蒼炎 ~『悲しみ』って何ダ~

リペア(純文学)

蒼炎

貴方は人生で火を何度も見てきたことだろう。火には意味がある。宿る意思がある。貴方の見たことがある火はどのようなものであったろう。とろ火を乗せた儚いマッチの火だろうか、建物に燃え盛る業火だろうか、又は祝いのケーキに刺さるロウソクの火だろうか。それとも…


私は『悲しみ』というものを知らない。『悲しみ』が知識、見識に無いということだ。『気の毒』は知っていても、『悲しみ』という感情になったことが無い。また、私の両親は私を誕生させた後どこかへ消えた。つまり、身内の死を経験したことが無かった。人との関りも殆ど無く、感情は本で得た情報の他、身に体験したことが無く、私は感情の薄い子であった。


魔法科学が発達するこの世界。知識書を読むことが好きな性格もあってか、私は魔術に興味を持ち、魔法学校へ通っていた。入学の際、才能があると言われ、学費は免除となった。学校生活に言及すると、私の性格故、ろくに友達は出来ず、クラスでは孤立した。部活は古典魔法書解読会に所属。部員はただでさえ少なかった。ただ、長文を読み込み、いくつか本を解読した。


入学したての頃の事である。他人より感情の薄かった私はカイデン=ザミエルからいじめを受けていた。彼のいじめは私に限らず他の抵抗できぬ弱者を陰湿に加害し、金を巻き上げていた。服や身を何回燃やされたことか。私はそんな横暴にも『悲しみ』というものは抱かなかった。悲しみ方がわからなかったからだ。代わりに『憎悪』という名の感情を抱いた。カイデンらには真顔を貫き、心ではいつの日かひねりつぶしてやると思っていた。


そんな学校生活の中、一年次の授業にて先生から、青い炎を生成して見せよ、と次の授業までの課題が出された。魔法で炎に着色をする際、それに対応する感情が必要となる。青い炎の生成には自らの『悲しみ』の意思や悲痛な経験の想起を要する。しかしそんなもの持ち合わせていない。仕方がないので、その授業の日は自分を体調不良にする魔法を唱えて学校を休んだ。その日、腹が痛いので休むと言って出席しなかった私宛に一通文(ふみ)が届いた。「汝、然るべき単位取得数が危ぶまれる。猶予残り二日にて欠席せば留年考慮対象とならむ。出席せよ。」と赤い紙に何度も見た定型文が書いてあった。留年考慮とあるが、私は学費免除の立場上、留年では済まされないだろう。ただ、先の様な『悲しみ』に関係のある授業は参加しても拱手傍観するだけである。だって私には『悲しみ』という感情が無いのだから。欠席猶予の二日に対して、これから『悲しみ』を扱う授業が何度あるだろうか。日数管理に先が思いやられる。布団で一晩寝て体調を回復させてから考えるとしよう。布団へと入った。

その日寝込んでいる中、私は『悲しみ』の存在意義を考えた。そもそも、人は感情を持つ意味があるのか。学を積み、それを実践し、世に仕える。どこに感情を要するのだろうか。最も、『悲しみ』を抱くのは時間の無駄であろう。この日は『悲しみ』は要らないと結論づけて眠りについた。

次の日、学校にて「意思を持った水を生成せよという指示に、六足歩行する蛙を生成した転校生がいる」と懲りないカイデンが噂を流していた。どうせ雑念や感情が混じって術をぬかったのだろう。そらみたことか。感情が存在することでそうなる。馬鹿な奴だ。


一年次が終わろうとしていた頃のある日、私が授業で使う物の準備をしていた時だった。カイデンが現れた。

「お前、親居ないんだってなァ。」

私の手が止まる。ついに奴は私の学費免除み触れてきた。ただ、私は一度も彼に漏らしていない。なぜ奴が知っている。

「なんで学費が払えんだァ?」

さては私の数少ない友人に私について口を割らせたな。

「あぁ、もしかしてお前の学費は免除されているんじゃねぇかァ?だったらこのカイデン様に貢ぐ金はあるよなァ?」

その時だ、私の堪忍袋の緒が切れた。歯を割れそうなほど食いしばる。こんな虫めら、燃え滓(かす)にしてくれる。何も考えられなくなり、火炎術を唱えた。彼に手のひらを向け、業火を浴びせた。彼の服が焼けた。彼は醜い姿を見せてもがいていた。対して私は今までの一年忍耐が報われ、快感を得た。

