13 帰還





「はっ・・・りゅりゅりゅ、リュミフォンセさまっ!」


「公爵様に、みなに、はやく知らせよ! はやく!」


「おじょうさまが、おじょうさまがー!!」


「お嬢様ッ・・・お嬢様の、おかえりですー!」


おかえりですぅーおかえりですーおかえりですぅー!!!・・・


の声がお屋敷じゅうに響き渡る。


「はは・・・た、ただいま・・・」


わたしはどんな顔をしていいかわからないまま、ばたばたとお屋敷を駆け回ってわたしの帰還を伝える使用人さんたちのあいだを抜けて、お祖父様の元へと向かう。


お屋敷を抜け出していたのはたったのひと晩だけなのだけど、みんなの様子からかなりの大騒ぎだったことが伺える。一応、『でかけてきます。2,3日で戻ります』って置き手紙は残したんだけど、そりゃあ公爵令嬢がいなくなれば騒ぎになるよね。考えてみれば、こんなふうに勝手にお屋敷を抜け出したのは初めてだし、ずっといい子で通してきたから、余計に反動があるのだと思う。


おじいさまにも怒られるんだろうなあ。


けれど、わたしには秘策がある。それはステイタスカードだ。新しく作ったわたしのステイタスカードを見せる。わたしがエテルナを扱えるようになったところを見せて、お祖父様を喜ばせるのだ。なんならひとつふたつ、魔法を披露してもいい。8歳で魔法が使えるようになることは、結構すごいことらしいので、それでおじいさまに褒めてもらう。そしてそれで今回のお屋敷抜け出しをウヤムヤにしてしまうのだ。


うむ、我ながら完璧な作戦。どうだ。どうせなら街でお祖父様にお土産も買うべきだったろうか。


「リュミィ!」


廊下の正面から聞き慣れた、けれど威厳のある声。


「おっ・・・おじいさま」


怒られることを覚悟していたはずだけど、気後れしてしまう。お祖父様に怒られるのは、やはり怖い。ダンジョンの冒険とはまったく違う。


ずかずかと大股で、お祖父様はこちらに向かってくる。公爵と騎士団長を兼ねているだけあって体躯も大きく、白ひげも手に持つ黒杖でさえ人を圧する自然な威がある。


お祖父様はわたしの前まで来ると、片膝をついてわたしと目を合わせた。深い眉間のしわ。黒い瞳。目つきが鋭い。


怖い。まずい。予定では言い合いを最初にするつもりだったけれど、そんな余裕はない。いきなりご機嫌取りのカードをきろう! とおろかなわたしは思った。


「た、ただいま戻りました、おじいさま。それで、わたし、ついにステイタ・・・」


ぱぁん。音がした。


わたしの動きは完全に止まっていた。カードを取り出すために探っていた懐のなかで手は止まっている。


お祖父様がわたしの左頬を平手で張ったのだと遅れて理解した。自分のことなのに、どこか遠くの世界で起きている出来事みたいだった。


ただお祖父様の鋭い目が、あふれる何かをこらえようと必死な瞳なのだとわかった。


次の瞬間には、わたしはお祖父様に抱きすくめられていた。


「リュミィ。・・・よくぞ、ぶじで戻ってきてくれた・・・」


お祖父様の筋肉質な体が、小刻みにふるえている。よく見れば、かきむしったように乱れた白髪の髪。青白い額。わたしが消えたたった一晩で、お祖父様はずいぶんと憔悴していた。わたしを心配してくれていたのだ。


わたしはばかだ。


「ごめんなさい・・・ごめんなさい、おじいさま・・・」


目から涙がこぼれて、次々に頬を伝う。


わたしはばかだ。


わたしは、自分がこんなに愛されているのを、知らなかった。





■□■




「リュミフォンセ。戻ったのですね。心配しましたよ」


お祖父様とわたしが抱き合って涙を流していたとき、女性の声がかけられた。視線を向けると、豊かなブルネットの髪、ブルーのドレスを着た女性がいた。わたしはその人を知っていた。


「ラディアおばさま」


わたしはその人の名前を呼んだ。お祖父様の娘で、いまは嫁いでいるためお屋敷からは出ている。わたしから見れば伯母にあたる人だ。


「貴女がいなくなったと聞いて、早騎車を使ってやってきたのです。無事で良かったわ。けれど、貴女、みなにどれだけ迷惑をかけたかわかっていて? 街娘とは違う、公爵令嬢がなんの供もつけずに外を出歩くことの意味と危険を理解していて? そもそも何故この屋敷を出て、どこに行っていたのです」


「ごめんなさい、おばさま。わたし、外の世界を見てみたくて・・・ロンファの街へ行っていました」


「『外の世界を見てみたくて』」わたしの言葉を繰り返すと、伯母様は何かをこらえるように強く息を吐いた。「まるで『あの子』みたいなことを言うのね。血のせいだなんて言いたくはないけれど、やはり争えないものなのかしらね」


