第236話 王立魔法学院

 カランカランとけたたましく鳴り響く鐘の音。それと同時に、教室で授業を受けていた生徒達はソワソワと落ち着きを無くし始める。

 教壇に立っていた1人の女性が手元の本をパタリと閉じると、息を大きく吸い込んだ。


「今日はここまで。明日はこの続きをやります。宿題は出しませんが、各自復習はしておくように」


 途端に騒がしくなる教室。それに返事をする者は極少数。続々と立ち上がる生徒達は、手荷物片手に教室を後にする。

 そんな生徒達には目もくれず、後ろの黒板に書かれている魔法理論の一部を消し終えると、教卓に散らばる荷物をまとめ、研究室へと足を向ける。

 その途中。長い廊下を歩いていると、1人の生徒がそれに追い付きいきなり後ろから飛びついた。


「せーんせ? お疲れ様です」


 先生と呼ばれた妖艶な女性からは盛大なため息が漏れる。


「リリー様。授業時間外では呼び捨てでいいと言っているじゃありませんか」


「いいじゃないですか。使い分けるのも面倒ですし。ふふっ……」


 その生徒は、スタッグ王国の王族である第4王女のリリー。

 学院の制服に身を包むその姿は、いつものドレス姿とはまた違った印象を見せる。

 そして抱きついた教師は、貴族でもありゴールドプレート冒険者でもあるアンカース家の御令嬢、ネストである。

 先生と生徒とは思えないほど仲睦まじい様子は、何も知らない者が見れば親子か姉妹にでも見えるであろう間柄だ。


 ここは王立魔法学院ロイヤルアカデミーオブマジック。魔法に関する知識を学ぶ教育の場である。

 王都スタッグの北側に位置し世界最高峰の教育機関であったが、それも遥か昔の話。

 打倒魔王を掲げ創立した学院。古くは魔法系上位冒険者の登竜門と言われていたほどの名門校だった学院も、今や貴族達の社交の場としての存在意義しか持ち合わせていない。

 魔王亡き後、冒険者の激減に加え、その授業料の高さから生徒数は徐々に減っていき、存続の危機に立たされた学院の運営は国庫だけでは賄いきれず、貴族達の援助で成り立っていた。

 おかげでその生徒の殆どは貴族であり、学院卒業というステータスも今や何の意味もなさなくなった。

 それを変えようと立ち上がったのが、学院長であるジンメルだ。平民でも学べる教育機関へと生まれ変わらせる為に改革を行ってきた。

 貴族でなくとも負担可能な授業料の改定とその補助。遠方からの入学に備え学院寮の建設。そして著名で人気のある教師の採用。

 全ては貴族達による私物化の脱却。認知度を高め、魅力ある学院にする為だ。

 もちろん貴族側の反対を押し切っての改革である。貴族達の援助は打ち切られ、学院は一気に破綻寸前の泥船となったのだが、それに手を差し伸べたのが第4王女のリリー。

 自分の入学を条件に、運営資金のほとんどを負担している。その額は膨大であったが、それも第2王女であるグリンダと距離を置く為。

 ついでに魔法も学べ、リリーには願ったり叶ったりの環境であったのだ。


 ネストは自分の研究室に辿り着くと、凝った肩を解すようにグルグルと回しながらも、食器棚からティーカップを2つ取り出した。

 研究室といっても簡素なワンルーム。実際に本格的な研究をしているわけではなく、どちらかというと授業計画を考えるだけの部屋。後は1人になりたい時の休憩用といった用途が主である。

