第330話 引き継ぎ

 屋敷の前ではレストール卿が、今か今かと俺の帰りを待っていた。


「シルビア! セレナ!!」


「「お父様!!」」


 2人は馬車から飛び出すと、レストール卿に抱き着いた。

 張り詰めていた緊張の糸が解れると、わんわんと泣き出す2人。


「おかえり九条。どうだった?」


 馬車に繋がれている馬を労わっていると、近づいてきたバイスに愚痴をこぼす。


「ホント大変でしたよ。全然信用してくれないんですから」


「だから言ったじゃねぇか。グラーゼンさんを連れてけって……」


「いやいや、グラーゼンさんが怒りに身を任せて奴隷商を切り殺したらどうするんです?」


「その時はその時だろ? そもそも身元不明の娘を調べもせずに奴隷として売りに出す方が悪だ」


 間違ってはいない。知り合いを連れて行けば、すぐにでも信用してもらえただろうが、そうはいかない事情があった。

 奴隷商はシルビアとセレナが本当の貴族だとは知らなかった。彼はグレッグが殺した使用人達の代わりの奴隷を売りに来ただけの一般人。

 アニタは、シルビアとセレナをどうしても殺すことが出来ず魔法で眠らせると、奴隷商に2人の身柄を引き渡し、グレッグには殺したと報告していた。

 アニタが勝手にやった事で奴隷商には責任を押し付けられないと、俺だけが買い戻しに行ったのである。

 故にレストール卿とグラーゼンは、2人が奴隷として売られていたことを知らないのだ。

 シルビアとセレナが俺を信用した後、奴隷ではなく何処かに閉じ込められていたことにするよう頼んだ。

 グレッグに殺されるよりはマシだろう。見方を変えればアニタに救われたとも言える。それくらいは大目に見てくれてもいいはずだ。

 今までの経緯はレストール卿が2人に説明するだろう。


「おかえり九条。レシピ通り作ってみたんだけどどうかな?」


 そう言ってシャーリーから差し出されたのは細い串状の棒の束。

 それを1本手に取った。


「うん。よく出来てる」


「でしょ?」


 満面の笑みを返すシャーリー。それは線香と呼ばれる物だ。

 シルビアとセレナを迎えに行っている間に、シャーリー達にレシピを渡し作っておいてもらった。

 線香を作るのは、さほど難しい事じゃない。たぶの木の樹皮か、乾燥した杉の葉があれば最低限の形にはなる。

 どちらも粉末にして水を足しながら捏ねるだけ。それを板状に伸ばし、蕎麦を切る要領で細切りにして乾かせば完成である。

 手作り故にその太さは蕎麦というよりうどんであるが、必要十分だ。


「言われた通り地下室で焚いて来たけど、独特な香りがするのね。何に使う物なの?」


「この香煙には浄化の意味が込められているんだ」


「へぇ。なるほどねぇ」


 それから2時間後。ようやくレストール卿と2人の娘が執務室に姿を見せた。


「すまぬ。九条殿。遅くなった」


 約半年ぶりの再会。積もる話もあるだろうが、正直言って長すぎだ。

 出来れば家族水入らずは、俺達が帰ってからにしてもらいたいものである。

 人を待たせているという自覚はないのだろうか?


