第13話

「これも一緒に、持って行ってくれないか」


 F-2Aのタラップに足をかけていた若月に、僕はポケットから取り出した、一箱の煙草を手渡す。


「私、煙草なんて吸わないのだけど」


「いいんだ。彼にも、見せてあげたいってだけだから––––君が見ている、空の世界を」


 彼女は、一見して無表情のまま、しかし微かに微笑んで、それを受け取った。



 操縦席の風防が閉じられ、エンジンが始動する。その甲高い駆動音に耳を塞ぎながら、僕たち整備員は、小走りに機体の元を離れていく。


「これが僕たちのラストフライトだと考えると、胸に来るものがありますね」


 カメラを覗き込みながら、楳井が呟いた。


「何を言ってる」


 オイルに塗れた頬を拭って、武内は首を横に振る。


「俺たちはまだ飛ばし足りない、若月さんもきっと飛び足りない。それに、≪連邦≫の横暴に泣き寝入りしてやるつもりもない——そうだろう、岩倉?」


「……ああ」僕は頷いた。


「みんなは、どう思う?」


 言葉はなくとも、皆の表情が何よりの答えだった。いくつもの微笑みに囲まれて、自然と僕の顔にも、笑みが浮かんでいた。……これほど満ち足りた気持ちで以て笑うのは、いったいいつぶりだろう。


「続きまして、エントリーナンバー16番。築守高校"アストロバーヅ"」


 爽やかなナレーションが、辺りに響き渡る。それを合図に、咆哮を轟かせながら茜色の大空へと飛び出っていく青い巨鳥を、僕たちは見送った。


 天高く昇っていく巨鳥の姿は、「癌細胞」と自称するには、しかしあまりにも美しいもので。僕の胸の奥でとぐろ巻いていた負い目や、世間一般で言うところの「善い人」であろうなんて空虚な目標は、気づけば夕陽に吸い込まれて、消えてなくなっていた。そして、この十一年間で幾度となく自らに投げかけた疑問に、ようやくひとつの答えを見出したのだった。


 少なくともこの瞳に、彼女と彼女の駆る巨鳥が美しく映るうちは。父さんの背中が、未だちゃんと父の背中である限り——僕はきっと、癌細胞でいられる。父や母の遺志を胸に、若月や、ここにいる皆とともに歩んでいける。



 その確信が持てた。それだけで、充分だった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブルーキャンサー 高城乃雄 @High_Castle_Guy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