刑務官の話

佐伯牡丹

第1話

「この暑い時期に冷えるような怪談を聞かせろって……?」

「頼むよ。来月仲間内で百物語をやるからさ。話すネタのレパートリーが足りなくてさあ……。そこを何とか」

 田宮は吉沢に懇願した。

「それなら適当なサイトにある話を少々拝借して話すればいいじゃないか。」

「いやいや。もう呪われた土地とか、わけわからん畜生だとか、胡散臭い霊能者とかの要素はすでに出しちゃってさ」

 田宮の焦りを眺めながら吉沢は冷たいビールを飲んでいた。

「……と言っても今話せるのは銭湯に入ったら入れ墨の集団がわんさかいたくらいしかねえよ」

「そういう怖さじゃないよ。それも十年以上前の話じゃないか」

 田宮は不貞腐れながら熱々のエンドウ豆をほおばった。

「そういやヨッシー(※あだ名)の親父さんは刑務官だったよな。何か一つか二つ怖い話があるんじゃないのか」

「そうだったが、仕事のことは殆ど話さなかったぞ。まあ相手が死刑囚なら当然だろうけど……」

「おっ、やっと注文したモノが来たか。言い出しっぺで申し訳ないけど一旦やめるわ」

 ここで二人の会話は一旦終わりとなり、居酒屋で注文したメニューが次々とテーブルに並べられる。

 二人は注文したビールを飲みあい、おかずを食べながら別の話題に切り替えた。 

 一時間たったくらいだろうか。

「トシちゃん。そういや親父の話あったわ」

 吉沢から告げられた田宮は嬉々として、

「マジかぁ。教えてくれよぉ」

 と上機嫌になっていたが、この時すでにジョッキビール四杯、焼酎二合とすでに酩酊状態であった。こんな有態であるため、仮に吉沢が話の内容を伝えたとしてもすでに忘れるだろう。

「まあ俺たち酔っぱらってるし、店もうるさいから別の日に話そう」

 吉沢の頑固な一面を理解しているためか、

「わかったヨッシー。この話は別の日にして次の店行く?」

「すまん。カミさんには十時までに帰ると約束してる。今回はここでお開きだ」

「いいじゃないか今日の日くらい」

「馬鹿いえ。今の俺はカミさんが一番怖いんだ」



 田宮が吉沢の家に向かったのは一週間後の事であった。

 田宮は彼の父の仏壇に線香をあげた後、

「トシちゃん。カミさんも息子もいないから飲んじゃう?」

「やめろよ。酒飲んだら話を忘れるよ」

 リビングのソファに二人は腰をかけた。

「そういやヨッシーの親父さんは刑務官やめた後、ボランティア活動とか町の町内活動に積極的になってたよなぁ」

「そこなんだよトシちゃん。仕事一筋の親父が定年退職した後急に人が変わってな。困っている人のために俺は働くんだとか言い出してな。身内からしたら何があったんだというくらいさ」

「どうせアレだろ。死刑囚とはいえ人間だから仕事とは言え罪を感じたから、罪滅ぼしの為にボランティアをやってたとかだろ?」

「俺もお袋もそう思ってたよ。だけど親父が入院して死ぬ三日前だったかな。俺と親父が二人っきりになった時に俺に仕事のことを話してな」

「やっと怪談の本筋か。……ってそれ聞いたら呪われる話か?」

 田宮はうれしそうな表情になったが、念の為確認した。

 この時吉沢は「そんなこと聞くくらいなら仲間内で百物語なんてやるなよ」と思ったが、

「そういう話じゃない」

「なんだ。よかった……」

 と安心する田宮を無視しつつ吉沢は話を再開した。

「『お前には伝えたいことがある』って親父は俺に語るんだよ。病気で細くなっちまった腕なのに目だけはギラギラと輝いてやがる」

「それでヨッシーになんて伝えたんだ?」

「『決して人を殺すな。難儀させるようなことは決してするな』だとさ」

 しばしの沈黙がたった。

「それだけなのか? そんなこと義務教育終わるまでにさんざん聞かされたぞ」

「まあ聞いてくれトシちゃんの言う通り『当たり前の事じゃないか』とそう返事したさ」

「それで親父さんは?」

「親父は『俺は仕事については墓場に入るまで黙っていようと思っていたが、お前だけにはある出来事を伝えたい』って真剣に言うんだよ」

「話してくれないか?」

 吉沢は自分の父親が体験した話を田宮に語りはじめた。



 仕事上死刑囚と接する機会が多かった親父は、毎日殺風景な廊下の中でコツコツと靴を鳴らしながら死刑囚を見張っていたそうだ。土日祝日では死刑執行はされないためか平日の時に廊下を歩くと分厚いドアから何かにおびえたような呻き声が聞こえるんだという。

 そんな親父も首を絞められるのが怖くて足を引きずる受刑者を抑えたり、死刑執行に使用するボタンを押したりと公務の為とはいえ、「まるで殺人を犯しているのではないか」とメンタルに支障が出たらしい。

