第235話 帰還

「じゃぁね、九条。また何かあれば呼んでね」


「ああ。またな」


「ばいばーい」


 ベルモントでシャーリーと別れ、俺達は一路酒屋を目指していた。

 酒を飲めば体が温まるから? いや、違う。カイルの土産用だ。端的に言うと失念していたのである。

 ミアももう少し早く気付いてくれればいいものを……。と、人の所為にしてはいけない。これは自分の落ち度だ。

 あれだけのことがあれば、忘れてしまっても仕方ないだろう?

 それに人に物を贈るという習慣があまりなかったというのも原因の一端なのかもしれない。元の世界ではむしろこちらが貰う側であった為だ。

 実家の寺に送られてくるお供えにお中元、お歳暮の類である。

 お寺側はそれに一切お返しというものをしない。基本的には定期的にお参りに来てもらえば贈答品は必要ないのだが、送られて来るものを返す訳にもいかず、お布施ということで頂いている。

 その量が量だけに食品の類は家族総出でも食べきれない。故に無料の法座等の人が集まるイベントでお出しすることが多い。

 正直に言うと、くれるのならば現金の方が助かるのが実情だ。その方が場所も取らず、管理がしやすい。

 一般的に現金を送るのはマナー違反だと言われてはいるが、お寺にとってはお布施として受け取ればいいので、その方が楽なのである。


 酒屋に辿り着くと、俺だけが馬車から降り、ミアと従魔達はお留守番。人の目を避ける為ではあるが、街の人々は自分達には気づいていない様子。


「いらっしゃい。……あっ……」


 店主が俺の顔を見て何かに気が付いた。だが、それはネガティブな印象ではなさそうだ。


「お久しぶりでございます。本日は何をご用意致しましょう?」


 店主は満面の笑みである。それもそのはず。前回カイルに土産用の酒を買ったところと同じ店だ。

 店主はそれを覚えていたのだろう。


「グリムロック産ってありますか?」


「ええ、ございますとも。先程入荷したばかりですよ? しばらく品切れが続いていたのですが、お客様はいいタイミングで参られた」


「そうですか。それは良かった」


「いくつか種類がございますが……」


「店主のオススメはありますか?」


「そうですね……。こちらはいかがでしょうか? アルコール濃度は少々高めですが、キリっと辛口で寒い時期にはピッタリだと思います」


「では、それをいただきましょう」


「ありがとうございます。すぐ準備してまいりますので、しばらくお待ちくださいませ」


 そう言って奥へと消えて行く店主。

 滞っていた物流も徐々に元へと戻っているようで、喜ばしい限りだ。


 酒樽を馬車へと乗せ、少し狭くなった荷台に飛び乗ると馬車はゆっくりと走り出す。

 早いうちにベルモントを出たおかげで、夕方にはコット村へと戻れるだろう。

 久しぶりにミアと2人きりである。厳密には従魔達もいるのだが……。

 馬車の後ろから流れていく風景をジッと見つめているミア。その表情は心なしか影を落としているようにも見えた。


「帰りたくない……」


「どうした? 急に」


「おにーちゃん。次のお出かけはいつ?」


「んー……。温かくなったら……かな?」


「えぇー。明日にしようよぉ」


「そんなにすぐに用事は出来ないと思うが……」


 むくれている様子のミアは、コクセイとワダツミの間に挟まり横になっているといった状態だ。なんとも贅沢な寝方である。

 ミアの気持ちも良くわかる。俺だって遊んでいたい。だが、村に帰ればギルド職員としての日常が待っている。

 ミアにとって、今回の遠征はいい休暇になったはずだ。少々刺激的なこともあったが、得る物も大きかったはず。

 よく海外に行けば価値観や人生観が変わるなどと言われているが、まさにそうなったのではないだろうか。

 それが充実しすぎていて、子供特有の帰りたくない病が発症してしまったのだろう。

 自分の子供時代を見ている様で、微笑ましくもある。


「そうだ。いいものをやろう。これで機嫌を直してくれ」


「えっ!? なになに!?」


 2匹の従魔の隙間からにゅるりと出てくるその姿は、まるで猫のよう。

 目をキラキラと輝かせ、ご褒美を待つミアの手のひらに置いたそれは、シルバーのチェーンが付いた小さな蒼い宝石。セイレーンの涙である。


「こんなの受け取れないよ!」


「言いたいことはわかる。だが、大事な物だからこそミアに持っていてもらいたいんだ」


 上目遣いで俺の顔を覗き込むミアは、困惑の表情を浮かべていた。

 これはイリヤスから俺へと贈られたもの。それを他人に譲るというのは如何なものかとも思えるだろうが、有効に使うのであれば俺が持つより、ミアに持っていてもらうのが一番だと考えたのである。

