１０ 初めてのダンジョンはやばいです⑤
【狭間の神殿】のボス、マーブルゴーレムの体とその背後にある壁に、致命的な亀裂が入る。
マーブルゴーレムは虹色の泡となって消えたが、壁が少しずつ崩れ出した。
（早くここから脱出したほうがよさそうだな）
そうバウが言ったのと同時に、部屋の中央に青く光る球が降り立った。破壊された床に置かれたそれは、きっと【青石の華】。光は徐々に収まっているが、そのアイテムの神々しさはわかる。錬金術の素材になるものらしいが、あれを使えばとんでもない秘薬が出来上がるのだろう。
「これが・・・【青石の華】」
ダンジョンクリアの褒賞アイテムに駆け寄ったトマスは、顎に手をあて、考えるそぶりをみせた。だがそれも短い時間で、とにかくそのアイテムを自分の魔法袋にしまいこんだ。バウが蹴って滑らせた一抱えもあるマーブルゴーレムの魂結晶も入れる。これで必要アイテムの回収完了だ。
あとは無事にこのダンジョンから抜けるだけ。
崩れた壁の反対側、音も無く人が通れるくらいの穴がすっと空いた。魔法っぽい。
さあ行こうと歩き始めたとき、トマスが叫んでわたしたちを呼び止めた。
「待ってくれ！」
なんだか不穏な空気を感じて、わたしは足を止める。そして、ゆっくり振り返る。
トマスは床に両手両膝をつき、わたしたちのほうは見ずに、なにかに耐えるように、床を見つめている。
考えてみれば、この気弱そうで器用な冒険者を全面的に信じてここまできた。
これまで回収したアイテムすべて、彼の魔法袋に入れてしまっているのだ。
もし、彼がわたしたちを裏切る気なら、いま、この場が最高のタイミングだろう。
「いま、普段とは違うルートに入ってるんだ。もっとこのダンジョンイベントを調べたい。そもそも、ダンジョンの床や壁がこれほど壊れることなんて、ないんだ。ないはずなんだ。
何かの特別イベントが起きている可能性がある。それを見逃すなんて耐えられない・・・っ！ お願いだ！ もう少し、もう少しでいいから、僕をこの場にいさせてくれ！」
うん、彼はただのダンジョン
石にかじりつきそうな勢いを見せるトマスを、どう説得しようかと考えていたとき。隣にいたバウが、なにかに怯えたような動きを見せた。耳が垂れ気味になっている。そして動物がよくするように、何もない虚空に視線をむけ、鼻をすんすんと鳴らしている。
（・・・あるじ。確かに、なにか特別なことは起きているようだ）
「？」
バウが見上げる上方。その視線をたどると、先程ひびわれ崩れた壁の奥、巨大な何かが見えた。
あえていうなら、巨大な石像、だろうか。まるで封じられていたかのような雰囲気が不吉だ。
その石像の一ツ目が、まるで本体が起動する証みたいに、赤く光った。
『聖域を踏み荒らす侵犯者らよ。我は神殿に託された物を守る守護者。罪を悔い、贖え。その生命をもって』
突然、広間に響いた声は、いきなりの死刑宣告だった。人工的で威圧的な声。交渉ができそうな雰囲気は微塵にもない。なによりも神殿の守護者であるマーブルゴーレムをわたしたちの手で倒してしまったばかりなのだ。言い訳もできない。
「迷宮の裏ボスだ！！！ 一定の条件を満たしたときにだけ出現する・・・この目で拝める日が来るなんて！ すごい、感動だ・・・！」
トマスが感極まった声で見当違いのことを叫んでいるけれど、なるほど、おかげで状況はだいたいわかった。
バウを見ると、いつも強気な黒狼は、珍しく首を横に振っていた。これ以上戦えない、という意志表示。
（さきほどの戦いでもう力がほとんど残ってない。新手も強そうだ。目的を達したのなら、退却しよう、あるじ）
冷静な判断だと思う。わたしは頷き、トマスを呼んだ。
「にげよう！」
トマスは残念そうな表情を見せたが、興味があるだけで強敵と戦う術があるわけじゃない。
そして皆で出口に向かって走り出す。
『逃さぬぞ咎人ら』
ひび割れた壁から、壁を砕きながら、声の主が封じられていた壁の奥から抜け出てくる。
わたしが
それが20メートルくらいの大きさーー市バス２台を縦に立てて並べたようなような大きさをしているのだ。高さだけでも、さっき倒したマーブルゴーレムの、およそ３倍だ。ビルが浮いてせまってきているようなものだ。さすがにこわい。
『消えろ次元のはざまへ』
人工的な声とともに、それが呪文だったのか、床に蜂の巣状に青白い光が走る。
そして次の瞬間、いくつかの床が六角形にくり抜かれ、
わたしとバウはとっさに足を止めて、落ちることはなかったがーー
「うわあぁぁっ！」
「バウ！ お願い！ 彼を助けて！」
（・・・承知！）
トマスが落ちたのを、バウに追ってもらった。
次元のはざまだという床の下は、赤紫と黒が混じり合ったよくわからない世界だった。床に境界がありその先は物理法則が違うのか、トマスは緩急をつけて、上下だけじゃなく横方向にも落ちていっている。それは激しい動きで、すでに気を失っているらしかった。
その赤紫と黒が混じり合った空間にはいくつかの岩が浮かんでたゆたっていて、いくつかの岩にはぱっと見ではわからない植物や鉱物の結晶が張り付いていた。
さらに空間の奥には黒い渦があり、紫の稲妻がばしばしと走っている。あそこまで落ちると、どうなるかはわからないけれど、生命の保証はないのだろう。試してみる気にもなれない。
バウは空中を蹴って跳ねられるし、精霊の眷属だというので、ああいう異常空間も知識があるだろう。なんとかトマスを救えると思う。
けれどあちらはあちらとして、こっちもすごい危機なのを思い出した。わたしは覗き込んでいた床から顔をあげる。見えるのは、ビルほどもある浮いているクラゲーー。
『罪深き侵犯者よ。そのささやかな生命をもって、罪を償え』
ロボットクラゲ（いまわたしが命名した）が４本の腕を広げて、ただひとりこの場に残ったわたしに向かって近づいてくるーー。
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