亀裂

にゃす

亀裂

 昼下がりの午後、私は家の中から窓の外の庭を眺めていた。すると、空気がうねり次第にくすみ、黒くなった。雷が落ちたように思えた。そのとき、私の目の前に大きな亀裂ができた。人が一人入れるぐらいの大きさ。奥は真っ暗で何も見えない。ほかの場所へ行けるのか、異空間へと行くのか、落ちるのか、飛ぶのか、どこへも行けないのか、そもそも入れないのか。何も分からなかったが、入る以外の選択肢は私には無かった。窓を開け、そこら辺にあったサンダルを適当に履き、庭のど真ん中にできた亀裂の前に立つ。匂いも無いし、異様なオーラも無い。日常に溶け込んだように亀裂がある。手を伸ばす。吸い込まれるわけでもなく、手はすっと亀裂の中へ入った。私は真顔で飛び込んだ。


一瞬だった。


亀裂の中に入ったと思ったら、元の場所へいた。亀裂は無くなっていた。何の変りもない庭のど真ん中に私は立っている。ここは本当に元の世界なのだろうか。家の中へと入る。家族が普通にいる。ペットの犬もいる。何も変わってない。


私はあの亀裂が妄想や夢だったなんてことは思わない。確実に亀裂に飛び込んだ。なぜ何も変わってないのか疑問を抱きながら、テレビをつけた。ニュース番組だった。時間を見ると、私は目を疑う。28時12分。思考が止まった。

「今、28時。」

 一人でつぶやくと、母が答える。

「もう28時か。そろそろ夜ご飯でも作ろうか。」

 私はすぐに机の上に置いていた携帯を取って調べた。

『一日 何時間』こんなことを検索したのは人生初だ。

 分かったことがある。この世界では一日が36時間らしい。やはり、変わっていた。ここは確実に元の世界ではない。そう分かった途端、胸がはずんだ。ほかに元の世界と違うことはないのだろうか。そう気になって、2階にある自分の部屋へと駆け上がる。パッと見は何も変わってない。私は元の世界と違うところを見つけたくて部屋を隅々まで調べた。しかし、家具の配置も、テレビの録画リストも、持っている漫画の種類も、何も変わってなかった。一日が36時間の世界。亀裂に入ったことで、そんな世界へと飛ばされたのか。おもしろくない。これなら、元の世界の方がよぽっどいい。

 がっかりし、1階へ降りる。犬のぽんきちが外に向かって吠えている。

「ぽんきち、吠えちゃダメ。」

 母がぽんきちに注意しているが、ぽんきちは必死に外に向かって吠える。

「誰かいるの。」

 弟が外を確認しに行く。

「あぁ、猫がいるよ。」

 私も外を見る。

「え。」

 猫ではない。近所のおばさんが犬を散歩させていた。私は弟に言う。

「猫じゃなくて、犬でしょ。」

すると、弟は当たり前のことを説明するように言う。

「どう見ても猫じゃん。そもそも犬散歩しないし。」

「じゃあ、ぽんきちも猫ってことなの。」

「そうだよ。」

 この世界、一日が36時間っで犬と猫が逆。


この世界で一週間ほど過ごし、分かったことがある。一日は36時間。犬と猫は逆。元の世界で右利きだった人は左利きに、右利きだった人は左利きに。しかし、私は変わらず右利きのままだった。一日、朝、昼、夕方、夜の4食。秋休みがある。クリスマスはあるが、クリスマスイブはない。いろんなことがちょっとずつ違う。しかし、元の世界への戻り方は1ミリもわからない。


 私は夜、音楽を聴きながら散歩するのが好きだ。この世界へ来ても私の好きな音楽がある事には心からの感謝だ。今日も散歩に行く。誰もいない。自分一人だけの世界みたいだ。この雰囲気がとても好きだ。正直、元の世界へは別に戻らなくてもいいかななんてことを考えていた。そのとき、誰かに肩をたたかれた。驚いて声が出てしまった。イヤホンを取って話しかける。

「なんですか」

 相手は私と同い年ぐらいの女性だった。この町に住んでる人は大体知っているけれど、彼女は全く知らない人だった。彼女は話す。

「亀裂知ってますか。」

 私は固まった。様々なことが頭を駆け巡る。何故、亀裂を知っているのか。こんな夜に何故歩いているのか。何故、私が亀裂を知っていると分かったのか。彼女は誰なのか。私は素直に答えてしまった。