その時私が出した炎は━━『憎悪』の黒色━━をしていた。


私は彼の服を焼いただけなので、火傷を負わせてはなく、問題行動となることはなかった。もっとも、彼がこのことを先生に報告をすれば彼の過去のいじめの数々が浚(さら)われ、彼が詰問されるのは必然であったが。


学年を進め、二年次となった。カイデンらとは別のクラスになり、留年も何とか持ちこたえ、私には平和が訪れた。

魔法史の授業のことだ。前の席で寝ている女、名をアイラ=マリーンズという。彼女は噂の蛙を生成したという張本人である。彼女の得意分野は記憶操作術だそうだ。それを悪用していつも、先生から出た課題の記憶を万人から抹消して提出を免れていたらしい。そんな態度が故、テストも毎回赤点に近く、進学が危なかったそうだ。

黒板の問題が彼女に当てられた。彼女は寝ぼけて「ドーナツ」と答えた。もちろん正答はドーナツな訳もなく、彼女はそそくさと机に伏せた。教室中が忍び笑いをしていた。聞いた私も赤面した。

 

午後の箒の運転免許講座も彼女と重なっていた。私は難なく事を進め、操縦できるまでになったが、彼女に至っては箒が思った高さで維持できないほどであった。しかも何度も地面に打ち付け、絆創膏が貼られている。ほら、また箒から落ちた。歯を食いしばっている。傷んでいるのか、膝をさすっていた。その時一番近くにいたのが私であった。

「おいあんた、大丈夫か。」

良心で声をかけ、絆創膏を一枚渡してやったが、彼女は私を睨み、離れていった。離れた先で、ほら、また落ちた。私は顔に手を当て、ため息をついて呆れた。その時はあんな奴が箒に乗れるようになるとは考えに一片もなかった。しかし次の日、同講座にて彼女は箒で浮遊できるようになっていた。人から聞くに、彼女は努力家で出来なかったことに対しひどく悔やみ、家でこっそり特訓する人だそうだ。確かに貼ってある絆創膏の数も明らかに増えている。なるほど努力は嘘をつかないとは事実なのだな、と感心した。


 その日の部活で事は起きた。私が部室の扉を開けるとちょうど中から出てきたアイラと衝突し、両者地に手をついた。

「お前ここで何をしている」

「部活に入りに来たのよ」

こいつが魔導書を解読できるのかと疑問を抱きつつ、ただでさえ部員が少ないため彼女を歓迎することとした。彼女、最初は何一つ読めていなかったが、火を重ねるごとに習得していき、学校の持つ最古の文学書を丸ごと一冊解読したのは彼女であった。全く人の成長は恐ろしい。

「なぜそれほど習得が早い?お得意の記憶術を使って頭に入れたところでその記憶は半年で消滅するぞ。」

「こんなのに記憶術なんて使う訳ないでしょ、だいたい、あんたに負けてられないし。」

ほう、私を意識しているのか。馬鹿な努力の鬼に追い抜かれるわけにはいかない。私は部活にいっそう熱を入れた。

 その日の部活が終わり、帰っている途中、前に彼女が歩いているのが見えた。帰り道が途中まで私と重なっているようだ。「おい。」と彼女の肩をたたいて、少し会話をしてみる。

「お前は悲しんだことがあるか?」

「何言ってるの?」

「実は私は『悲しみ』という感情の作り方を知らない。そのために青い炎を作れないのだ。」

彼女は一呼吸おいて返答する。

「悲しみなんて知るものじゃない。」

彼女のこの言葉は今でも私の記憶に鮮明に残っている。彼女は『悲しみ』を知っているようだ。

「『悲しみ』とは何色だ。」

━━「緋色よ。」


 家に帰って彼女の言葉について考察した。『悲しみ』が青色であることは知識にあったが、緋色の『悲しみ』があったとは初めて知った。なぜ彼女は『悲しみ』に緋色があると知っていたのだろうか。緋色の『悲しみ』を体験したことがあるのだろうか。そういえば彼女は部活でよく『死と転生』という本を熟読していた。何か関係があるかもしれない。

