第571話 昨日の敵は今日の友

「失望したよ。バイアス……」


「――ッ!?」


 コロシアムに響く九条の声が、刹那の混乱と不気味な静寂を貫いた。


「いや、違うな……。これはお前達を信用し、穏便に済ませようとした俺へのツケなのかもしれん」


 誰もが目の前の光景に言葉を失っていた。来賓は愚か、その護衛として辺りを囲む衛兵たちにも平等に訪れる驚きと戸惑い。

 未だ血の滴る首から目を離すことは叶わず、恐怖と絶望に心の臓は激しく鼓動を始める。

 そんな中、平然と言葉を発する者が1人。


「なんだぁ……。やっぱり禁呪、使っちゃってるじゃないですかぁ」


 貴賓席の手すりに足を掛け、身を乗り出したのは異端審問官の盲目。

 職業柄、取り締まるべき闇魔法にも精通しているからこそ、今の状況においても平静を保てている。

 そんな盲目を睨みつける九条。その視線は感情が読めないほどに冷酷だ。


「……お前か……。俺の責任を国に擦り付けたのは」


「まぁ、そうなりますかねぇ。でも、しょうがないじゃないですかぁ。プラチナ相手に正面から戦うなんて、バカのすることですよぉ?」


「……今の状況は、そうじゃないのか?」


「ああ、なるほどぉ。言われてみれば確かにそうですねぇ。でも、今のあなたじゃ何も出来ないのでは? 精々、怖がらせるのが精一杯。口八丁で呪いや祟りをチラつかせ、ミアを逃がせれば御の字……と言ったところでしょうか……。まさか自分をアンデッド化して処刑を免れようとは夢にも思いませんでしたが、前例がないわけではないのでねぇ」


「……本当に、そう思うのか?」


「もちろんですぅ。私が知らないとでも思ってるんですかぁ? この状況を打開するほどの死霊術を行使するには、触媒として骨片が必要。ストックしてある魔法書は手元にありませんし、自分以外の手近な骨といったら……。ふふふ……ミアを殺せますか? できませんよねぇぇ?」


 勝ち誇ったような盲目の笑みは、もはや九条に勝るとも劣らない狂気だった。

 しかし、それも当然のこと。目の前にいる異端は、今まで盲目が相手にしてきたような、まがい物の闇魔法使いではないのだ。

 九条の処刑が決まった時、盲目は内心失望していた。九条が、素直にそれを受け入れるとは思っていなかったからだ。

 国や仲間からも見放され、居場所を失くす。絶望と孤独に苛まれながら無様に足掻き、苦しみながらも最後は神に許しを請い死んでいく――。

 そんな結末を望んでいたのに、おかげで全てが台無しだ。

 そこで訪れたこの転機。盲目は歓喜に満ち溢れ、神に感謝した。


(これは、神様が私に下さったチャンスだ)


 盲目はこの眼が嫌いだ。教会の力を以てしても完全には治らない。しかも、周りはこれを神の眼だともてはやす。

 日々の生活に苦悩しながらも、遂には耐え兼ね教皇へと懺悔した。

 そこで賜った言葉が、神への献身であったのだ。異端審問官として教会に奉仕すれば、いずれはこの眼から解放されるだろうと……。

 相手はプラチナプレートの冒険者。禁呪の使用は疑いから確信へと変わった。それは、最上級の捧げ物であり、その貢献度はずば抜けて高いはず。


(今ならそれを、私の手で刈り取れる)


 盲目には見えている。九条が首を斬られてからというもの、その魔力はどんどん減り続けていた。

 それは、現在の状況が九条にとって想定外であることの証明だ。


 貴賓席から飛び降り、コロシアムへと降り立った盲目。

 腰に巻き付けた鎖の束を掴んで解き、鞭のようにしならせると、叩いた石床は僅かに抉れ紅い火花が迸る。

 金属の鎖に神聖術の特性を持たせ、相手を遠距離から拘束することを得意とするのが、盲目の戦闘スタイル。

 その特性上アンデッドには特に有効で、今の九条との相性は最高と言えた。


「最後に望みがあれば聞き届けましょう。異例の2回目ではありますが、1回目は誰かさんの所為で聞き届けられなかったわけですし……。寛大な神様に感謝して下さいね? 特別ですよぉ?」


