26 白いドレスの湖畔の少女①
遠い湖面に白いドレスをまとった銀髪の女の子が立っている。
それは見間違いとするにしてはあまりにもはっきりと見えていたし、それに・・・その女の子は、わたしを招いているように見えた。
「リュミフォンセ様? どうかされましたか?」
メアリさんに呼びかけられて、わたしははっと意識を取り戻す。知らないうちになにかに引き込まれていたようだ。
「ねえ、あそこに誰かが・・・あっ?」
白いドレスの女の子は、わたしが指さした瞬間、糸が切れたように崩れ落ちた。そして高い水しぶきを立てて、湖に沈んだ。
「!!」
わたしは皆が足を崩して座っていた敷物から、ひとり立ち上がる。
「リュミフォンセ様?」
「どうされましたか?」
他のふたりも、怪訝そうに問いかけてくる。わたしは目撃したことを説明したが、みな白いドレスの女の子に気づいていなかった。
「大きな魚が跳ねて、それと見間違えたのでは?」
騎士アセレアは、たしかにありそうな常識的な見解を口にした。たしかにかなり遠かったし、わたしが見間違え得たということはあり得た。けれど、わたしを招いていたようなあの感覚・・・。あれは説明できない。
けれどここでそう主張するのは良くないことのように思えた。久しぶりに、人外のものがわたしを標的としているのかも知れない。もしそうだとしたら、みんなを巻き込むべきじゃない。
「そうね、きっとわたしの見間違いね・・・でも精霊でもいそうなすてきな景色だから、見たいものを見てしまったのかも知れないわ」
「リュミフォンセ様は想像力も豊かでいらっしゃるのですね・・・! とても素敵だと思います!」
わたしが話をあわせると、顔の前で手を組んだチェセが、瞳をキラキラさせてわたしを見てくれる・・・なんだか良心がいたいんだけど。
そのあとにまた皆でしばらくお話をして、おかわりのお茶も尽きたころに、わたしはゆっくりと立ち上がった。
「本当にきれいな景色。わたしはこのあたりを少し散策してくるわ。皆はここで休んでいて」
「リュミフォンセ様が行かれるなら私も行きましょう。このあたりは安全そうですが、野良モンスターがいないとは限りませんから」
立ち上がろうとしたアセリアをわたしはそれには及ばないと制する。
「大丈夫よ。それに、ひとりで風に当たりたいきぶんなの」
しかし、と食い下がったアセリアの肩をぽんと叩いたのは、メアリさんだった。
「それでしたら私がお供いたしましょう。・・・アセリア、任せてもらっていいかしら?」
メアリが言うなら是非もない、とアセリアは肩をすくめる。
メアリさんはありがとうと微笑んだあと、その柔かいけれど是非を言わせない笑顔をわたしに向けた。
「それでは参りましょう、リュミフォンセ様」
現地の動物が踏み固めたような道が湖岸にそってあるだけで、基本的には野原の中をゆくような散策だった。水気を含んだ風が気持ち良いけれど、靴を汚さないようにするのは少し難しそうだった。
「メアリ、ついてきてくれてありがとう。他の皆は楽しんでいるときなのに」
「とんでもないですよ。私はリュミィ様と一緒にいるときが一番楽しいのですから、そのような心配はご無用です」
この観光旅行はわたしのピクニックの名目だけれど、裏の目的は使用人の皆さんの慰安なのだ。それでも主人であるわたしの世話をゼロにはできないので、こうして付いてきてくれている。
「それに、私とチェセはメイドとは言え行儀見習の身分ですから、他の使用人の皆さんとそこまで仲が良いというわけでは無いのです。アセレアは騎士団所属ですし」
そうなんだ! 同僚というよりも、なんだろう、現代日本で言ったら親会社の幹部社員と関係会社の社員の関係みたいなものなのかな。
「でも、メアリはお休みをほとんど取らないでしょう? ときどきは休んだり遊んだりしたいと思わない?」
わたしが聞くと、メアリさんはくすっと笑った。
「リュミィ様はとてもお優しいのですね。大丈夫です、交代で休ませてもらっていますから」そしてわたしへ瞳を向ける。「けれど、今の私のお仕事は、リュミィ様のお世話をすることですので。そして今はお仕事の時間です」
「でもメアリは騎士団の訓練まで受けているでしょう? すごく忙しそうに見えるわ」
その訓練のおかげで、メアリさんはいまやメイド兼護衛の仕事ができるようになった。レベルの高さも相まって、戦闘技術は相当な力量になったと聞いている。複雑な気持ちはあるけれど、そのおかげで、護衛役のメアリさんとふたりで出歩けるのだ。
「騎士団訓練を一緒に受けていると言っても全部じゃないですよ。あくまで私はメイドですから。それに、私が望んでやっていることです。私はとても幸せなのですよ、リュミィ様。やりたいと望んだことをすべてやらせてもらっているのですから・・・多くの人に認めてもらって、幸せすぎて、怖いくらいなんです」
なんて出来た子なんだろう・・・わたしは感動した!
