第351話 指南役シャーリー

 ネストがコット村を去ってから1ヵ月ほどが経った。

 その間、問題という問題も起こらず、俺は平和な生活を過ごしていたのだ。

 いつも通り村のパトロールを終え、ギルド1階の食堂でミアと優雅なランチタイムを堪能していると、食堂の扉が勢いよく開かれた。


「九条! 助けてくれ!!」


 大声を上げ、ボロボロの身体で駆け寄って来たのは村付き冒険者のカイル。

 顔の所々に土汚れが付着していて、それが汗と涙で泥と化し、滴り落ちている様は不衛生極まりない。

 俺とミアはそれに不快な表情を見せた。ここは食堂である。


「カイル。ここは食事をするところだ。格式高いレストランとは言えないが、せめて顔を洗ってくるとかしたらどうだ?」


 そんな俺の言葉を遮り、開けっぱなしの扉から入って来たのはシャーリーだ。


「カイル! 逃げるなって言ってんでしょーが!」


 呼び捨てである。年齢的にはカイルの方が上なのだが、その言葉遣いは敬っているようには感じない。

 ドカドカと足音を立てて近づいて来るシャーリーは、涙目のカイルを鋭い視線で見下ろした。


「まさかこんなに厳しいとは思わなかったんだ! もう勘弁してくれ! 九条からも何か言ってやってくれよ!」


 助けを求める視線を向けるカイルを、少々冷たくあしらう。


「自分から言い出した事だろ? もう少し頑張ってみたらどうだ?」


「そんなぁ……」


 それはネストが帰ってからすぐの事だ。村の東側で商人の乗る馬車が熊に襲われたとの一報が入った。

 コット村周辺は平和だから、との噂に冒険者の護衛をつけなかった結果らしいが、それが通用するのは西側だけ。

 恐らくは積荷の食料が目当てで商人にケガはなかったが、街道に置き去りにしてしまった荷車を取り戻してほしいと、コット村のギルドに依頼が入ったのだ。

 田舎ギルドの割には魅力的な報酬の仕事。カイルとシャーリーはその依頼を取り合ったのである。

 短い話し合いの末、パーティを組むということで一緒に熊狩りへと出かけて行ったのだが、依頼を達成し、帰って来たシャーリーはお冠であった。


「聞いてよ九条! コイツ全然役に立たなかったの!」


 そりゃそうだろ……と言いたいが我慢した。シャーリーはゴールドで、カイルはカッパーだ。比べる方がどうかしている。

 とは言え、シャーリーはそういう事を言いたいわけではないらしい。

 そもそもソロで依頼を受注していたら、死んでいたかもしれないと言うのだ。

 討伐対象はブルーグリズリーと呼ばれる漆黒の体毛をした熊であった。大きさは標準より少々小振りだが、熊にしては素早く、ソロでの討伐であれば、シルバープレートは必須と言われる獲物のようだ。

