第206話 白い悪魔
「ミア……。また頼む……」
「【
ミアは、甲板で力なく寝そべる九条の頭に片手をかざすと、癒しの光が辺りを照らし、九条を優しく包み込む。
その光が消えてなくなると、ミアは九条の顔をそっと覗き込んだ。
「大丈夫? おにーちゃん……」
心配そうな表情。九条はそれに強引な笑顔を作って見せた。
「ああ。助かったよ。また気持ちが悪くなったら頼む」
「うん……」
典型的な船酔いだ。ここのところ数日間、九条はずっとこの状態であった。
船は順調にグリムロックを目指していたが、順調すぎて船の速度が速すぎた。速ければ速いほど揺れは増し、ついには船酔いという情けない結果になってしまったのだ。
外の風に当たればと甲板に出てはいるものの、大した効果は得られない。
唯一の救いは、ミアの魔法ですぐに治療が可能なことだが、それは予防にはならないのだ。
結局は数時間後に、また船酔いに襲われるという悪循環が続いていた。
「まさか、九条が船に弱いなんてね。今なら私でも勝てるんじゃないかな?」
九条の前で腕を組み仁王立ちするシャーリーは、得意気に含み笑いを浮かべる。
もちろん九条はそれが冗談だとわかってはいるのだが、ツッコミを入れるほどの余力すら残されていなかった。
「しばらくほっといてくれ……」
ミアと顔を見合わせ、肩を竦めるシャーリー。
こういう時は放っておくのが1番であると知っているシャーリーは、ミアに九条を任せ、船室へと降りていく。
(九条には、生姜のはちみつ漬けでも作ってあげよっかな……)
それは乗り物酔いに効果があるとされ、冒険者の間では広く知れ渡っている知識だ。それにミントを加えハーブティーとして出せば、九条の症状も少しは改善されるだろうと、シャーリーはキッチンへと足を運んだ。
「おじゃましまーす」
そこに人の影はない。とは言え、荷物の中身は自分達が詰め込んだ。どこに何が入っているかは記憶している。
お目当ての生姜、はちみつ、ミントを探し出し、愛用のナイフを腰のホルダーから引き抜くと、シャーリーは手際よく調理を始めた。
生姜の皮を剥いて薄切りにし、はちみつに漬け込むだけの簡単な物。早めに漬かるようにと生姜にはナイフの先端で無数の穴を空けた。
本来は2日ほど寝かせた方がいいのだが、最悪1日漬け込んでおけば形にはなる。
(九条が喜んでくれるといいんだけど……)
後はそれを漬け込む容器なのだが、近くに適当な物は見当たらなかった。あるのは平皿ばかり。
「できれば筒状の入れ物か、清潔な革袋でもいいんだけど……」
キッチン中をひっくり返しても見つからず、捜索を打ち切ったシャーリーは、自分の飲料用革袋を使おうと船長室へと足を伸ばした。
その飲み口をナイフで切り落とす。
「ちょっともったいないけど、どうせ買い替える予定だったし、最後に九条の役に立てれば本望でしょ」
それを手に、シャーリーが船長室を出ようとしたその時だった。
船が激しく揺れたのだ。恐らくは今までで1番の高波。立っていられないほどだったが、シャーリーは咄嗟に腰を落とし転倒を避けた。
その衝撃で船長室は見るも無残。部屋の隅に積み上げられていた荷物が崩れ、床一面に広がるがらくたの山。
「もう。少しは整理しておきなさいよ!」
そう言いつつも、散らばった物を端へと追いやっていると、1冊の手帳が目に留まった。いや、正確には手帳からはみ出た1枚の紙きれ。
その手帳を手に取るも、表題はなし。適当なページを開くと、シャーリーはそれが何なのかを理解した。
「航海日誌? オルクスのかな?」
読んではいけないと思いつつも、目は進む。なんてことのない日常。それは航海日誌とは違う個人的な物であった。
別の海賊と争った記録に始まり、襲った貴族の名前。奪った金品の配分や、魔物を仕留めた事などなどが雑多に書かれていた。
海賊ならではといって差し支えない内容だが、それが書かれていたのは半分程度で、残りは白紙。
そして、その途中のページに挟まれていたメモ書きのような紙きれ。
しおりの代わりかと思ったそれは、日記の所有者であろう者のメッセージであった。
