第570話 人生の始まり

 首が落ち、血が飛沫を上げると、ある者は手で口を覆い目を背け、またある者はその魂が許されますようにと祈りを捧げた。

 人の死を目の当たりにした瞬間だからこそ、人間の複雑な本性が露になると言っても過言ではない。

 その場には、様々な感情が渦巻いていた。

 恐怖、不快感、悲しみ、興奮、そして安堵。

 それぞれが自らの心の葛藤や感情と向き合いながらも、血に染まった断頭台を見つめ続けていたのだ。


「刑の執行により、九条の罪は許された。慈悲深き神に感謝し、祈りを捧げよう。これにて……」


「ちょっと待ってくれ、レイヴン公」


 罪は償われた。これ以上の恥辱は不要だろうと、レイヴンが早々に終幕を宣言しようとしたその時、貴賓席から響いたのはアルバートの声。


「……いかがなされました?」


 予定のない横槍に、レイヴンは幾つかの可能性を考え、瞬時に答えを出す。


(九条を弔う言葉でも考えてきたのだろう。王の振る舞いとしては相応しい所作。その自覚も出てきたといったところか……。教会も、弔辞を詠むくらいは許容してくれるはず……)


 しかし、そんなレイヴンの考えとは裏腹に、アルバートの答えは予想外のものだった。


「もう1人。処刑したい者がいる」


「――ッ!?」


 そんな予定は聞かされていない。

 突然の申し出に、思わずバイアスに視線を移してしまったレイヴン。

 その顔は、驚愕そのもの。反応を見るにアルバートの独断だろう事は明白だが、その手綱を握り切れていないバイアスに、レイヴンからは無意識の舌打ちが漏れた。


 アルバートの宣言後、九条が入場してきた側とは反対の門が開かれると、黒い覆面の男に引き摺られ、舞台へと入場してきたのは誰も予想だにしない人物。


「アルバート様ッ!?」


 バイアスが取り乱してしまうのも当然だ。そこにいたのは、九条のギルド担当ミアである。

 一見すると健常のようにも見えるが、支えていないと倒れてしまいそうなほどに体力を消耗しきっていて、目は虚ろ。

 着ていたギルドの制服だけがボロボロで、所々に付着した汚れは血液が固まったであろう痕跡を残していた。


「これは一体、どういう事ですか!?」


 ミアの安全は保障している。それがわからないアルバートではないはず。

 九条との約諾。死罪となる者の最後の願いは聞き届けるのが規則だ。


「仕方ないだろう。あのガキ、僕に盾突いたんだ。ホラ、見てくれ。僕の腕を引っ掻いたんだぞ!?」


 アルバートが右腕の袖を捲ると、そこには数センチほどのひっかき傷。

 それも治りかけていて、殆どが瘡蓋になっている。


「何故、そんなことに……」


 バイアスは、アルバートを憐れんだ訳ではない。

 王族に傷を負わせたのだとしたら、たとえどんな理由があろうとも罪になる。しかし、それが今の状況下で死罪に相当するのかは疑わしい。

 ミアが、九条の仇だと逆上する可能性を考慮しても、アルバートには近づく事すらできないだろう。

 広大な王宮内で、誰にも見られず移動することはほぼ不可能。来賓扱いのミアとは言え、無許可での面会は認められておらず、アルバートが自らミアに接触したとしか考えられないのだ。