 弓で熊に対抗するのだ。それがどれほど難しい事かは、俺にでもわかる。

 圧倒的な破壊力で無力化するか、急所を一撃で射抜く技量が必要だ。カイルはそのどちらも持ち合わせていなかったのだろう。

 シャーリー曰く、身の程を知れとのこと。

 それを重く受け止めたカイルは反省した様子を見せ、そしてシャーリーに弟子入りを志願したのである。


 その結果が目の前のこれだ。

 何度かシャーリーの指導を見せてもらったが、その内容は的確で理に適っていた。

 まぁ、多少スパルタな所も見受けられたが、日本のブラック企業などと比べれば全然マシだ。

 恐らく無理だとは思うが、最終目標は森の中で素早く動き回るワダツミに一撃を与えることらしい。


「くじょぉぉ……」


 シャーリーに首根っこを掴まれ、ズルズルと引き摺られていくカイルを不憫に思いながらも、手を振った。


「村の為だと思って頑張れ……」


 カイルとシャーリーが食堂を後にすると、静かになったところでランチタイムの再開である。


「おにーちゃん」


「ん?」


「最近暖かくなって来たよね?」


「ああ。そうだな」


「お仕事は、まだ受ける気はないの?」


「そうだなぁ……。簡単なヤツなら、まぁ……」


「プラチナの依頼に簡単なのがあると思う?」


「う゛っ……」


 もっともであるが、ないこともない。内容自体は安易であるが、ただ俺が選り好みをしているだけだ。


「賢者の石との交換条件に、暫く依頼を受けなくてもいい権利でもつけてもらうべきだったか……」


 後悔する俺に対し、ミアは食事の手を止めニヤリと不敵な笑みを浮かべると、右手に持っていたフォークを置き、人差し指をピッと立てた。


「そんなおにーちゃんにオススメのお仕事がありまぁす」


 その表情は得意気だ。


「いや、いいよ。受ける気ないし……。それに秘策もあるしな!」


「えぇぇ……折角おにーちゃんの為に厳選したのにぃ……」


 立てた人差し指は力なく折れ、口を尖らせるミアは不満そうだ。


「それで、秘策ってなーに?」


「自分で自分に依頼を出すんだ。内容は何だっていい。どうせ何もしないんだ。ギルドに依頼料は取られちまうが、仕事をしたという実績は残せる。いい案だと思わないか?」


「……なんでおにーちゃんは、そういうセコイやり方ばっかり思いつくの?」


 ミアから向けられる冷やかな視線。確かにセコイが、ギルドの規約には違反していないはずである。

 カネがあるからこそ出来る芸当だ。カネでギルドから休みを買っていると思えば、まぁ……。

 とは言え、ミアが俺の為に厳選してくれたという仕事も、気になると言えば気になる。

 俺を熟知しているミアのことだ。さぞ楽な仕事を探してくれたのだろう。


「じゃぁ、ミアが選んでくれたっていう依頼の内容は?」


「よくぞ聞いてくれました! これです!」


 そう言って、ゴソゴソと漁ったポケットから、幾重にも折られた依頼用紙を取り出すと、それを俺の前で広げた。


「なんと! リブレスからのご依頼です!」


「リブレスぅ? 確かエルフ達の国だよな? 世界樹の麓にあるっていう……。というかめちゃ遠いじゃないか。それのどこがオススメなんだ?」


「リブレスは普通エルフ以外の人は、入れないんだよ? でも、おにーちゃんは特別に入ってもいいのです!」


「いや、別に興味はないんだが……」


「そうなの? でもシャロンさんのお耳を触って喜んでたんでしょ?」


「ミア……それを誰から聞いた?」


「シャロンさんだけど?」


 ねっとりとした視線を向けてくるミアに、俺は顔を引きつらせた。

 口止めはしていないが、何故言ったし……。


「別に喜んではいない……。気になっただけだ。……ミアだってサハギンのエラの中に、手を突っ込もうとしてたじゃないか」


「それは、そうだけど……」


 必死に取り繕うと、なんとか誤魔化す事には成功した様子。

 話題を変える為、話を戻す。


「で、そのリブレスからの依頼の報酬は?」


「えっと……報酬は、なんと金貨80枚です!」


「ほう……。ん? いやいや……少なくね?」


 俺の金銭感覚がズレて来ているのだろうか? あのグレッグでさえ屋敷の除霊に金貨100枚を払うと言っていたのに……。

 とは言え、それは仕事内容次第だ。


「おにーちゃん指定の依頼じゃないんだよね。でも、おにーちゃん向けなの」


「また死霊術系か?」


「うん。前回と違って今回は内容もちゃんとわかってて、8年前に滅びた村の調査をして欲しいんだって。死者の声を聞いて、その原因究明に尽力して欲しいっていうのが今回のお仕事だよ」


「それは、その後の展開に寄りけりだな……。原因がわかったとして、その後さらなる調査が必要なのか? それとも原因だけわかれば俺はお役御免ってことでいいのか?」


「原因の究明としか書いてないから、報告したら終わりでいいんじゃないかな? それ以上を求めるなら、ギルドとしても追加料金を請求するし……」


「ふむ……」


 内容的には悪くない。遠いというところを除けば、確かに俺向けの依頼だ。

 ……いや、待て。何故、依頼を受ける前提で考えてしまっているのか……。俺にはその理由がない。


「危うく引き受けそうになったが、依頼は受けないぞ?」


「えぇぇ……」


「何故ミアは、そんなに依頼を受けさせたいんだ?」


「それは……」


 口ごもり視線を落とすミアの代弁をしたのは、食器を下げに来たレベッカだ。


「そんなの決まってるじゃないか。リブレスに行ってみたいんだろ? いいねぇ。私も行ってみたいわぁ……」


 レベッカに向けた顔をミアに戻すと、こくりと小さく頷くミア。

 言われてみれば確かにそうだ。特別な許可を除き、エルフ以外には入る事を許されない土地。それはギルド職員でさえ例外ではない。

 正直言って俺はあまり興味はないが、ミアが引かれる気持ちも何となくはわかる。


「なんだ。それならそうと早く言ってくれ。その依頼受けてもいいぞ?」


 ガバっと顔を上げ、目を輝かせて俺を見つめるミア。


「いいの!?」


「ああ」


「やったぁ!」


 もちろん仕事はやりたくはない。だが、ミアが喜んでくれるのなら、一肌脱ぐのもやぶさかではないのだ。

 観光旅行ついでに、ちょいちょいっと依頼をこなせばいいだけ。例えるなら父親の出張について来た娘――といったところだろう。

 ブラムエストでは、あっちこっちと動き回りゆっくりできなかったし丁度いい。

 世界樹から降って来る枝――とかいう災害に見舞われるほど奥地にはいかないだろう。

 ミアの嬉しそうな笑顔が見れただけでも、俺は満足なのだ。

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