こういう人が上に立つべきだよ。もうメアリさんが公爵令嬢になればいいのに。
あれこれと話しているうちに、さっき白いドレスの女の子がいたあたりまでやってきた。
魔法を使って水面に浮いていたのなら、なにかしらのエテルナの痕跡がありそうだと思ったけれど、魔法の痕跡は見つからなかった。そうなると、あれは、幽霊・・・?
ぞっとするような想像を打ち消しながら、小島の縁に沿って、もう少し先まで行ってみることにする。
この湖は古代に海底が隆起し、さらに氷河に削られて出来たものだというので、結構な水深があるのだという。だから大型の水棲生物がいても不思議じゃないけど・・・幽霊がいても不思議じゃなかったりして。
そんなことを考えていると、ちゃぷりと水面に顔が生首のように出た。
突然すぎるエンカウント。
「ひっ・・・!?」
銀髪の女の子。整った顔、閉じられた目。不思議なのが、その首が、髪が濡れていない。湖水から出てきたはずなのに。
あれがきっとさきほど見えた女の子だ。
「で・・・でた・・・! メアリ、あそこ、生首!」
怯えたわたしは銀髪の生首を指差す。
「え? どこです!?」
メアリさんは腰を落として戦闘体勢に入りながらも、わたしが見えている生首が、メアリさんには見えていないようだ。いつの間にか陽が雲に入り、湖水からはうっすらと靄が立ち込め始めている。
ううう、不気味! わたしにしか見えないってこと?
すーはーと気を落ち着かせるために意識して深呼吸。わたしは口を手で押さえて幽霊の不気味さに耐えながら、必死に考える。
まず落ち着く。落ち着くのリュミィ。あれは幽霊かもしれないけれど、幽霊じゃないかも知れない。幽霊じゃないとしたら何? モンスター? 自分にしか見えないモンスターっているものなの? うー幽霊なんてキライ気味が悪い! 背中がぞくぞくするよ!
いや落ち着いて。落ち着けわたし。
特定の誰かだけに姿を見せる方法はないけれど、特定の誰かに姿を
そうだ、可能だ。わたしにだけ姿を見せる方法がある。
なんていったっけ、あの魔法? ーーそうだ、認識阻害。認識阻害の魔法だ。相手に自分の存在を
きっとこういうからくりだ。周囲のみんなに認識阻害の魔法をかけ、わたしにだけ認識阻害の魔法をかけない。そうすれば、わたしにだけ認識できるということになる。
わたしにだけ見える、不思議な少女に、生首の出来上がりだ。
からくりはわかったけれど、あの少女はいったいなんなんだろう? なにが目的なんだろう。いたずらだったら手が込みすぎじゃない?
「リュミィ様? ご気分が悪いのですか? 大丈夫ですか?」
「わたしは大丈夫よ、メアリ。でも見えないかも知れないけれどそこに何かがいるの。油断しないで。ーーっ?!」
話をしているうちに、生首の少女のあたりに、大量のエテルナが集まるのが感じ取れた。
大きな魔法の動きだ。
急な変化で止める間もない。魔法が発動してしまう!
わたしはとっさに防御魔法を展開しようとしたが、攻撃魔法は飛んでくることはなかった。
けれど、あたりに、濃密なエテルナのーー生物のエテルナの気配が、増えた。
湖のなかに、たくさんの生き物がうごめいているのが、エテルナの気配からわかる。さっきまでは絶対にいなかった。さっきの魔法は、召喚魔法か何かだったのだ。そして、それらは、水面に、というよりもわたしたちめがけて集まり動き出している!
ざっぱーん!
はっきりとした水音、水しぶき。
現れたのは、わたしの語彙で言えば半魚人だ。人型の青い鱗。顔は耳のついた魚だが、屈強な体は人間に似ている。屈強な手足には鋭い爪と水かき、魚の口には鋭い牙。それが一頭だけではない、湖からわらわらとあがってくる・・・気配からすると20頭はいそうだ。
「ブルーサギハン・・・! リュミィ様、わたしの後ろへ」
今度はメアリさんにも見えているらしい。メアリさんは、ただちにメイド服のスカートの下、太ももに巻き付けたベルトにあるダガーを2本引き抜き、逆手に持って構える。
「ギシャギシャギシャァァァ!」
半魚人たちはやる気だ。説得なんてしているヒマはなさそうだ。
まずは、湖からあがってきた先頭の3頭が一斉に襲ってくる!
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