたしへと体を向けた。銀色の髪、水色の瞳。まるで湖の水を凝縮したような、透き通った瞳がわたしへ向けられている。
「どうする? 精霊を打倒したものは、精霊を使役する権利をもつ。それが精霊の
そんな法が精霊にあるなんて知らなかった。そして『権利がある』ということは、拒否もできるということ。彼女を望むも望まないも、わたし次第。
けれど、『彼女を望まない』という選択肢は無いような気がした。彼女に来るように誘ったのは、わたしのほうなのだ。・・・あのときはなんとなく言っただけなんだけど。
「ええ。よろしく」
わたしは、握手のために手を差し出す。悩む素振りはみせずに、すっとスマートにね。
公爵令嬢は、思い切りの良さで評価されるものだから。
「そうか」銀髪の少女は、水色の目を見開く。「・・・・・・そうか」
そしてわたしの手が、ぐっと握られた。
「わらわの名は、サフィリアという。大事な名じゃ。これからよろしく頼む」
「わたしはリュミフォンセ。リュミフォンセ=ラ=ロンファーレンスよ」
「わかった。いまこのときより、わらわは汝を我が主とし、仕えることとしよう」
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