第207話 一生のお願い

「火を消してくれ! 船に燃え移っちまう!」


 オルクスの悲痛な叫びが聞こえると、水を掛けた訳でもないのに白狐の蒼炎は一瞬にして消えた。


「なんとか逃げ切れたな……」


 九条の呟きと共に魔法の風は勢いを弱め、船の速度も元へと戻る。

 操舵を乗組員に任せ、甲板へと降りて来るオルクス。水飛沫でびしょ濡れになってしまったコートを脱ぎ捨て、両腕を捲った。

 露になった腕には無数の傷跡。一際目を引いたのが右腕の大きな古傷。縦に伸びる裂傷は回復魔法とは無縁であるが故に、雑に縫った痕が痛々しく残っていた。

 船長室の窓から様子を窺っていたミアとカガリは、船の揺れが静まり脅威が去ったことを確認すると、甲板へと顔を出す。


「もう、大丈夫?」


「ああ。恐らくな」


 甲板はどこもかしこも水浸し。そんな中、笑顔で駆け出したミアの手を取る九条。

 それを見てホッと一息ついたシャーリーは、その視線をオルクスへと移した。


「今のは何? あんなの出るなんて聞いてないんだけど!」


「いやいや、魔物が出るって知ってて乗ったんだろ? 今更そりゃねぇよ」


「ちょっと待ってくれ。魔物が出るのは知っていたが、アレがそうなのか? 俺達が受けた依頼はサハギンの討伐だ。あんなイカの化け物じゃない」


「サハギン? 通常航路のことは知らねぇが、こっちではあまり見ねぇな」


「じゃぁ、あんた達はあの白い悪魔ってのがいるから、海に出れなかったってこと?」


「そうだよ。俺達は海賊だぞ? サハギン如きにビビるかっつーの」


 その言葉に、皆が一様に納得した。ハーヴェストと海賊達。どちらも魔物に手を焼いているが、それぞれ別の魔物であったという事だ。

 サハギン討伐の報酬を淡く期待していたシャーリーは、その事実に落胆の表情を滲ませた。とは言え、今更悔やんでも仕方がないと、すぐに気持ちを切り替える。


「それよりオルクス。あんた天候操作の魔法が使えるのね」


「ああ。隠してたわけじゃねぇが、敵から奪った魔法書が理解出来たんだ。俺には魔法の適性があるんだろう。海戦は風と天候を制する者が勝つ。俺達はこの力でのし上がったと言っても過言じゃねぇ。この辺りじゃ俺達が最強だ。……と言いてぇとこだが、それも過去の栄光って奴だな……」


 オルクスは顔を上げ、遠くを見るよう物憂げに語った。


「アイツは最近この辺りの海を荒らしまわってるんだ。海の主だと言う奴もいるが、船乗りの間じゃぁ白い悪魔って呼ばれてる。10年前、船長の船を沈めたのもアイツなんだ……」


「そうだったのか……」


 漂う悲壮感を自分の責任だと感じたオルクスは、わざとらしく話を逸らした。


「でもまぁ、悲観するこたぁねぇさ。逃げれるだけ幽霊船よりはマシだ」


「幽霊船?」


「ああ。船乗りならみんな知ってる伝説さ」


「見たことがあるのか?」


「おいおい勘弁してくれ。見ただけで不幸が訪れるって言われてるんだ。生きている船乗りは見たことがねぇ奴等さ。知りたいなら死人にでも聞くんだな」


 気丈に振舞い、ケラケラと笑うオルクスにつられて苦笑する九条。

 オルクスは冗談のつもりだったのだろうが、それが出来てしまう九条には、冗談に聞こえなかった。


「あっ、そうだ。あんたコレ知ってる?」


 シャーリーは持っていた手記を思い出し、それをオルクスへと差し出した。


「ああ、船長の覚書か。なつかしいな……。何故これを?」


「船が揺れた時に崩れた荷物から出て来たのよ。知ってるならいいんだけど、遺言みたいなことも書いてあるし、もう少し大事にした方がいいんじゃない?」


「遺言?」


 オルクスは、それに戸惑いの表情を浮かべた。


(そんなこと書いてあったか?)


