第239話 叶わぬ思い

 グレイスは、血相を変えリビングアーマーのローブを剥ぎ取った。


「……うそ……」


 あまりの衝撃に酷く動揺したグレイスは、茫然自失としていた。

 リビングアーマーは魔物に属する。人に付き従うことなんてあり得ない。ただ寡黙な重戦士がそこにいるのだとばかり思っていたのだ。

 その回答を得ようと、振り向いたグレイスは、九条を強く睨みつけた。


「お……落ち着いてください。グレイスさん!」


 その慌てたような表情は滑稽で、泳ぐ視線は頼りない。それが答えなのだ。

 気付いた時には走り出していた。何故、走ったのかはグレイス自身もわかっていない。


(騙されていたから? それとも涙を見られたくなかったから?)


 兎に角、その場を離れたい。ただそれだけであった。


「グレイスさん!」


「え? 何? どうしたの?」


 経緯を知らないネストの反応も当然だが、それを責めている場合ではないと、九条は走り去るグレイスを追った。


「ミア、後を頼む!」


 九条は、咄嗟の事でどうすればいいのか判断に迷った。だが、これは自分の蒔いた種でもある。


(秘密を守る為とは言え、騙していた事には変わりはない。それはしっかりと謝罪しなければ……)


 グレイスがノルディックのことを証言してくれたからこそ、九条は断罪を免れたのだ。それは紛れもない事実である。


 グレイスが入って行ったのは借家である1軒の平屋。


「グレイスさん。聞いてください!」


 扉を強くノックするも、返事は返ってこない。その扉は施錠されてはいなかった。

 九条が中を覗き込むと、隙間から見える室内の様子は薄暗く、明かりを点けている気配はない。

 それがグレイスの心情を表しているかのようで、九条には扉の向こうが別の世界にも見えていた。


「グレイスさん! 入りますよ!?」


 やはり返事は返ってこない。無断で入るのは失礼だとは知っていても、万が一ということもある。最悪、自らの命を絶つようなことにならないとも限らない。

 不法侵入については後で謝ればいいと、九条は扉をゆっくりと開けた。

 そこは8畳ほどの大きさのワンルーム。グレイスの性格が出ているのか、余計なものは殆どなく、最低限の家具のみが置かれていた。


「グレイスさん……」


 床に座り込み、ベッドにもたれ掛かるように顔を埋めるグレイスは、小刻みに肩を震わせていた。

 声を掛けると、グレイスは悲壮感漂う顔をゆっくりと九条へと向ける。


「騙していたんですね……」


「……すいません。結果的にはそうです」


「それで? 何しにいらしたんですか? 笑いに来たのならどうぞ好きなだけ笑ってください。滑稽に見えるでしょう?」


「違います。……もう遅いかもしれませんが、謝りに……」


「こんな……。こんな惨めな気持ちになるなら、最初から教えて下さればよかったのにっ!」


「……すいません……」


 ボロボロと涙を流しながら感情を吐露するグレイス。

 誰があれをリビングアーマーだと思うだろうか……。九条に従う屈強な戦士。共に戦うパーティの仲間であり、命を救ってもらった恩人でもある。

 しかし、あの時のグレイスはまだノルディックの担当だった。冒険者が信用出来ない者に手の内を明かさないのは常識だ。

 九条には言えない理由があった。九条が悪い訳じゃないのは理解しているが、グレイスはそれを素直に受け入れられなかったのだ。


「言い訳はしないんですか?」


「……」


 九条は何も言わず、申し訳なさそうに俯いているだけ。


「なんで何も言わないんですか? 私を叱責してくださっていいんですよ!?」


 むしろ非があるのはグレイスだ。一時の感情に流され、ボルグサンのことを根掘り葉掘り聞いてしまった。それはギルド職員としてのタブーである。

 一部の冒険者には隠しているスキルや魔法がある。秘術、秘伝、奥義。様々な名で呼ばれるそれは、所謂奥の手と言われるものだ。

 口外することはもちろん、無理矢理に聞き出すことも許されていない。


(九条様のリビングアーマーを従える技は、恐らくその内の1つなのだろう。勘違いしていたとはいえ、私が口を出していい領域ではなかった……)


 グレイスが九条の秘密を探っているとギルドに報告するだけで、グレイスへの処罰は免れず、ギルドをクビになってしまってもおかしくはない行為。

 だが、九条はそれをしなかった。それがグレイスを遠ざける一番手っ取り早い方法なのにもかかわらずだ。


(九条様は、隠し通せればそれでいいと考えたのだろう……。それを知らずに私は……)


 九条は優しすぎるのだ。他の冒険者であれば、そうはいかない。

 プラチナプレート冒険者の秘技。不可抗力だったとはいえ、結果的にはそれを知ってしまったのだ。

 避難されて当然である。グレイスは感情を押し殺し、自重するべきだったのだ。


「……リビングアーマーを作り出すことが出来るのは、禁呪と呼ばれる死霊術を使える為です」


「えっ? ちょ……何を……」


「死霊術は生と死を司る業。その真価は魂と呼ばれる存在を自在に操れるということ。それともう1つ。魔獣使いビーストマスターの適性は、俺が従魔達の言葉が理解出来るからこそ発現したものでしょう」


