第329話 5年越しの真実

 手枷と首輪をつけられ、店を出た。

 紐で繋がれ奴隷街を歩く姿は、他の奴隷達にはどう映っているのだろうか? 憐れみか……。それとも同情か……。

 だが、惨めだとは思わない。どうにかして逃げ出すことが出来れば、まだ望みはあると考えていたからだ。

 奴隷街を出ると、大通りに止めてあった巨大な馬車に目を奪われた。

 目立つ為か、良くも悪くも周りからジロジロと見られる感覚は奴隷でなかった頃を思い出す。

 プラチナプレートの男が扉を開け、馬車に乗るよう促される。

 それに乗り込むと、中にはキツネの魔獣と小さな女の子がいた。


「いらっしゃい!」


 屈託のない笑みを向けられる。自分より5歳ほど年下だろうか?

 胸のプレートはゴールド。あの男の担当なのだろうが、意外過ぎて言葉を失った。


「挨拶くらい返したらどうだ?」


 不満気に言う男を無言でキッと睨みつける。


「はぁ……。貴族はこれだから……」


 不思議に思った。憤慨するでもなく、ただ溜息をついて呆れた様子を見せただけ。

 主人には言う事を聞かない奴隷を罰する権利がある。それを行使しないのだ。

 それよりも目を見張ったのは、私のことを貴族だと呼んだことである。


「あなた! 私が誰だか知っているの!?」


「もちろんだ。まあ、その話は街を出たらな」


 嬉しかった。恐らくは久しぶりに笑顔を作ったと思う。それを聞いたセレナも、満面の笑みを浮かべていたのだ。

 だが、それは私達の勘違いだった。


 馬車は街の西門を抜け、暫くすると日が暮れる。街道から少し外れた開けた森で野営の準備。

 といっても、広い車内ではそのまま寝ることが出来る為、外でテントを張ったりはしない様子。

 車内に立ち込める美味しそうなスープの香り。備え付けの暖炉で料理をしているのはギルド担当の女の子。

 その味見をして、満足そうに頷いていた。


「うん。今日もバッチリ!」


 となりの魔獣がつまみ食いをしているのは気付いていない様子。


「よし、じゃぁ飯でも食いながら話そう。っとその前に……」


 おもむろに近づいてくる男は、私とセレナの首輪を外し、同時に手枷も外してくれた。


「逃げるなよ? まあ、逃げようとしてもカガリとコクセイからは逃げられないだろうけどな」


「はい。どーぞ」


 出された食事は暖かいスープとバスケットに詰め込まれた無数のパンだ。チーズがたっぷりかけてあるものに、果物を煮詰めたジャムまで揃っている。

 それはどう考えても奴隷の扱いではない。ましてや冒険者の食事でもなかった。

 男はパンをスープに浸しながらも、それを美味そうに頬張る。


「率直に言おう。俺はお前達をレストール卿のもとに連れて行く」


「本当ですか!」


「ああ」


 嬉しかったのだろう。セレナは目を輝かせていた。

 ……だが、違うのだ。この男は嘘を付いている。


「飯を食ったら、近くの川で水を汲んでくる。風呂は無理だが、お湯を沸かすから身体を洗うといい」


「見張りは私がやるから大丈夫だよ? おにーちゃんには覗かせないから!」


「……まあ、そういうことだ。それと着替えを用意してある。サイズが少し小さいかもしれんが、その麻袋よりはマシだろう」


「良かったね。おねーちゃん」


 セレナは無垢な笑顔を私に向けた。

 まだ気づいていないのだろう。自分が騙されているということに。だが、私は違う。

 食事の後、男とミアと呼ばれたギルド担当は馬車を降りた。

 ゴワゴワの麻袋の服を脱ぎ、お湯を湿らせた厚手の布で汚れた身体を拭き上げると、目に見えて汚れるお湯に不快感を覚える。

 逃げ出そうにも扉の前には魔獣の見張り。


「セレナ。みんなが寝静まったら逃げ出すわよ」


「え? でも、お父様のところに連れて行ってくれるって……」


「そんなの嘘に決まってるでしょ。この馬車はロッケザークには向かってない。それにおかしいと思わない? 冒険者があんな豪華な食事を出すと思う?」


「じゃぁ、なんで……」


 その時だ。馬車の外から聞こえる男の声。


「着替えは済んだか? 入るぞ?」


 その日はそのまま就寝となった。馬車の中なのに快適に睡眠がとれるとは思わなかった。

 ふかふかのベッド……とはいかないが、今まで寝ていた地面に布を敷いただけの寝床よりは数倍マシ。

 あまりにも快適すぎて、起きたのは翌日の昼すぎだ。

 逃げるどころか、セレナからの視線が痛い。

 でも仕方がなかった。快適すぎるのがいけないのだ。きっとこれも罠なのだろう。明日こそは逃げ出してみせる。



 寝る前に水を大量に飲んだおかげで、真夜中に目を覚ますことが出来た。

 皆よく眠っている。隣で熟睡しているセレナを起こし、さっそく行動開始だ。


(セレナ……いくよ……)


