第350話 2番目の実家
グリムロックの地下宿は窓すらなく、音が漏れることも少ない。出て行った3人の話し声はすぐに聞こえなくなり、静まり返った部屋に1人残されたアニタは、テーブルに頬杖をつき神妙な面持ちで黙りこくっていた。
(九条がマナポーションを隠していた……?)
にわかには信じがたいが、可能性としてはあり得なくもない話だ。
九条も魔法系適性の持ち主。飲んだことはないが、持ってないとは言っていない。
「クソッ! こんなことならダメもとで聞いておけばよかった……」
こうしてはいられないとアニタは急ぎ席を立ち、ギルドへと足を向けた。
グリムロック冒険者ギルド。ドワーフの洞窟内にしては浅い地下に存在している。
通路を挟み、対面に位置する呑み処クリスタルソングからは楽しそうな客達の声が響き渡っていた。
アニタはそれを不快に感じつつもギルドの扉を開け、脇目も振らずにカウンターへと向かい、ギルドの受付嬢を睨みつける。
「ねぇ。冒険者を探してもらいたいんだけど」
「えっ、あっはい。どなたを探しましょう?」
それはゴールドプレート冒険者以上の者に与えられる特権の1つ。指定した冒険者が何処にいるのかを教えてくれるサービスだ。
とは言え、ギルドが全員を把握しているわけではなく、ホーム登録をしている者から探すだけ。
その情報も全てが正しいとは限らない。ホーム登録をそのままに旅立ってしまう者や、数年前に受けた依頼を最後に消息を絶ってしまう者なども含まれるからである。一部を除き、常に最新の情報が手に入るとは限らないのだ。
「スタッグ王国支部の、九条って言うプラチナプレートなんだけど……」
そう。一部とは所謂プラチナプレートの冒険者を指す。彼等は常に何処にいるのかを把握されている。
移動時もギルド支部のある場所には報告を入れているはずなので、比較的直近の居場所くらいであれば知ることが出来る。
もちろん、その制度を悪用されない為に、相手側にも通達されるというデメリットも存在する。
「では、金貨30枚になります」
「いいわ。それで、どれくらいかかりそう?」
忙しく飛び回っている冒険者であれば、折り返しの連絡に数日を要する。
だが、今回はすぐにわかった。ギルドの受付嬢が九条の居場所を知っていたからだ。
アニタはそこそこ信用のおける人物だ。教えずとも出会うことになるだろうと、受付嬢は軽く考えていた。
「九条様でしたら、数週間の後にこちらに到着の予定ですよ?」
まさかすぐに答えが返ってくるとは思わず、目を丸くするアニタ。
「えっ!? どういうこと?」
「リブレスからの依頼を受注しています。恐らくですが今頃はベルモントかハーヴェスト。早ければ船の上かもしれません」
「……そう。なら急がなくちゃ……」
「え? 何か言われました?」
「ううん。こっちの話。気にしないで」
「はあ……。他に何か御用は?」
「九条がギルドに到着したら連絡してくれない? いつもの宿にいるから」
「かしこまりました」
「じゃぁ、よろしくね」
アニタは金貨30枚を支払い、受付嬢に軽く挨拶をしてからギルドを後にした。
グリムロックから乗合馬車に乗り、南を目指す。客は5人。その中にはアニタの姿も確認できた。
行き先はエルフ族の治める国、リブレスだ。その馬車にエルフ以外の種族が乗ること自体稀である。
そもそも許可のない人間は、国境を超えることが出来ないからだ。許可を持っているなら、それ専用の馬車に乗り換えなければならない。
アニタのやっている行為は、女性専用車両に乗る男性と同じようなもの。故に人一倍目立っていたのである。
ジロジロとねっとりとした視線を向けるエルフの客達には目も暮れず、アニタは無言で馬車に乗り続けた。
リブレスの国境から数キロのところで、いきなり立ち上がったアニタ。
それに驚き身構えるエルフの客達を横目に、アニタは馬車を途中下車し街道を外れると、森の中へと消えて行った。