 グレイスの血の気が引き、鳥肌が立った。それはどう考えても聞いてはいけない内容だった。

 グレイスは、これでもかと目を見開くと、九条の両腕を掴み強く訴えた。


「九条様! いけません! 何故そのような事を口にしたのですか!! それは私如きが知ってはいけない事です!!」


「そんなことありません。俺が最初から言うべきだったんです」


「違います! 私が悪いんです! 私が勝手に勘違いをして一人相撲をとっていただけ! 九条様に非はありません!」


 あまりに突然の出来事で、グレイスの涙は一瞬にして引っ込んでしまった。


「違います。どっちが悪いというわけではなく。これを話したのは、グレイスさんへの礼。……いや、誠意を見せる為なんです」


「……誠意?」


「はい。俺が今ここにいられるのは、グレイスさんがノルディックのことを包み隠さず証言してくれたおかげです。それに対する誠意。グレイスさんがノルディックを裏切ったと見る者達は、少なからずいるはずだ。ノルディックの悪行を知らぬギルドの同僚に、第2王女の派閥であった貴族達。その者達に狙われるかもしれない危険を犯してまで俺を救ってくれた。それは、俺の秘密を知るだけの価値がある」


「九条様……。ですが……」


「その時点で明かすべきだったんです。それなのに、どうにか誤魔化そうとして逃げ続けた……。これはそのツケでもあるんです……」


「……」


「こんなことで、グレイスさんの失ったものと釣り合いを取ろうとは我ながらに浅はかだとは思いますが、俺にはこれくらいしか出来ない……。すいません……」


 グレイスの止まった涙が、再び溢れてきた。魔物に恋をしたバカな女に、ここまで気を掛けてくれたのだ。その優しさに感極まってしまった。

 普通の冒険者であれば、自分の秘密を口にしたりはしない。それが例え担当でもだ。

 それを知られてしまえば、自分がどれだけ不利になるかは考えなくともわかる事。弱みを握られるのと同義である。


「九条様……。ひとつだけ我が儘を聞いてください……」


 その返事を聞く間も無く、グレイスは九条の胸で泣いた。

 九条は、ただそれを受け止めることしか出来なかった。グレイスを抱きしめてやる資格はないのだ。

 グレイスは、漆黒のローブを力いっぱい握りしめ、恥ずかしいなどと言う感情を忘れるほどに慟哭した。涙と共にその想いを吐き出すように……。

 現実感のなかったグレイスの恋は、儚く散った。

 しかし、出会わなければよかったとは思わない。その経験を明日への糧にすればいいのだ。

 どれくらい先かはわからないが、いずれこの話も笑い話として話せる時が来ることを信じて……。


 ――それは、案外早く訪れた。


 しばらく泣き崩れていたグレイスは、ピタリと泣くのを止めたのだ。

 ようやく気持ちの整理がついたのだろうと思った九条であったが、それは少し違っていた。


「あれ? ……ボルグサン……いえ、リビングアーマーを操っていたのが九条様であるなら、それは九条様に助けていただいたのと同じ事では……?」


 頭を上げず、独り言のように呟くグレイス。


「いや、この場合どうなるんですかね……。確かに自分が作り出したものではありますが、実際に動いたのは自分ではないので……」


「いや、そうですよ。なんで今まで気づかなかったんでしょう。私は九条様に助けていただいたのです」


 その切り替えの早さには、さすがの九条も驚きを隠せない。

 騙されていたとは言え相手は魔物。魔物なんかに恋をしたとなれば、それは何物にも耐えがたい屈辱だと考えていてもおかしくはない。


(ならば、魔物に助けてもらったという記憶を引きずるより、俺が助けたと思っていた方が、精神衛生上楽なのかもしれない……)


「……まぁ、そういう考え方もあるんじゃないでしょうか?」


「ですよね? ですよね!?」


 グレイスに笑顔が戻り、九条はそれを見てようやく安堵したのだ。

 何かを吹っ切ったような、晴れ晴れとした表情。頬に残る涙の軌跡が歪むほどの笑顔である。


「あっ、いつまでもくっついちゃっててすいません。ちょっと顔を洗ってきますね」


 先程までの自分を恥じているのか、頬を赤らめながらも洗面所へと駆けて行くグレイス。

 数分で戻ってくると、その表情はいつもの落ち着きを取り戻したグレイスであった。


「お手数おかけしました、九条様。出来れば私が泣いたことは秘密にしておいてくださると助かるのですが……」


「ええ、もちろんです」


 若干腫れぼったい目がその痕跡を残してはいるものの、近づいて見なければわからないレベル。

 言われずともわかっている。女性をそんなことで貶めたりはしない。


「では、少し遅くなってしまいましたが、ギルドへ戻りましょうか」


「そうですね」


 グレイスが家の扉に鍵をかけると、夕陽を浴びながらギルドへと歩き出す2人。

 すると突然、グレイスが九条の手を握り締めた。


「うわぁ!」


 予期せぬ出来事に素っ頓狂な声を上げる九条。何の前触れもなかったので尚更だ。

 例えるなら、階段を踏み外した夢を見た時ぐらいには心臓が跳ね上がった。


「そんなに驚かなくても……」


「いや、驚くに決まってるじゃないですか! せめて何か言ってくださいよ……」


「言えばいいんですか?」


 途端に曇るグレイスの表情。泣きそう……というほどではないが、九条は先程までのグレイスを思い出してしまい、悲しませまいと曖昧な返事を返した。


「それは……まぁ……」


「では、手を握らさせていただきます!」


 そう言って、グレイスは一度放してしまった手を無理矢理握り直した。


(30代のおっさんが、若い女性と手を繋ぐなんて何十年ぶりだろうか……)


 ガラにもなく赤面する九条であったが、それは失念していただけだった。


(……いや、ミアがいるわ……)


 九条は思わず苦笑した。ミアといる毎日が当たり前となっていて、意識の外に行ってしまっていたのだ。

 恥ずかしいから止めてくれというのは簡単だ。だが、こんなことでグレイスに笑顔が戻るのであれば、暫くはこのままでも悪くないと九条はそっとその手を握り返した。


 そこからが九条の地獄の始まりであった。その途中でミアに見つかってしまった九条は、自室で小一時間問い詰められることになるのだが……、その話は止めておこう……。

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