 ここまでならまだネットや本を調べればある程度は分かるかもしれないが、本題はそうじゃない。


 親父は――、いや親父たちはあるものを見てしまった。親父の心の根っこまで変える出来事は起こったらしい。

 今回刑を執行する死刑囚というのは犯行から五年以内に刑が執行される程の人物であった。死刑反対派には悪いが、国民感情が死刑を心待ちにしていたほどの凶行である。


 拘置所での態度も最悪で死刑執行を告げられても、

「やっと死ねるのか。すごく気分が晴れるもんだ、ご苦労さん。」

 と他人事のように親父に言えるような性分だった。

 宗教関係者にも睨みつけたり、何か最後にありますかという質問に対しても、

「この場にいる奴ら覚えとけよ。生まれ変わったら全員殺してやるからな」

 と喚き散らすばかりであった。

 情けをかける宗教関係者も今回ばかりは彼を見つめる瞳はかなり冷たいものになっていた。


 今回の親父の担当は受刑者に袋をかぶせ、刑執行を立ち会う段取りになっていた。

 親父が奴の頭に袋をかぶせたときに、

「おう、お前が俺を殺すのか。罪に問われない殺人はええのう。」

 小声で笑いながらささやいた。

 親父は奴の戯言を無視し一旦離れた。親父は言葉には出さなかったが、内心早く死んでしまえと思っていた。


 死刑執行のボタンが押され、床のパネルが作動した首にかけられたロープが奴の体重により締め付けられた。

 しかし次の瞬間ロープがあり得ない太さまで閉めあがった。袋の中に最初から何もなかったかのようにきつく締めれらたのである。

 そして親父がかぶせた袋から奴の頭が出て奴ごと垂直に奈落の底まで落下した。

 親父は垂直に落ちてゆく奴を見て、

「まさか、ロープの締めが甘かったのだろうか?」

 と焦ってしまったため、下の階に向かった。

下の階に向かってみたところ、奴を抑えるために待機していた刑務官が呆然と立っていた。

 なにがあったのか本来奴のいるはずの位置をみると奴はいなかった。

 奴はどうなったと声をかけてみたところ、

「奴は下に落ちて床をすり抜けたんです……。あり得ないことが目の前で起こってしまったんです……」

 刑務官は口を震わせながら状況を語った。

 その場にいた他の刑務官たちも男が落下と同時に床をすり抜けたのだと告白した。


 このような異常事態の為、拘置所内では大騒ぎになり奴はどこかにいるかもしれないと探したのだが結局彼を見つけることはできなかった。

 上の立場の者もこの不可思議な現象に立ち会っていた為、この一見は「死刑執行」という形で幕を下ろした。


 逃げる手口でもあったのだろうかと誰もが予想したが、逃げ隠れたりする場所は何もなく、ロープの締めも正常であったことが判明された。

 親父やその時刑に立ち会った者たちは、奴は刑執行と同時に地獄に落ちたのだと確信した。

 だからこそ人を殺してはいけない。人を難儀させてはいけないのだと心に固く誓ったらしい。



 田宮は話を聞いて、

「その時だけ死刑囚は刑執行と同時に消えていなくなったのか? じゃあ他の受刑者はどうなるんだよって話にならない?」

 と質問した。

「俺もそう思うんだけどね、今まで仕事の話をしてこなかった親父が急にそんな話を始めるんだから妙に真実味があるというか……」

 吉沢は田宮の反論を受け入れた。いくら真実味を増そうとも伝言だけでは真実とは程遠い。

「だからこそ怪談としてはいいんじゃない。この話は百物語のネタに使ってもいいよ」

「まあネタの一つにはなるだろうな」

 田宮は吉沢に感謝し、その場で酒盛りを開始した。



 しばらくして吉沢の携帯に田宮からの電話が入ってきた。

「どうしたんだ。何かあったのか」

「百物語の件でヨッシーに誤りたくて……」

 田宮の声は細々とした元気のない声であった。

「何かあったのか」

「すまん。せっかく教えてもらったネタを話そうと思ったんだが、別の奴が話した怪談がこの前の話してくれた内容と同じだったんだ」

 この報告には吉沢も驚き、

「被った……? そいつはどういう奴なんだ?」

「親戚が元刑務官だってさ。その話を聞いたら俺は別の意味で怖くなったよ」

「それでネタの埋め合わせはどうしたの」

「仕方ないから銭湯にいた入れ墨集団の話をしたさ。……失笑ものだよ」

 田宮は悔しそうな口調で話した。


 田宮との会話を終えた後、吉沢は一人で刑務官の話を考えていた。

 仮に親父の話が本当であるなら、奴は刑執行と同時に体ごと地獄に落ちてしまったことになる。

 彼は地獄まで落ち続けているのだろうか――。

 それとも地獄にすでに到着し、尋常でない責め苦を受け続けているのだろうか――。

 ここから先は想像の話でしかない。


 彼は災害ボランティアに必要な道具を車のトランクに詰め家から出ようとした。

「今日もボランティアに出かけるの? 日曜日くらいは家で休んだら?」

 彼の妻に諭されたが、

「こればかりはどうにもやめられないんだ。親父の魂が俺にも引き継がれたらしい」

 彼は玄関のドアを開けた。

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