 過去の記憶を手繰り寄せるも、それに遺言めいたことは書かれていなかった。船長は日記の延長線上で書いているだけだと言ったのをオルクスは今でも覚えていた。

 確認の為、それを受け取りパラパラとページをめくっていくも、遺言らしきものは出てこない。

 それが半分までいくと白紙のページが現れ、オルクスはそこで名残惜しそうに手記を閉じた。


「まぁ、そうだな。一応は船長の形見だ。大切にしまっておくよ」


 それをポケットに入れようとしたオルクスの腕を、シャーリーは強く掴んだ。


「ちょっと待ってよ。確かに中身は日記みたいなもんだったけど、途中に挟まれてる紙はどう考えても日記ではないでしょ。もう一度確認してみて」


 オルクスの記憶には挟まれている紙などなかった。


(そんなまさか……)


 しまおうとした手記を再び開く。今度は後ろからだ。

 急ぎパラパラと白紙のページをめくっていくと、シャーリーの言っていた通り、小さな紙きれが挟まっていたのだ。

 オルクスがそれに目を走らせると、瞳が僅かに光を帯びた。


「……バルバロス船長……」


 ぞろぞろと集まってくる海賊達は皆がそれを見て打ち震え、涙していた。

 むせび泣く者や、肩を抱き合う者。その光景は、船長がどれだけ慕われていたのかを追想してしまうほど。


「副船長! イスハークの暗号だ!」


 1人の海賊が気付いたのは、裏に書かれた記号と数字の羅列だ。それを聞いたオルクスの表情は険しさを増した。

 零れ落ちそうな涙を左腕で拭うと、投げ捨てたコートの胸ポケットから小さな手帳を取り出し、暗号を読み解いていく。

 それを、ジッと見守る海賊達。

 時間にして数分ほど。オルクスは持っていた手帳を静かに閉じると。九条に向き直り頭を下げた。


「九条の旦那! すまねぇ。俺達に手を貸してくれ!」


(急にそんなこと言われても……)


 というのが九条の本音だ。仲間達と顔を見合わせ、肩を竦める。


「飛躍しすぎだ。まずは内容を言え。話はそれからだ」


「……これに書いてある方法を使えば、あの白い悪魔を倒せるかもしれねぇ。船長が残してくれた可能性なんだ。だが、それだけじゃ足りねぇ! だから力を貸して欲しいんだ!」


「「俺達からもお願いします!!」」


 その場にいた海賊達が頭を下げる。それを見て九条は、ネストの屋敷での出来事を思い出した。

 執事のセバスが使用人達と共に頭を下げていた光景にそっくりだったのだ。


(俺に何のメリットがある?)


 とは言え断り辛いのも確かであり、そう思ってしまうのは九条が薄情な人間ではないからだ。

 そんな九条の困り果てた顔を見たシャーリーは、助け舟のつもりで口を挟んだ。


「九条。ダメよ? 犯罪者に手を貸すのはギルドで罰せられるわ。助けてあげたいのはわかるけど諦めて。グリムロックに着いたらそこで関係は終了よ。深入りしない方がいい」


 シャーリーは知っている。九条が情に弱いことを。自分もそれで助けられたのだから。それが九条の良いところでもあり、悪いところでもある。


(それが間違った方向へと向かわないよう、私がしっかり見張っていないと……)


 九条にミアに従魔達。お互いのことを思いあっているからこそ、いい意味でそれが九条の枷になっているのだろうとシャーリーは考えていた。

 その枷が外れてしまったのが、ノルディックとの一件である。悲しみと絶望、それと深い憎悪。


(九条のあんな顔は二度と見たくない……)