 俺に降りかかる災いは自分で何とか出来るだろう。だが、ミアは違う。

 困難に立ち向かう勇気はあるのだろうが、それを跳ね除ける実力があるかと言われれば、疑問が残る。

 完全回復の効果があるマジックアイテム。一度だけではあるが、その効果は絶大で、切り離された四肢をも元通りにしてしまうほど。

 シャーリーからそれを聞いた時、既にこうしようと決めていた。ミアならその機会を間違いはしないだろう。

 それに俺はこういう一回しか使えない貴重なアイテムというのは、出し惜しみをして使えない性格なのだ。


「よし。じゃぁ多数決で決めよう。……ミアが持ってた方がいいと思う人!」


 ババッと一斉に挙手する従魔達。まぁ、人じゃないじゃんというツッコミは置いておくとして、満場一致でミアが持っていた方がいいという結果に。


「おにーちゃん、ずるい!」


 俺が持つかミアが持つかの2択であれば、ミアが持っていた方がいいに決まっている。もちろん忖度抜きでだ。

 今にも唸り声が聞こえそうなほど悩むミアの手のひらから、セイレーンの涙をつまみ上げ首の後ろに手を回すと、それはミアの胸元で控えめな輝きを見せた。

 サイズはピッタリ子供用。そしてそれが衆目に晒されないようにと服の中へそっと仕舞う。


「ミアに貰ったこのブレスレットのお返しだと思えばいい」


「価値が全然違うよ!」


「贈り物に価値は関係ないだろう? 頭の髪留めだって元はただの骨だ。大した価値はないが、ミアは喜んでくれたじゃないか」


「それは、おにーちゃんが一生懸命作ってくれたから……」


「そう。物の価値は自分で決めるものだ。相手に決められるものじゃない。自分の宝物が相手にとってはただのゴミなんてことは良くある。その逆も然りだ」


 形見と呼ばれる物がいい例だろう。高級な腕時計が故人の形見であるという人もいれば、壊れて動かない玩具が形見だという人もいる。

 それらにはその人にしかわからない価値があるのだ。それほどの思いが詰まっているのである。


「価値は関係ない。俺はミアに持っていてほしい」


 それに頷く従魔達。皆がそう思っている。誰よりもそれを願っているのはカガリのはずだ。

 無事だったとはいえ、ノルディックからミアを守れなかったことを悔いているのを知っている。あんな思いは2度と御免であると、唇を噛み締めていたのだから……。

 カガリがそれを直接伝えられればいいのだが、ミアには言葉がわからない。

 そういう時、カガリは思いを込めてミアに頬を寄せる。それはマーキングとは違う一種の愛情表現。

 たったそれだけのことではあるが、その思いはしっかりとミアに伝わるのだ。

 ミアは、優しく身を寄せるカガリを強く抱きしめ撫で返す。その表情は柔らかく、優しさに溢れていた。


「本当にいいの? おにーちゃん」


「もちろんだ」


「わかった! ありがとうおにーちゃん。大切にするね!」


 屈託のない笑顔を向けるミアに安堵すると、幌の隙間から見えたのは、もふもふアニマルビレッジの看板。

 いつも最初に俺達を出迎えてくれるのは、村付き冒険者のカイル。今回はソフィアも一緒である。

 大きく手を振るカイルに、深く頭を下げるソフィア。それに片手を上げて応えると、俺とミアは顔を見合わせ微笑んだ。

 俺達の気配を感じた他の獣達もぞろぞろと村から顔を出すと、遠吠えの大合唱が鳴り響く。

 それにビビり散らす御者に苦笑しながらも、馬車は村の門へと入って行った。


 明日からは、変わらぬ日常が戻ってくるだろう。目先の事を言えば、荷物を降ろしたりギルドに報告をしたりとやることは多々あるものの、西へと沈む夕日が俺達の帰りを歓迎しているかのようで、その景色はまさに風光明媚であった。

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