そんなこんな一晩悩み続け、彼女には興味を抱いた。


次の日の部活にて、また彼女は『死と転生』を読んでいる。昨日の考察の答え合わせがしたい。彼女に話しかける。

「なぜお前は『悲しみ』が緋色だと知っていた?」

「あんたに言わなくてもいいでしょ。」

「緋色の『悲しみ』を体験したことがあるのか?」

「…」

「緋色の『悲しみ』を教えてほしい。」

すると彼女は物静かな部室で

「うっさい!!」

と怒鳴った。鳥肌が立った。わからないことをわかるまで問い詰める癖が出てしまった。

「あぁ、申し訳ない。」

謝罪も虚しく、彼女は『死と転生』を持って、部室から勢いよく出て行った。私は追いかけることはしなかったが、その後ずっと彼女が気がかりであった。部活でいつもは順調に解読を進めることが出来ていた『皆既日食と輪廻』はろくに読めず、集中できなかった。頭の中で、彼女が部室から出ていく映像が繰り返されていた。どうやら私はたいそう悪いことをしてしまったようだ。深く反省し、時間が経って彼女の私に対する嫌悪感が膨張する前に謝罪をして和解すべきだと考えた。すぐにでも機会があれば謝ろう。


帰り道のことだ。前に彼女がいる。こんなに早くチャンスが訪れるとは。彼女の横につき謝意を述べた。

「あの、先程は本当にすまなかった。まだ思慮分別が拙いもので、どうか許していただきたい。」

彼女がまた怒鳴ってくることを想定していた。しかしそんなことはなく、しばらく沈黙を続けた後、口を返してきた。

「実は私、人を殺してしまったことがあるの。」

鳥肌が立った。

「前にいた学校で補修を受けていた時、呪文を間違えて、私にとって恩師である先生を引き裂いてしまったの。返り血が私に打ち付けて、辺りが『緋色』になったの。」

『緋色』か…

「でも校長先生がすぐに来て校長室でその先生は生き返ったの。」

蘇生術、実はこの世界にはすでに死者蘇生術が存在する。私もよく存じては無いが、被蘇生者が死後二時間以内であれば魂と肉体は復元できるらしい。ただ、悪用を防ぐために校長クラスの人しか使用を認められていない。また蘇生術があるからと言って生物をたやすく殺しても構わないという訳ではなく、例えば学校の場合は退学処分となる。

「それでこの学校にきたのよ。」

彼女が口を続ける。

「その先生は心配しないでって言ってくれたけど、万事元に戻っても暫く残り続けた罪悪感が私の首を絞めつけていたわ。」

なるほど人の心には元に戻らないものがある。身は傷ついてもいずれ元に戻るが、心の傷は治癒しにくい、その傷が深ければ深いほど。

「それからその記憶を忘れるために記憶操作術を勉強したの。それで私のその心の傷をなかったことにしたの。」

自分の記憶を消すために…

「でもアンタがあんなに問い詰めるから、その時に術が解けて全部思い出してしまった。」

彼女は人を殺した経験があった、それも自分にとって大切な恩師を。私が障ってしまった彼女の気は相当深淵に位置しているものであったと知った。罪悪感が私を踏み潰した。

「お前がそんな生涯を積んでいたとは知らなかったとはいえ、私のしたことは本当に申し訳ないと思っている。」

謝っても謝り切れないのは分かっていても、今は頭を下げるしかない。

「アンタそんな口調を話す人だから、きっぱり謝ってこないと思ってた。人に頭を下げる脳はあったのね。」

からかわれた。

「俺を許してくれるのか。」

「そんなことも察せないの?やっぱ口調通りね。」

少し笑った後、すべてを語ったであろうアイラは声を上げて激しく泣き始めた。私は人が泣く時にどうすれば良いか知識になかったが、彼女の肩に腕をかけてみた。すると、彼女は私のネクタイで涙を拭った。彼女の記憶を共有し、私は彼女に対する責任を負った気がした。

冬で寒い夜。私は手のひらに━━『温もり』の桃色をした火━━を灯し、道が分かれるところまで添って帰った。


お互い三年次へと学年を進めることができた。三年になると対人外防衛術の授業が必修となる。人外と遭遇した際の防衛する術(すべ)を学ぶのだ。

一学期では対人戦で戦術を学ぶ。筆記で人外の行動を学び、それを踏まえて隣の席の人と組み手をする形式だ。アイラとはその授業で隣の席となり、組み手の相手をした。記録によると、私は彼女に対して負け無しだったはずが、私には勝った記憶が全く無い。さてはあの女、やりやがったな。