「知って、ます。」

 彼女は嬉しさと驚きが混じった顔をして、言った。

「やっぱりですか!」

 その後、私たちは公園のベンチに座って話すことになった。


「何故、私に声をかけたんですか。」

「あなたが、亀裂のことを知っている気がしたんですよ。私、そういうの分かるんです。」

 私、そういうの分かるんです。今までの私はこの言葉を言う女性を信頼していなかった。自意識過剰で苦手だった。しかし、この人が言うと信頼できる気がした。実際、今回のように当てているし。私は訊いた。

「じゃあ、あなたも亀裂に入ってこの世界へ来たんですか。」

「はい。ここに来てもう半年です。」

「半年もですか。戻り方とかは分かってませんか。」

「いろんなことがちょっとずつ元の世界と違うことは分かったんですけど、戻り方はまだ。」

 やはり、そうか。半年この世界で過ごしても分からないのか。彼女は続けて話す。

「あと、もう一人同い年の男の子がいるんですけど、その子も亀裂に入ってここに来たみたいで。」

 もう一人亀裂からこの世界に来た人がいるというのか。こんな嘘みたいな経験をしたのは私ぐらいだと思っていたが、案外珍しいことではないのかもしれない。

「その子はどこにいるんですか。」

「この町に住んでますよ。」

 この町に私と同じ体験をした人が、私以外に二人もいるのか。その男の子にも会いたい。そう思うのは必然的だろう。私は言った。

「明日の夜、またここで話しませんか。」

「いいですよ。じゃあ、男の子も誘っておきますね。」

「ありがとうございます。じゃあ、おやすみなさい。」

「おやすみなさい。」

 彼女は私とは真反対の方へと帰って行った。私は一直線に家へと帰る。


 帰って、自分の部屋のベットに潜る。ずっと考えていた。何かを必死に考えていたのだけれど、何を考えていたかは覚えてない。その日はなかなか、眠れなかった。


 約束の時間。夜の公園へと向かう。2人はもう来ていた。近づきながら男の子の顔を見てみた。やはり、全く知らない人だった。私から声をかける。

「はじめまして。」

「はじめまして。あなたも亀裂の中からこの世界へ来たのですか。」

「はい。そうです。」

 男の子は賢そうな話し方だ。彼は突然語りだす。

「この世界は現実なんだ。」

「どういうことですか。」

 女性が聞き返すと、彼は真剣な眼差しで話す。

「前、僕たちがいた世界は妄想の世界。」

 訳のわからない話に思わず私は声を出した。

「え。」

 しかし、彼は続ける。

「妄想の世界から、ある共通点がある人だけが亀裂を通して現実へ戻ることができる。どういう共通点かはわからないけどね。」

「なるほどね。」

 2人だけが会話をしていて私は置いてけぼりにされていた。何故彼女はこの話が理解できるのだろうか。私も理解しようと必死に聞く。

「この世界で亀裂を知らない人はみんなまだ、妄想の世界へいる。現実の世界へ来ることが出来ていない。」

「私もなんとなくそんな気がしてた。」

 彼女はやはり、この話を理解できているようだ。私も脳みそをフル回転さているのだが、なるほどとはならない。

「じゃあ、もう遅いし今日は帰るよ。」

 彼はそういって既に帰ろうとしていた。

「私も帰ろ。」

 彼女も帰る気だ。明らかに私だけ置いて行かれている。

「そうだね。じゃあ。」

 二人はバラバラの方向に私を置いて帰ってしまった。二人はなんだか私とは別次元にいうような気がした。


 帰り道、私は彼の話を思い出しながら考えた。妄想の世界から、亀裂を通して現実の世界へ。今まで過ごしていたのは妄想。今が現実。妄想から抜け出すために亀裂に入って現実に戻る。


 分からないようで、なんとなく分かった気がした。


 朝になっていた。ベットに入ってからも考えていたらいつの間にか眠っていたようだ。1階へと降りる。家族が普通にいる。今、私が見ている家族は、妄想の世界にいるのだろうか。外の空気が吸いたくなり、庭へ出る。深呼吸をした。すると、空気がうねり、次第にくすみ、黒くなった。雷が落ちたように思えた。そのとき、私の目の前に大きな亀裂ができた。


 妄想から亀裂に入って現実に。


 そろそろ現実の世界へ行くか。私は真顔で飛び込んだ。

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亀裂 にゃす @hiumi

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