 広さは8畳程度で、学院の中庭が見える窓が1つだけ。大きな本棚に食器棚。そしてテーブルに椅子が2つ。


「リリー様? 授業の復習はいいんですか? 早く寮に戻られては? ご学友がお待ちしていますよ?」


 王族であるリリーは生徒達にも人気がある。授業の合間の休憩時間は、リリーの周りに人だかりが出来ているほどだ。


「ネストが入れてくれるお茶を飲み干したら帰りますから」


 リリーはニッコリと満面の笑みを向けると、ネストは溜息をつきながらもカップにお茶を注ぎ、席に着いた。

 礼を言ってそれを口に運ぶリリー。そして、ネストから出たのは先程よりも大きなため息。


「何をそんなに悩んでいるんです?」


 長年の付き合いだ。何も言っていないのに、リリーはネストが頭を悩ませていることに気付いていた。


「わかります?」


「ええ。それはもうハッキリと。教師になったこと、後悔していますか?」


「いいえ。後悔という程ではありませんが、やはり自分は身体を動かしている方が性に合っているみたいで……」


 予想通りの答えが返ってきて頬を緩ませるリリー。

 ネストの話もそこそこに、聞こえてきたのは研究室の扉をノックする音。

 特段珍しいことではない。生徒が質問にとネストの研究室を訪れることも良くあるのだ。なので、基本施錠はしていない。

 しかし、それに返事を返したのはネストではなく、リリーだった。


「どうぞ」


 ゆっくりと開かれる扉。そこに立っていたのは、リリーの近衛隊長であるヒルバークだ。


「あら、ヒルバーク。いらっしゃい」


「そのままで結構です。ネスト殿。ご無沙汰しております」


 立ち上がろうとしたネストを制止し、ヒルバークは恭しく頭を下げた。


「王女様を迎えに?」


「いえいえ、本日は九条殿の近況を報告しに参ったのでございます」


「えっ!?」


 ネストの視線はヒルバークからリリーへと移る。その表情は訳を説明してくれと暗に訴えていた。


「ついでです。ネストも知りたくないですか?」


 ネストが知っているのは、九条がノルディックを殺したというところまで。その後は村でひっそりと暮らしているのかと思っていたのだ。

 九条が自分から進んで動こうとしないことを知っているからである。


「村にいるのでは?」


「いえ、現在はグリムロックへと遠征中のようです」


「グリムロック? なんでそんな所に? 愛用のメイスでも壊れたのかしら……」


「すいません。目的までは……。ですが、同行されているシャーリー殿は、武器の新調が目的のようでした」


「シャーリーも一緒なのね……」


 九条がノルディックを殺した時、シャーリーも一緒だったということはバイスから聞いて知っている。

 それは、九条が自分の秘密をシャーリーに明かした可能性が高いということだ。

 その強さを知っているのであれば、シャーリーが九条に旅の同行を求めるのも納得がいく。


(でも、シャーリーに九条を雇えるほどのお金があるのかしら?)


 巨大ワームの素材で儲かったのは知っているが、グリムロック産の武器は高額な物が多い。という事は、考えられることはただ1つ。


(色仕掛けね……)


 九条とは言え1人の男である。口ではミア以外に興味はないと言いつつも、チラチラと自分の胸を見ているのは知っている。


(女の私から見てもシャーリーって結構かわいいのよね……。そんな彼女に言い寄られれば、九条が絆されても仕方ないか……)


「そういえば、フィリップはどうしてるの? シャーリーとペアを組んでるんじゃなかった?」


「理由はわかりませんが、金の鬣きんのたてがみ討伐失敗以降、冒険者としての活動は控えているみたいですね」


「そう……」


 冒険者のペア解消は今に始まったことではない。考え方が食い違えば、解散することは良くあることだ。


「……で? なんで急に私にそんな話を聞かせたんです? どうせ何か裏があるんですよね?」


「うふふっ……。やはり気付いてました?」


「王女様が回りくどいことをする時は、何か裏があると決まってますから」


 呆れたように言い返すネストだが、嫌がっているわけじゃない。

 相手は王族だ。たかが一貴族がここまで言えるのは、お互いの信頼があってこそである。もちろん人前以外での話だ。


「あの一件以降、九条の評判があまりよろしくない事は知っていますよね?」


「はい。まぁ、仕方がないでしょう」


「一応、裏であの一件の真実を流布してはいるのですが、中々実を結ばなくて……」


「そんなことしてらしたんですね……。でも、いい噂よりも悪い噂の方が耳を傾けやすいのも事実。流言飛語とはそういうものです。今回の場合、九条が明確な悪役に変わりはないですし……」


「そうなんですよ。そこでですね。九条のイメージアップ戦略を考えたんです!」


「……はい?」


 リリーは急に立ち上がり、片腕でガッツポーズをして見せる。

 その表情は自信に満ち溢れているにもかかわらず、口元はニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。


「具体的にどうするんです?」


「それは九条が帰って来てからのお楽しみですっ!」

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