ぎゅっと、わたしの背を抱くお祖父様の腕のちからが、強くなったような気がした。ラディア伯母様はお祖父様の後ろに立っている。わたしとは目が合うけれど、お祖父様からは伯母様の様子は窺えないはずだ。そして、お祖父様がいまどんな顔をしているのかは、伯母様からも、わたしからも窺えない。


「リュミフォンセ。貴女は今回のことの罰として、これから3日間、お部屋から出てはいけません。謹慎です。お父様は貴女に甘いから、私から言うのですよ。これでもぬるすぎるぐらいです。むろん、今後も許可なくお屋敷を出ることも禁じます」


わかりました、とわたしが頷くと、ラディア伯母様はかつかつとわたしたちのほうへと近づいてきた。そして腰をかがめ、お祖父様の耳元でささやく。声を潜めたのは、使用人たちに聞かせないようにするためで、けれど、わたしに聞かれても問題ないと考えているようだった。


「お父様。いまのやり取りを聞かれていらっしゃったかと思いますが・・・家族の情と貴族の責任とは切り離して考えるべきです。


やはり『あの子』の娘は、貴族の責務を負うのに向いていません。果たすべき責任よりも自分の自由を愛する型の人間です。情に溺れて、家運のご判断をあやまることのないようお願い致しますね」


なんのことだろう? 子供のわたしの知らないところで、何か大事な話が進んでいるようだった。それに、ラディア伯母様が繰り返し話をしている『あの子』って、誰のことだろう。なんとなく想像はついているけれど、わかりたくない自分がいる。


「・・・お前は正しいよ、ラディ。私も家長として、よくわかっているつもりだ。すべてはあるべき姿へ、為すべきことを為すことを、約束しよう」


お祖父様は、肺の空気を絞り出すようにして言った。


「流石お父様です。責任を重んじる正義の人だと信じておりました。尊敬しています」


そして、ラディア伯母様は綺麗に化粧がされたかんばせをわたしに向けた。


「リュミフォンセ。あなたもお祖父様の言うことを良く聞いて、ちゃんとした貴族におなりなさい。間違っても、冒険者にかぶれたりしないように」


わかりました、と頷くわたしの声はかすれていた。


しかしそれでもラディア伯母様は満足そうに頷き、優雅にいとまの挨拶を告げると、わたしたちの横を通り抜けて去って行った。




■□■




「つかれた・・・」


その日はお祖父様にもう勝手に外出しないことを誓い、さらにメアリさんを始めとするメイドさんたちに泣かれ、彼女たちとも勝手に外出をしないことを約束することになった。さらに全力で謝り倒して、そして自室に引き上げてきた。


どっと気疲れをして、もそもそとベッドに潜り込む。


たった一晩、無断外出しただけだったのに、お屋敷はものすごい騒ぎだった。わたしがどこにも見当たらないとわかったとき、どんなに混乱しただろう。伯母様にまで話が行ったのだから、それはもう上へ下への大騒ぎだったのだろうと思う。


たくさんの人に心配をさせて、迷惑をかけて・・・。この世界の公爵令嬢の立場と責任を思い知った。わたしひとりの動きが、とてもたくさんの人に影響する。これが、地位と肩書きステイタスの意味なのだろう。


お祖父様はわたしを大切にしてくれるし、愛してくれてもいる。それとは別に、わたしの行動を制約する仕組みがある。それはお祖父様や誰かが望んだものじゃなく、もっと大きなものによって規定されている。それには逆らいようもない。なぜなら、その大きなものは、わたし自身を規定するものでもあるのだから。


・・・それに。


ごろりと寝返りをうち、わたしは戦利品であるステイタスカードを眺める。『異世界転生者』も『魔王の落とし子』の称号も入っていない、きれいな『オモテ用』のカード。


これを手に入れるためには、どうしても無許可での外出が必要だった。正直に理由を話せば、いま以上の混乱が目に見えていた。


でもこれほど怒られた今だから思うのは、お祖父様にはすべて正直に話をして、味方になってもらえれば良かったのかも知れない。でも、自分の孫娘が魔王の落とし子で異世界転生者だと知ったら、それでも血のつながった孫娘だと思ってもらえるだろうか。孫娘とは違う存在だと思われて、嫌われてしまったら。そう思うと背筋が凍るほどに怖い。結局、わたしは真実を告げる勇気がない。


お屋敷のみんなに心配はかけちゃったけれど、謹慎3日と引き換えなら、仕方ない。そんなふうに言い張るのは、傲慢だろうか。きっとそうだろう。でも、ステイタスカードの問題は、わたしひとりで抱えないといけないことだ。お祖父様にも、他の誰にも、相談できなかった。


わたしは、きっと、よわいんだ。


みんなのふところに飛び込んでいくことはできない。


けれど、問題は解決した。だから、こんなことは、これが最後だ。


明日からは、「みんなの期待する普通の公爵令嬢」に、わたしはなるのだ。




でも、ダンジョンでの冒険も、なかなか楽しかったなーー。


はじめての街。はじめてのダンジョン。はじめての仲間。はじめての冒険。


夢想か思考か願望か。くるくると浮かんでは消える淡い景色を脳裏に見ながら、わたしは眠りに落ちた。







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