 シャーリーは、自分もその枷になれたらと思ったのだ。


「シャーリーの言いたいことはわかるが……。ミア、やはりダメか?」


「本当はダメだけど……」


 ノルディックの件で勝ち取った無罪を無下にしようとするならば、難色を示して当然である。


「オルクス。すまないが他を当たってくれ。それに俺のメイスじゃ役には立たなそうだ」


「そんなことはない! 旦那の従魔達だって十分強ぇじゃねぇか!」


 従魔達を褒められて悪い気はしない九条ではあったが、そういう問題ではない。


「何も今すぐとは言わねぇ。グリムロックで用事を終わらせてからでいい。都合は全てそちらに合わせる。だから頼む!!」


 見事な土下座を披露するオルクス。プラチナプレート冒険者の力を借りられるのであれば、これほど心強い事はない。

 オルクス達は、今見せた実力が九条の全てではない事を知っていた。

 その理由は2つ。1つは、九条の情報源が闇魔法結社ネクロガルドだということ。

 エルザが九条を売ったわけではない。元々この海賊船がネクロガルドの連絡船なのだ。九条達は、それを知らずに乗船しているのである。

 そしてもう1つは、九条の力が必要だったからだ。死霊術師ネクロマンサーで唯一のプラチナプレート。それほどの力があれば、海の底からでも船長の遺骨を探し出すことが出来るのではないかと考えていた。

 盗賊に扮して九条達を襲ったのも計画通り。

 九条を雇う金はない。あったとしても、お尋ね者がギルドで依頼を出す事なんて出来るわけがないのだ。

 故に無理矢理にでも身柄を確保するしかなかった。九条だけを人質に取り、協力してもらうつもりだったのだ。

 もちろん正面から戦って勝てるわけがないのは百も承知である。だからこそ騙し討ちを計画したのだが、それは失敗に終わった。

 無差別を装ったのは、九条に警戒心を持たれないようにする為であり、例えあの場で全員が殺されてしまっても、残った仲間がコンタクトを取る手筈だった。

 船長の為ならば命すら投げ出す覚悟があったのである。


「俺達は本気なんだ! 報酬も払う!」


「そんな金あるのか?」


 あるわけがない。魔物騒ぎで仕事がない海賊達は、漁師の真似事で食つないでいたほどだ。


「金はないが、成功の暁にはこの船をやる……」


 オルクスの目に込められた信念は本物であった。それが嘘偽りないことは、カガリが反応を示さないことからも明らかである。

 とは言え、盗んだ船を貰っても九条達は困るだけ。


「お前達が本気なのはわかった」


「じゃぁ!」


 顔を上げ、笑顔を見せるオルクス。


「九条! ダメだってば!」


 ミアも九条の袖を掴み、ブンブンと頭を横に振る。


「要は、正式な手順を踏めばいいんだろ?」


 それを聞いたミアとシャーリーは、顔を見合わせ首を傾げた。


「お前達の中に、グリムロックギルドで面の割れてない奴はいるか?」


「ハーヴェストじゃなければ数人はいるが……」


「よし、じゃぁそいつを使って依頼を出せ。俺がお前らに払った金貨120枚があるだろ? それで俺を指名しろ」


「いいのか?」


「ああ。その代わり俺は、依頼主が海賊だとは知らなかったということにする。このタイミングなら魔物退治を依頼しても怪しまれることはないはずだ。商船の護衛を装い依頼を出せばいい。だが、ギルドに悟られたらそこでこの話は終わりだ」


「十分だ! 恩に着るぜ! 九条の旦那!!」


 オルクスはその場に立ち上がると、九条の左手を掴み激しく上下させた。

 それを見ていたシャーリーが面白くないのは当然だ。激しく溜息をつくと、諦めたように肩を落とす。


「九条はなんでそう悪知恵が働くの? 感心するわホント。……ねぇ! ちょっと! 聞いてるの?」


「あっ、はい……」


 どこか上の空の九条に、激しく詰め寄るシャーリー。確かにその手順であれば問題はないが、乗り気ではないのも事実。危険なことには変わりはないのだ。

 とは言え、それが冒険者。危険を犯した分だけ、富と名声が手に入る。

 シャーリーは、「私と海賊、どっちが大事なの!?」と言いかけたが、言えなかった。

 それは、自分の主張を押し付けるような女だとは思われたくなかったという事と、その答えを聞くのが怖かったからだ。


 その後、海の旅は順調に進み、九条達は数日の後にサザンゲイアの大地へと足を降ろしたのである。

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