「勘違いしないでくれバイアス公。僕はあんな子供に興味はない。ただ、魔法書を取り上げようとしただけなんだ」


 アルバートが、ヴィルザール教に国宝の魔法書を献上しようと考えていた時、ふと気が付いたのだ。

 九条が携えている魔法書も、死霊術に関する物に違いない。教会にとっても、それなりに価値がある物なのではないかと。

 国宝の代わりにそれを差し出せば、自分の懐は痛まない。国の為なら、ミアも喜んで接収を受け入れてくれるだろうと信じて疑わなかった。


「アルバート様……それは……」


 その一言で、バイアスは全てを理解した。

 九条の遺品は、ミアが相続することになっている。アルバートが、それを無理矢理に奪おうとしたのなら、抵抗されて当然だ。

 国民から財産を接収することは稀にある。だが、それには明確な理由が必要であり緊急時に限られる。

 例えば戦時、軍馬が足りなければ馬を。食料が足りなければ作物を。装備が足りなければ農機具もその対象となるが、どう考えても今回はそれに当てはまらない。

 何をするにしても手順が必要であり、それを踏まなければ、やっていることは強盗と同じだ。


「何故、そんな顔をするんだバイアス公。僕は怒りを収めたんだ。その場で首を切らなかっただけマシだろう? それに、僕なら王の代理として司法権を行使できると言っていたじゃないか」


 確かに言った。だからこそ、バイアスは頭を抱えたのだ。それは、何をしてもいいという権利ではない。


「あらあら。流石はアルバート様。敬虔な信徒であらせられますねぇ。その行いに、神は感謝する事でしょう。ですが、そんなことしちゃっていいんですかぁ?」


 不敵な笑みを浮かべる盲目。アルバートはわかっていなかったが、バイアスはその意味を察していた。

 百歩譲ってミアの処刑は良しとしよう。九条亡き今、それが国内だけの話であれば、もみ消すことも罪状をでっち上げる事も出来た。

 だが、隣国の首脳が集まるこの場で……というのがまずかった。

 魔法書を奪い、抵抗された為、処刑する。それは正当な理由にはなり得ず、贔屓目に見ても死罪は重すぎる。

 まだ、ミアに欲情したと言われた方がマシだった。


(今の会話は盲目を通じて、各国へと広まるだろう。当然、アルバート様の評判はガタ落ち……。いや、それを理由に不当な条約を結ばされる可能性も……)


 これでは、魔法書欲しさに九条を厄介払いしたと捉えられても仕方がない。各国からの印象は最悪だ。

 折角、九条の処刑で教会との関係を対等に戻したというのに、アルバートの行いでまた不利な方へと傾いた。


(最早言い逃れは不可能。私の所為だ……。何もするなとしっかり釘を刺しておけば……)


 バイアスに残された道は2つ。

 ミアの処刑は即刻中止。アルバートが未熟であったと素直に謝罪し、汚名を被りながらも立て直しを図るか。

 それともミアの処刑を強行し、盲目の口を封じた後アルバートの正当性を主張するか。

 後者の場合、最大の問題は盲目の実力……。


「――ッ!?」


 チラリと盲目を盗み見たバイアス。盲目はそれを知っていたかのように、怪しい笑みを浮かべていた。

 開いていないのに目が合った様な感覚。バイアスが覚えたのは気まずさではなく、畏怖である。


「……んふふ……やってみますかぁ? ゾクゾクしちゃいますねぇ……」


 腰の鎖をジャラジャラと弄ぶ盲目に対し、心の内を読まれたのかと焦りの色を隠せないバイアス。

 言い訳か、誤魔化しか……。どちらが正解なのかを思案し、止まっていた呼吸を思い出したかのように息を吸い込んだ瞬間だった。


「なッ!? なんだ!? クソッ! あっちいけッ!」


 突如コロシアムに響いた男の声。その声の主は、ミアを拘束していた男のもの。

 その周囲を飛び回っていたのは、九条の従魔のピーちゃんだ。

 男は鬱陶しそうにしながらも、それを払いのけようと必死に腕を振り回していた。


「あッ、コラ! 待てッ!」


 その隙を突き、走り出したミアが向かった先は、血塗られた断頭台。


「……おにーちゃん……」


 か細い声で九条を求めたミアが、躊躇なく血だまりに膝を付くと、その小さな両手で九条の首を愛おしそうに抱き上げた。

 最愛の人が亡くなったのだ。異常にも見えるその行動も腑に落ちるのだが、むしろ狂気はそこからだった。

 ミアがその場で立ち上がると、抱えていた九条の首がゆっくりと目を開けたのである。

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