第572話 狩人の心得

 リリーたちがハーヴェストへ辿り着くと、最低限の荷物だけを携え、急ぎ馬車へと乗り込んだ。

 それも王家御用達の物ではなく、軽量で速さを重視した旅客馬車を急遽チャーターし、更にはそれを8頭の馬に引かせるというまるで馬車レースにでも出走するかのような特別仕様。

 それに加えての強行軍。全速力での巡航に耐えられた馬は半分以下。途中ベルモントで馬を入れ替えラストスパートといったところで、今度はキャビンが限界を迎えた。

 眼前の小高い丘を越えれば王都が一望できる距離。このままいけば、後数時間という所まで来ていたのだ。


「バイス、どうでしょう? 直せますか?」


「応急処置はできますが、全速力は無理ですね。今回は車輪が外れただけで済みましたが、留め金がバカになっちまってる。馬も暫く休ませないと、これ以上は……」


「そうですか……」


 焦燥感に駆られ苛立ちが募るリリーではあったが、それを口にしたところでどうにもならない事は知っている。

 九条の禁呪使用には、少なからず責任の一端を感じていた。

 仕事を頼んでいたのは自分。細心の注意を払ってはいたが、その間に漏れてしまった可能性は否めない。

 魔法学園の時か……。アレックスの結婚式か……。それともグランスロードの遠征時か……。

 もちろんバイスとネストも同様だ。……ただ、もみ消せる自信もあったのだ。

 国内での権力は上から数えた方が早い。たとえ相手がヴィルザール教団であろうと、交渉の席に着けさえすれば、対等以上に渡り合えるはずだった。

 少なくとも、九条の処刑という結果にはならなかったはずなのだ。


「ネスト、馬車は俺に任せろ。お前はリリー様を連れて先に行け」


「ええ。そうさせてもらうわ。10分程休憩したら、一番走りそうな馬を見繕ってちょうだい」


 バイスがそれに無言で頷いた、その時だった。

 眩しいほどの西日が、分厚い雲に覆われ翳りを見せると、辺りの木々から一斉に飛び立つ小鳥たち。

 その鳴き声は明らかな警戒を示していて、疲れ果てた馬たちでさえもが暴れ出したのである。


「なんだ!? おい! 静まれッ!」


 バイスが急ぎ手綱を握るも、それは中々収まらない。

 その様子に胸騒ぎを覚えたリリーは、一人丘へと駆け上がる。


「リリー様!?」


 ネストの制止を振り切り、ついには丘を登り切ると、リリーはその光景に絶句した。


「――ッ!?」


 北に見える王都の空には黒雲が渦巻き、遠くにいても聞こえるほどの雷鳴は、嵐の到来を予感させるほどのもの。

 その中心。王城付近に突如出現したのは1匹の魔獣。それに見覚えがあったのだ。


「金の……鬣……」


 何故それがそこにいるのか……。何かの間違いではないか……。

 幾つもの可能性を考えたリリーではあったが、その結論は変わらない。


「間に……合わなかった……?」


 力が抜けてしまったかのように膝を折るリリー。

 ようやく追いついたネストとバイスは、リリーを支えながらも、その光景に目を奪われる。


「……俺達が倒した奴よりもデケェ……。別個体って可能性も……」


 九条の命を奪おうというのだ。普段は温厚な九条とは言え、反発は必至。その怒りは当然だ。

 その結果が、眼前の光景なのだろうとバイスの中では結論が出ているのに、どうしてもそれを否定せずにはいられない。


「いいえ。あれは九条よ……。言ってたもの。頭蓋骨から記憶を読み取り、そのピーク時の肉体を再生できるって……」


 それは、ネストの御先祖様であるバルザックが証明している。

 死亡時の状態でよみがえるのであれば、バルザックは生身ではなくリッチの姿で復活しているはずなのだ。


「じゃぁ何か? アレが金の鬣の本来の姿ってことか!?」


「恐らく……」


 封印から目覚めたばかりの金の鬣ではない。魔王の時代、四天魔獣皇として恐れられた全盛期を思わせる雄々しき獣の姿が、そこにはあった。

 それを見て、思い出したのだ。九条の力は、魔王の力の一端を行使できるものなのだと。

 ダンジョンを支配し、魔獣をも従える術を持つ。過去の英傑や強力な魔族であろうと、骨さえあれば全ては九条の思うがまま。

 わかってはいたが、その脅威を忘れていたのは、九条の性格故だろう。

 私利私欲の為に力を行使したりはしないと、信じて疑わなかったのだ。