二学期からは人外サンプルを用いての実践へと移行する。生徒が人外サンプルを召喚し、自ら倒す形式だ。もしその人外サンプルの用法を間違えることがあれば、骨を折るどころでは済まないと釘を刺された。当然である。サンプルとはいえ、魔術以外のヒトの身体能力では魔物に勝てないのは自明であった。

人外サンプルはいくつか種類があるが、私が召喚したものは角を二本生やし、鋭い牙に咆哮を放つ怪物だ。私は今まで培った知識を活用し、呼び出したサンプルを倒すことが出来た。他の生徒も滞りなく各々召喚した人外サンプルを討伐した。問題は彼女の方である。私と同じ体格のサンプルを呼び出したが、なかなか討伐に至らない。召喚獣は数十分放置すると、辺りの生命体から魂を吸収し始めるため、先生は慌てて彼女の呼んだサンプルを抹殺した。手も足も出なかった彼女は悔し涙を流していた。彼女は一度抱いた悔しさをいつまでも引きずるであろう。仕方ない、いつか慰めてやるか。

その日の帰り道、彼女が腕で涙を拭いながら歩いているのが見えた。彼女と並列に付き、慰めた。

「人は必ずいつかは失敗する。私もこれまで何回もの失敗を重ねている。それが今回だったというだけの話だ。だが、失敗の後には必ず成功がある。特にお前ならな。」

気障なことを言うが、実はあまり人を慰めたことはない。

ただ、彼女は泣きそうな顔で弱音を続けた。

「他人より劣っているなんて認めたくない。」

彼女の性格上、そのように考えてしまうのも無理はなかった。というのも、あの授業で人外サンプルを倒せなかったのは彼女だけであった。私は理論的に慰める。

「他人より劣っている、というのは間違っている。劣っているということは、別の要素に長けているものを持っているということだ。気落ちする必要はない。」

彼女は私の言葉を聞くなり、いきなり足を止めた。何故か唖然としている。

「どうした。」

彼女は首を振り、

「なんでもない。ただ、今のアンタの台詞が私の恩師の言っていたことと同じだったから、恩師を思い出してしまったの。」

私がまた恩師を思い出させてしまったのか、あるいは恩師の記憶はあれ以来消してはいなかったのか。

「…堅っ苦しいアンタにしてはいいこと言うわね。」

どうやら気に召したようだ。彼女は泣き止んで笑顔を取り戻した。今日出来なかった防衛術も、どうせ明日には出来るようになっているのだろう。また明日その笑顔を拝むとしよう。道が分かれるところで彼女と別れて家に帰った。


次の日のことだ。防衛術の授業に彼女の姿が無い。昨日のいざこざで疲れて寝坊したのだろう。先生に彼女の家を知っているので彼女を起こしに行くと理(ことわ)って、彼女の家へと向かった。

彼女宅へ着いた。何故か彼女の家の前には人だかりができていた。また派手でもやらかして近所から苦情が入ったのだろうか。人だかりの中へと入った。すると、近所の方であろう野次馬の声が耳に入る。「アイラちゃん、怪物に食べられちゃったらしいよ。可哀そうねぇ。」誰のことを言っているのだろう。彼女の家の前へ人をかき分けていった。遠くから家の前に、彼女の髪型と似ている肉塊があるのが見えた。まさかな。確認へ駆け出す。警察が私を止めるが、関係者であると叫び、強引に入っていった。

そして彼女と一日ぶりに会った、見るも無残な姿で。その時見た彼女の骸(むくろ)は今でも鮮明に記憶に残っており、まるで画鋲で止められているかのように頭から離れない。警察から、現場検証結果を聞かされる。「家で人外サンプルを召喚し、防衛術の練習をしていたが暴走、彼女にはとても鎮めることは出来ず、胸から上を残してあとは食われてしまっていた。その後、サンプル体は近くをパトロールしていた警察官によって鎮圧され…」


 彼女の周囲は『緋色』に染まっていた。自然と私の耳が閉鎖され、何も聞こえなくなった。涙で腕を濡らし、膝をついて地を叩き、嘆いた。『緋色』が手のひらと膝に付いた。野次馬から聞くに、嗚咽する私の背後には━━『青色』の業火━━が燃え盛っていたという。

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