「……そうか……。なら、少しだけミアと話をさせてもらおう」


「最後のお別れですか? 是非どうぞ……と言いたいところではありますが、できるだけ早めにお願いしますね? でないと、我慢できなくなっちゃいますから……」


 にっこりと微笑む盲目。その間にも、手持無沙汰とでも言わんばかりに鎖をグルグルと振り回す。

 鬱陶しいとさえ思えるほどの風切り音が響く中、ミアは持っていた九条の首と向き合った。


「おにーちゃん、ごめんなさい。魔法書……取られちゃった……」


「いいんだ。ミアが無事ならそれでいい。……ピーちゃんは、行ったか?」


 気付けば、男にまとわりついていたピーちゃんの姿は既に無い。


「うん。カガリたちが勘違いしちゃったら困っちゃうし、お手紙もちゃんと書いたよ?」


「そうか……。なら、ミアには謝っておかないとな」


「大丈夫だよ。おにーちゃんからは色んな物を貰ったもん。1つくらい全然平気」


 コロシアムにいる全ての者たちから注視される中、何者にも憚れることなく生首と会話する少女。

 先程の虚ろな目は、まるで生気を取り戻したかのような輝きを見せ、それは別れを惜しむ者の顔とは思えないほど希望に溢れていた。


「ん……。おっと……頭を撫でてやりたかったんだが、手がないことを忘れていた」


「じゃぁ、今は我慢する! 帰ったらその分、いっぱい撫でてね?」


「ああ。約束だ」


 それを聞き、盲目は回していた鎖をピタリと止めた。


「おやおやぁ? まさか逃げるおつもりで? 私がそう易々と逃がすと思いますか? ゲートが開くのが先か、私の鎖が先か……。試してみるのもよろしいかもしれませんねぇ」


 ミアはギルド職員だ。既にその制服はボロボロだが、何処かに帰還水晶を隠し持っていてもおかしな話ではない。


「何のコト? 帰還水晶なんて持ってないよ? 私が持ってるのはぁ……これくらい」


 そう言いながら、ミアは自分の頭に付けていた白い髪留めを外した。

 それは、キツネを模した可愛らしいアクセサリー。若干黄ばんで見えるのは、性質上仕方のない事だ。


「これはね? おにーちゃんが私にくれた最初のプレゼントなの。とってもとぉーっても大事な物なんだよ?」


 ミアが、それを自慢するかのように前へと差し出し笑顔を見せた……その瞬間だった。


「【死者蘇生アニメイトデッド】」


「――ッ!?」


 九条の声に呼応するかのように、怪しい光を放ち始めた白い髪留め。

 そこから溢れ出した魔力の奔流に、盲目は耐えきれず目を逸らす。

 コロシアムからはみ出てしまうほどの魔法陣が浮かび上がり、その中心にある髪留めが獣の頭蓋に姿を変えると、そこから次々と形成されていく巨大な体躯。

 苗木の成長を早送りで見ているかのように生えてくる骨格。熟れた果実が潰れたような音を発しながらも再生を始めた臓器。最後に肉が全体を覆い、獣毛が全てを包み隠す。

 それが完璧とも呼べる状態になるまでにかかった時間は、僅か数秒。

 そこには獅子、竜、蛇と3つの頭を持つ漆黒の魔獣が顕現したのである。


「ガァァァァァァッ!!」


 天を仰ぎ咆哮するその姿は、仮初の命とは言え再びこの地へ舞い戻れたことへの歓喜の表れ。

 それは大気を震わし、立ち込めた暗雲は、新たな命の誕生を讃えるかのように雷鳴を轟かせた。

 鋭い牙を剥き出し、地鳴りのような唸り声を上げる黒獅子。

 漆黒の鬣が、夜空を照らす星々のように輝きだすと、誰もがその名を思い出す。

 そう。その姿は、まさしく金の鬣であったのだ。

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