「俺達は別にいいですけど……」


 そう、俺達は別にいい。問題なのはもう1人。


「遅い!」


 大きな書斎デスクの下からにょきっと現れたのはペライス。

 2時間机の下に隠れていたのだ。待たせ過ぎである。


「……お……おにい……さま……?」


「遅かったじゃないか2人とも」


 2人の妹に目くじらを立てるペライス。もちろん本気で怒っている訳ではない。

 当の2人は、信じられないものでも見ているような表情で硬直していた。


「……うそ……だって……亡くなったって……」


「久しぶりに可愛い妹に会えるというから、神様に頼んで少しだけ様子を見に来たんだ」


 じれったいとはこのことだ。

 感動の再会。それを邪魔する者は誰もいない。

 ペライスもセレナもシルビアも。ただ茫然と突っ立っていて、聞こえて来るのは鼻を啜る音だけ。

 ならば。きっかけを与えてやろうと口を挟んだ。


「ペライス。久しぶりに見た妹たちの顔はどうだ?」


「そうだな……。髪はボサボサで……歪んだ顔は酷くて……。だめだ……涙で……よく見えない……。2人とも……もっと近くで……よく見せてくれ……」


「「おにいさまぁぁぁッ!!」」


 大粒の涙をボロボロと流す3人は強く抱き合い、その悲しみとひとときの喜びを分かち合った。

 それに釣られて涙するレストール卿にグラーゼン。どうやらサプライズは成功のようだ。

 これを提案してきたのはレストール卿。

 鼻息も荒く2人をびっくりさせてやろうなどと言い始めた時は、耳を疑った。

 死霊術はそんな事の為に使うつもりはないとも考えたが、俺もそこまで鬼じゃない。

 グレッグを殺した事でペライスの未練は断ち切ったはずだが、2人の妹に会うこともそれに含まれていると言うのならば、その願いを叶えるのも俺の務め。

 直接ではないにしろ、ペライスを殺したのは俺なのだ。それが罪滅ぼしになれば本望である。


「ペライス。そろそろ……」


「はい」


 レストール卿に促されペライスは涙を拭うと、2人から離れデスクに座る。


「シルビア。セレナ。こちらへ。引き継ぎだ」


 その意味を理解したのだろう。2人の視線はレストール卿へと移った。


「今日からこの街はシルビアとセレナに治めてもらう。ペライスから町長を引き継ぐんだ」


「そんなッ! まだ早すぎますお父様! お兄様が帰って来たのです。このままお兄様が統治すれば良いではありませんか」


「シルビア。言っただろう? 戻って来れたのはほんの少しの間だけなんだ。だから、迎えが来る前に……」


「それは何時ですか!? 神がお兄様を迎えに来ると言うなら私が連れて行かないでくれと懇願します! 信仰深い信者が誠意をもって祈れば、神は応えてくれます。それでもダメなら殺してしまえばいい。願いを聞き入れない神なぞ不要です!!」


 一同ドン引きである。言いたいことはわかるが、暴論ここに極まれりだ。

 信者を選べない神様には多少の同情を覚える。

 この2人には俺の秘密を明かすつもりはなかった。セレナはいいとしてシルビアは口が軽そうだから……。

 故に神様が情けをかけてくれたということで煙に巻こうとしたのだが、それを聞き入れるつもりはないらしい。

 死んだ者が帰って来たのだ。離れたくないと思うのは人の心としては当然であり、欲を出すなと言う方が難しいだろう。


「シルビア。ヴィルザール神様を悪く言ってはいけない。死者がよみがえることはあってはならないこと。世界の理を歪めてまでこの時間を作ってくれたことに感謝しなければ……」


「ですがッ……」


 ペライスは諭すよう優しく言葉を紡いだ。

 シルビアだって頭ではわかっているのだろう。我が儘のようにも見えるが、ただ諦めきれないだけなのだ。

 それを素直に聞き入れたのは、他でもないセレナであった。


「わかりました。私はお兄様の意志を継ぎ、この街の町長として立派に職務を果たして見せます!」


 ペライスを真っ直ぐに見据え、決意する。

 セレナが覚悟を決めたのだ。姉であるシルビアが感化されないわけがない。

 いつまでも甘えているわけにはいかないと目に浮かぶ涙を拭い、シルビアはその気持ちを震える声に乗せた。


「私もです! セレナと一緒にこの街を導いて見せます。レストール家の者として。お兄様の妹として恥じぬよう精進致します!」


 その硬い決意がペライスの心に響いたのだろう。

 2人に向けられた柔らかな笑顔は、これ以上ない幸福感に満たされたものであった。

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