そこから深い森林を半日ほどかけて歩き続け、到着したのは一軒の古びた納屋。手入れはされておらず、朽ちた壁は所々に穴が空き、屋根は酷く苔生している。
「【
アニタは納屋の扉にかかっている鍵を魔法で解除すると、錆びた蝶番が軋みながらも勝手に開く。それは納屋が傾いているからであり、自動で閉まる事はない。
中は狭くてカビ臭い。人が住めるような環境とは言いにくく、今にも倒れてきそうな本棚には、埃の被った本が1冊と白い仮面のようなものが無造作に置かれているだけ。
他の家具といえば、小さなベッドとその横に置かれた1脚の椅子だけだ。
「ただいま……」
「……」
僅かに聞こえてきた返事は、聞き取れないほどか細いもの。それに笑顔を見せたアニタは持っていた荷物を床に置いた。
「生きてる? お父さん」
目の前のベッドに横になっているのは1人の男性。アニタが父と呼ぶには老けすぎているほどしわくちゃの顔。その顔色は悪く、覇気はない。
起きてはいるが起き上がらずに、優しい瞳をアニタへと向けていた。
「……」
「はい。お土産」
アニタが荷物の中から取り出したのは、1本の小瓶。
「ほら、飲ませてあげるから口開けて?」
開いているかもわからない僅かな隙間に、マナポーションを少量ずつ垂らしていく。気管に入らないようゆっくりと優しく時間をかけて。
その中身がカラになると、アニタはそれを無造作に投げ捨てた。
ガラス同士がぶつかり、甲高くも雑多な音が響く。父と呼ばれた男性のベッドの周りには、無数の小瓶が散乱していた。
「どう? 少しはよくなった?」
聞かなくてもアニタにはわかっていた。僅かばかり顔色がよくなったようにも見えるが、その程度であることを。それでもないよりはマシなのである。
「……」
「今回は大漁だったよ? グレッグっていう貴族をちょっと手伝ったら報酬として貰えたんだ。予備としていつもの所に置いておくから飲んでね?」
ベッドの横に置かれた木箱。その蓋を開け、中を覗き込んだアニタはその表情を曇らせた。
(全然足りない……。このままじゃ……)
「……」
「ううん。なんでもない。今日は泊っていくから安心して」
アニタはありったけのマナポーションを木箱に仕舞うと、笑顔で父の手を握ったのだ。
次の日。アニタは目が覚めると、庭で干し肉をあぶりながら、焚き火の炎をじっと見つめていた。
(グリムロックで九条を待って……。なんとかパーティに入れてもらえれば一緒にリブレスに入国できるはず……。後はギルドの在庫を調べて……。なかったら……)
アニタの鼻孔を刺激したのは、香ばしいを通り越した焦げ臭い匂い。
「やばっ……。……ちょっと焦げちゃったけど、まぁいっか……」
木製のバケツをひっくり返しただけの椅子から立ち上がると、納屋に向かって声を掛けた。
「お父さん。お肉焼いたけど食べるぅー?」
「……」
「ですよねー。……まぁわかってたけどね」
焼きたての黒い肉を強く噛み切り、食べ辛そうに顎に何度も力を入れている様子は、野性味溢れる食べ方だ。
アニタは1人朝食を済ませると、荷物をまとめて旅立ちの準備に勤しんだ。
「……」
「うん。実は当てがあるんだ。少し前にスタッグで知り合った人でさ……」
「……」
「全然。危ない事なんかないよ。お父さんのおかげで今じゃ私もゴールドプレート冒険者だよ? ちょっとくらい平気平気」
胸を張りゴールドプレートを強調しながらも、アニタはガッツポーズをしてみせる。
ベッドに横たわる父の表情が、ほんの少しだけ緩んで見えたような気がした。
「じゃぁ、行って来るね。今回はそんなに遠くないし、前回よりは早く帰って来れると思う」
荷物を手に持ち、ベッドの上の父に向かって軽く手を振るアニタ。
「【
納屋の扉を閉め、魔法で鍵をかけると、アニタはグリムロックへと向け歩き出した。
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