 無言で頷くセレナの手を引き、馬車の扉に手を掛けた。


「何処へ行くんだ?」


 身体を起こした男は眠たそうに目を擦る。

 勘のいい男だ……。


「ちょ……ちょっとお花を摘みに……」


「ああ。寝る前にガバガバ水を飲んでたもんな。そこに桶があるだろ? そこでしろ」


「は? そんな恥ずかしい事出来る訳ないでしょ! 昼間は外でさせてくれたじゃない」


「ミアが起きるからデカい声を出すな。じゃぁ俺が出てってやるよ。3分あれば十分か?」


 この男はどうしても私達を車外には出さないつもりのようだ。

 それならばと覚悟を決め、男を無視し2人で外に飛び出した。そして二手に分かれ、全速力で走ったのだ。

 どちらかが逃げ切れればいい。男の視界から消えさえ出来れば、助けを呼ぶことが出来るかもしれない。

 だが、無駄だった。僅か50メートルも逃げれなかった。

 瞬時に追ってきた魔獣に首根っこを咥えられ、宙ぶらりんの状態で馬車へと帰還したのである。

 私達が逃げ出すと知っていたかのような余裕の表情を見せる男。憤りもせず、むしろ面倒くさそうに溜息をついた。


「なんで逃げるんだよ。レストール卿のとこに連れて行くって言っただろ? それとも家に帰りたくないのか?」


「嘘よ。最初から私をお父様のところに連れて行く気なんてない癖に!」


 男はそれに気を悪くしたのか、表情を強張らせた。


「だからデケェ声出すなっつったろ……」


 さすがのミアも目を覚ます。


「むぅぅ。やっぱり逃げたの? おにーちゃん」


「ああ。どうすりゃ信じてもらえんのかね……」


 男が心配していたギルド担当が起きてしまったのなら、遠慮は無用。


「何を信じろって言うのよ! 信じてほしいならロッケザークに連れて行きなさい! この道はブラムエストに続く街道でしょ!?」


「レストール卿は今、ブラムエストにいるんだよ……」


「そんな訳ない! グレッグに連れ戻すように言われたんでしょ!? いくらで雇われたの!? ロッケザークに向かってくれるならその倍額を出すようお父様に掛け合ってあげる。だから助けて!」


「いや、だからもう助かってるんだが……」


 何故自分達が奴隷商に売られたのかは疑問ではあるが、騙そうったってそうはいかない。

 あんなところに戻るくらいなら死んだ方がマシである。


「なぁミア。どうやったら信じてもらえると思う?」


「もう繋いでおけばいいじゃん」


 投げ槍気味に言い放つ。その表情は据わっているように見えた。

 苛立ちを隠せず、それを暗に訴えていたのだ。睡眠の邪魔をされれば誰だってそうなる。


「それはそうだが、さすがに可哀想じゃないか?」


「もう知らない!」


「はぁ……」


 寝袋を被ってしまうギルド担当に、呆れた様子の男。


「仕方ない。手枷をつけるが悪く思うなよ? ここからブラムエストまで1週間。到着までは2度と外には出さないし、手枷と従魔を縄で繋ぐ。食事は1日1度。排泄はそこの桶にしろ。騒ぐようなら猿ぐつわもしてもらう。嫌なら俺を信じろ」