 その力が想像を絶するものだと改めて畏怖を覚えたのと同時に、怒りも沸々と湧いて出る。

 もちろん九条にではなく、その虎の尾を踏んだであろう元凶に対してだ。


「私はもう、お兄様をお兄様とは思いません……」


「リリー様。いざという時は、俺を指名してください。王子様の顔をこれでもかとぶん殴ってやりますから。……まぁ、生きていればの話ですが……」


 いつもならネストから一喝されるであろうバイスの軽口も、最早冗談には聞こえない。


「それにしても……。あんなんどうやって止めるんだよ……」


 弱点なら知っている。それは、時間制限が存在しているということ。

 曝涼式典での魔法書返還後、コット村を訪れた際に九条から直接聞いている。

 当時の記憶では5時間から6時間程と言ってはいたが、目の前の光景は、それが弱点になり得るかすら怪しい状況。

 効果が切れるまでの間、巨大な魔獣が暴れ回る。それが王都にどれだけの被害をもたらすのかは、考えるまでもない。


「急ぎましょう! 一刻も早く九条のもとへッ!」


 踵を返し、丘を駆け降りようとしたリリー。

 ネストは、その腕を素早く掴み、リリーの行く手を遮った。


「申し訳ございません、リリー様……」


「ネスト? バイス?」


 戸惑うリリーに、苦悩の表情を見せたネストとバイス。

 しかし、リリーへと向ける視線は信念の籠った真っ直ぐなもの。

 2人が何を言いたいのか……。リリーがそれを理解するのに、そう時間はかからなかった。


「まだ間に合うかもしれないじゃないですか! 九条ならきっと私の話を聞いてくれます!」


 確かにその可能性は残されている。しかし、その声を届けるには、あの魔獣の下へと行かねばならないということだ。

 ネストとバイスの役割。それはリリーを守ること。実際にアレと対峙した事のある2人だからこそ、その難しさを痛感していた。

 逃げ出す民衆の流れに逆らい進まなければならないのに加え、そこへ辿り着いたところで金の鬣より先に九条がリリーに気付くのか? 気付いたところで止まるのか?

 それは、リスクの高すぎる賭けである。


「アンカース卿、ガルフォード卿! これは命令です! 私を九条の下へと連れて行きなさいッ!!」


「……残念ですが……」


「――ッ!!」


 行ける事ならば行きたい。ネストとバイスも断腸の思いではあった。しかし、リリーの命を天秤にはかけられない。


「魔法を使う者は、常に冷静であるべきだ――。私はそう教えたはずですリリー様。大局を見誤ってはいけません。九条の魔法が、あの魔獣をよみがえらせたというのなら、九条は生きているのです。対話であれば、後からいくらでもできます」


「……ですが……」


 難色を示すリリーに対し、ネストはその両肩に手を置いた。

 その手は、僅かに震えていたのだ。


「……正直に言います。……情けない話ではありますが、私にはリリー様を守れる自信がありません……」


「――ッ!?」


 言われてリリーは、ハッとした。ネストの肩から見切れていた光景は、それを如実に伝えていたのである。

 宙に浮く飛翔魔導船から王都へと降り注ぐ魔法の矢マジックアローは、流星群を思わせるほど。

 金の鬣はそれを意に介さず、上げた咆哮と同時に一瞬の閃光が飛翔魔導船を貫いた。

 遅れて聞こえる雷鳴の轟き。落下していく魔導船は、黒煙を上げながらも視界外へと消えていく。


 自分の我が儘で、忠実な家臣を危険な目に合わせようというのだ。それがどれだけ愚かな事か、わからないリリーではない。


「……もう……大丈夫です。ありがとう……ネスト、バイス」


 先程とは違う、落ち着いた表情を見せるリリーに、ネストとバイスは顔を見合わせ安堵した。


 改めて、遠くに見える王都へと視線を移す。その惨状は、酷い有様だった。

 九条にはそれほどの力がある。当然逃げることも容易いはずだが、何故そうしなかったのか?

 薄々ではあるが、ネストとバイスはその理由に見当がついていた。

 逃げなかったのではない。逃げられなかったのだ。

 2人は火の手が上がる王都を眺めながらも、かつてシャーリーから言われた言葉を思い出し、噛み締めていた。


 子を守る獣には、決して近づいてはならない――と……。

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