『願わくばこれを読んでいるのが、仲間達の誰かであることを望む。残念ながらこれを読んでいるということは、俺はもうこの世にいないだろう。だが、悲しむな。立ち止まるな。海での死こそ俺達の生きた証。俺の死を受け入れ、次へとつなげろ。お前達が生きていればまだチャンスはある。俺達の海を取り戻せ――――』
そしてその裏には意味の解らない文字と記号の羅列。
「オルクスのじゃない。船長……バルバロスの手記だわ……」
シャーリーがそれを読み終えた刹那。またしても船が激しく揺れたのだ。
それは今までとは違う衝撃。走っていた馬車が急に止まったかのような違和感を覚え、反射的にトラッキングスキルに意識を向けた。
「魔物!?」
それはサハギンなどではない。ノーザンマウンテンで戦った巨大ワームと同等以上の反応であった。
「白い悪魔だ! 何としても逃げきれ!!」
船長室にいても聞こえてくるオルクスの怒号。シャーリーは緊急事態であることを一瞬で悟ると、持っていた手帳を返すのも忘れ甲板へと駆け上がる。
「どうしたの!?」
甲板へと辿り着いたシャーリーの目に飛び込んできたものは、無数の触手に捕まっている船体。それに加え直径50センチはあるだろう白い触腕が、メインマストに巻き付いていたのだ。
船はあり得ないほど傾き、締め付けられているマストがギシギシと悲鳴を上げる。
それを引き剥がそうと、果敢にもサーベル片手に切りかかる海賊達であったが、全く歯が立たっていない。
その触腕の先に見えるのは白い怪物。海面から顔を出しているそれは、クラーケン種と呼ばれている魔物。ざっくりいうとイカなのだが、その大きさはただのクラーケン種とは思えないほど巨大であった。
「シャーリー! 来るな!!」
九条の声と共に船室へと駆けてきたのはカガリ。その口にはミアを咥えていた。
「私に出来る事は!?」
「ねぇよ! 女の出る幕はねぇ!!」
怒号を飛ばしながらも船尾へ駆け出すオルクス。
「バリスタは!?」
「こんなに傾いてちゃ撃てねぇ! いいから黙って見てろ!!」
それに気を悪くするシャーリーだが、この状況だ。苛立ち焦る海賊達の気持ちも理解していた。
必死に耐えてはいるものの、傾きは次第に激しさを増し、何かに捕まっていなければ海へと放り出されてしまってもおかしくはない。
「取り舵ぃぃぃぃ! 総員衝撃に備えろ!!」
操舵輪に辿り着いたオルクスは、舵取りの指示を飛ばすと、両手を天へと掲げた。
「【
その魔法は風を操る。ボンっという音と共に一気に押し広げられた帆は、その力で無理矢理にクラーケンごと船を推し進める。
「今だ! 旦那ぁ!」
九条がメイスを手に取り、酷く傾いている甲板を駆け上がる。そしてメインマストへと絡みつく触腕に向かって、掬い上げるように打ち抜いた。
手ごたえは十分にあった。……あったのだが、それはぐにゃりと湾曲しただけで、マストは依然として離さない。
九条の本気の一撃。その衝撃は、船をふわりと浮かび上がらせたほどであったが、それは効いているようには見えず、軟体故に鈍器との相性は最悪であった。
「クソっ!」
「我等の爪ならッ!」
そこに追い打ちをかけたのは、ワダツミとコクセイだ。
鋭い爪を振り下ろし、その触腕を両断したかに見えたのだが、あと数センチの筋が残る。
それくらいであれば船の推進力が勝り、いずれは千切れるだろうと九条は確信したのだが、そうはならなかった。
その切り口の両端が引き合い、少しずつ埋まっていく傷口に気味の悪さを覚えたのだ。
「油断するな! 再生するぞ!!」
それ目の当たりにし、オルクスが声を上げると、九条はすぐに閃いた。
「焼き切れ!!」
「”狐火”!」
白狐から放たれた蒼炎が、クラーケンの触腕を焼き焦がす。
その威力には再生速度も追い付かず、ブチブチと不快な音を立てて千切れる触腕。
束縛から解き放たれた船が一気に速度を上げると、白い悪魔と呼ばれた魔物は、追うのを諦め海の底へと帰って行った。
未だ燃え続けていた触腕の一部が甲板の上で跳ね回り、やがて穏やかに動きを止めると、芳ばしい香りが辺り一面に立ち込めた。
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