「……わかった。信じるわ……」


「ならよかった。だが、俺はお前を信用できない。それだけの根拠を示せ。それが筋ってもんだろ?」


「はぁ!? あんたが信じろって言ったんでしょ!?」


「何故怒る? 俺は先程のお前達と同じことを言っているだけだが?」


 折角信じようとしたのにコレだ。

 いや、信じるつもりはなかったが、手枷をするよりはマシだと思っただけ。

 1週間もあれば隙を見て逃げ出せるかもしれない。

 それを見透かしているのか、キツネの魔獣を撫でながらもニヤニヤと笑みを浮かべる男に苛立ちを覚える。


「そうだなぁ。信じてほしいなら服を脱げ。全裸で土下座すれば信じてやるよ」


 なるほど。そういう事か。ようやく本性を現した。全てはこの為だったのだ。

 それは合法的に私達を辱める為。結局は体が目的なのだ。


「不満そうな顔だな。裸が嫌なら、そのヘアピンでもいいぞ? 到着までそれを俺に預けるなら信じてやる」


「えっ……」


 裸とヘアピン。どう考えても釣り合わない。ヘアピンを渡すだけなら造作もないが、自分達には逆だった。

 これを渡すくらいなら裸になる。それくらい大切な物。この男はそれを知っているのだろうか……。


「どうした? 兄から貰った誕生日プレゼントだろ? 大切な形見ならつり合いも取れるとは思わないか?」


「何故それを知っているの!?」


「他にも色々と知ってるぞ? お前達の名誉の為に言うまいと思っていたが、折角だから教えてやろう」


 何故か天井を見上げる男。次の瞬間、男の口から出る言葉を聞き、愕然とした。


「2人は10歳の誕生日にそのヘアピンをペライスから貰った。その日の夜。シルビアは嬉しくてペライスと一緒に寝ただろ? そしておねしょをしてペライスを困らせた。10歳にもなっておねしょとは……」


「なッ……!?」


「セレナはグラーゼンとペライスの訓練を初めて見た時、いじめと勘違いしてグラーゼンに殴り掛かったことがあるよな? 確か5歳の時だ」


「それは……」


「まだまだあるぞ? 冒険者ごっこと称してペライスと3人で家の庭を駆け回り、ハチの巣を叩き落としてペライスは5カ所。2人はそれぞれ1か所づつ刺されたんだったか? ペライスを置いて逃げ出すなんて酷い奴等だ」


「なんで……。なんであなたがそんなことを知ってるのよ!?」


 忘れるはずがない不名誉な失敗の数々。それはレストール家に近しい者しか知らぬ事だ。

 まるでそれを見ていたかのように語る男は楽しそう。


「……信じる気になったか?」


「確かにレストール家に詳しいようだけど、それだけでしょ。ウチの使用人が知っている情報を仕入れただけかも知れないじゃない!」


「これでもダメなのかよ。どんだけ疑えば気が済むんだ……」


 またしても天井を見上げる男。全てを諦め天を見上げたようにも見えるが、その表情は諦めた者の顔じゃない。


「じゃぁ、お前達にも知らないことを教えてやろう。そのヘアピンな。実はミスリル製なんだ」


「は? バカにしてるの? ミスリルを見たことがないとでも思ってるの?」


 そんなわけがない。ミスリルはこんなに黒くはないのだ。

 男は小さなナイフを投げてよこす。


「それで少し削ってみろ。ペライスはワザとそれを染めた。幼い頃から高価な貴金属を身につけていると悪漢に狙われるかもしれない。それを危惧したんだ。もし違ったらこの場でお前等を解放しよう。2度と追わないと誓う」


 セレナと顔を見合わせる。

 お兄様から貰った大事な物ではあるが、それで白黒つけられるならとナイフを手に取った。


「おねーちゃん……」


「大丈夫。私がやる」


 ペアピンを外すと洗っていないゴワゴワの髪が垂れ、鬱陶しさを覚える。

 覚悟を決め唾を呑むと、その先端を本当に僅かばかりナイフで舐めた。


「……うそ……」


 男の言う通りだった。黒ずんだ塗装が剥がれ落ち、そこから青白い金属が顔を覗かせたのだ。


「言っておくがその事実を知っているのは俺とペライスだけだ。2人が大人になったら明かすはずだった。ペライスが明かせないから俺が教えてやるが、正直こんなことで教えたくはなかったよ。……少しは信じる気になったか?」


 上手く言葉が出なかった。5年もの間、知らずに身に付けていたのだ。

 この男がいなければ、それを知らずに一生を終えたかもしれない。

 それと同時に、お兄様にこれを貰った時の事を思い出した。

 笑顔の裏にそんなことを隠していたなんて知る由もなかった……。

 込み上げてくる想い。5年越しのお兄様の優しさに触れ、目頭が熱くなった。


「……はい……。ごめんなさい……」


「ならいい。もう寝ろ」


 黒染めのヘアピンを胸元で握りしめた。セレナと顔を見合わせると、お互いが目に涙を溜めていたのだ……。

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