第170話 ダンジョン調査依頼:初日

 そして出発の朝。辺りは薄い霧につつまれ、街はまだ目覚めていない。

 静かな街中に馬の蹄と車輪の音が響き、それはギルドの少し手前で停止した。

 そこには既に先客がいた。ギルドの真正面に止まっている大型の馬車。その重量故、繋がれている馬は4頭にも及ぶ。

 そこから悠々と降りて来たのは、プラチナプレート冒険者のノルディックだ。

 ノルディックは俺達の馬車の方へ歩み寄ると、爽やかな笑顔を向けた。


「おはよう九条君。清々しい朝だね」


「ええ。そうですね」


 霧は出ているが、雲は疎ら。日が昇れば直に霧も晴れるだろう。

 ノルディックとグレイス。それと仲間なのだろうゴールドのプレートを首に掛けたレンジャー風の男が1人と、首輪をしたみすぼらしい御者が1人。

 ノルディックほどの者でも、やはりレンジャーは必須ということなのだろう。


「お待たせしてすみません。ノルディックさん」


「いやいや、今日はお互いがんばろう」


 そう言って差し出された右手で、硬い握手を交わす。

 馬車から降りたのは、俺と従魔達。それとミアにシャーリーだ。

 シャーリーが姿を見せることによって、何か反応があるかもしれないと注視していたが、ノルディックは顔色1つ変えなかった。


「それじゃ行こうか」


 ノルディックに促され皆がギルドへと足を向けたその時、ノルディックの馬車に繋がれていた馬達が突然暴れだした。


「どう! どう! 落ち着け!」


 首輪をした御者がそれをなだめようと手綱を巧みに操るも、なかなか言うことを聞かない馬達。


「おい! なんとかしろ!」


 ノルディックが語気を荒げるも、御者は必死だ。言われずともわかっているのだろうが、どうにもならない様子。


「下がれ! コクセイ! ワダツミ!」


 俺の命令で従魔達を後退させると、持っていた袋から素早く取り出したのは人参だ。


「ほ~ら人参だぞぉ。旨いぞぉ」


 人参片手に馬達へ近寄ると、急に落ち着きを取り戻した馬達はボリボリとそれを食べ始めた。


「すいませんノルディックさん。ウチの従魔達が驚かせちゃったみたいで……。良くあるんですよ」


「あ……ああ。助かるよ……」


 予想外の出来事に言葉に詰まるノルディック。俺はそれに愛想笑いを浮かべて見せた。


「すいません。先行っちゃってください。従魔達が近づいたらまた暴れてしまうかもしれないので、俺がなだめているうちに手続きを」


「そうか。じゃぁ、すまないが、お先に失礼するよ」


「バイスさん。申し訳ないんですけど俺の代わりに手続きをお願いできますか?」


「ああ。任せとけ」


 両者がギルドでの手続きを終えて戻ってくると、担当職員の交換だ。


「それじゃ九条君、お互いの担当を交換しようじゃないか」


 それに頷くと、隣にいたミアを軽く抱きしめ、エールを送る。


「ミア。気を付けてな」


「うん。がんばるね!」


 ミアの頭を優しく撫でると、カガリと共に笑顔で送り出す。

 ノルディックも同様だ。聞こえなかったが、グレイスに何かを語りかけた後、こちらの馬車へと乗り込んだ。

 出発の準備が出来たのを確認すると、ノルディック達に道を譲る。


「お先にどうぞ」


 他意はない。ノルディックもそう思ったはずだ。従魔達を馬の視界に入れない為に、先を譲っただけであると。

 それを快く受け入れたノルディックは、言われた通り自分達を先頭に王都の東門を抜けた。

 途中までは同じ道だ。ノルディックの馬車について行けばいいと御者に指示はしてある。

 馬車の中にいるのは、バイスとグレイス。俺は馬車の後方でコクセイに、シャーリーは白狐に跨っている。

 移動にかかる時間は約2日。急げは1日で着くことも可能だが、相手に合わせているのだ。途中の休憩もまったく同じ場所で取る予定。

 ミスト領最西端の街プラヘイムに入ったところで1泊し、翌日からは別行動で各自依頼を遂行するといった流れである。

 ノルディックに見られないように、装備類はすべて馬車の中に保管しているので皆軽装だ。

 油断しているわけじゃない。最低限の警戒はしているが、この一団を襲おうと考える者などいないはず。

 恐らくスタッグ王国内で最も強い、上位2名がその一団を率いているのだから。


 蹄の足音が耳障りに感じ始めた頃、馬車の後方に座っていたグレイスは何気なく外を見ていた。

 物欲しそうに見つめている視線の先にいるのはシャーリー……いや、白狐の方だ。


「良ければ乗ってみますか?」


 俺の声に反応を示したグレイスと目が合うと、情けない表情を晒していたことを恥じているのか、赤面した。

 それを見て、後押ししたのはバイスである。


「どうせ今日は移動日だ。暇なんだしチャレンジしてみればいいじゃないか。そんなに難しくないぞ? 俺も九条に乗せてもらったことがあるが、めっちゃ快適だ」


 笑顔でサラリと嘘をつく。ただ、グレイスに聞かれたくない話をしたかったから、馬車から追い出したかっただけだろう。

 無言で頷いたグレイスは意を決して馬車から飛び降りると、俺はワダツミを呼んだ。

 ワダツミがグレイスの足元で伏せ、後は跨るだけなのだが、その勇気が出ないのだろう。

 触ると乗るのでは雲泥の差だ。だが、こうしている間にも馬車はどんどん遠ざかって行く。


「大丈夫ですよ?」


 グレイスに優しく声を掛けると、真剣な表情でワダツミに跨り、ワダツミはゆっくりと歩き出した。

 恐らく魔獣に乗るのは初めての経験だろう。馬よりも地面が近い分、体感速度は速く、振動も少なく乗り心地が良い。

 グレイスの表情からは嬉しさが溢れ出し、興奮が抑え切れないといった様子で目を輝かせていた。

 これで、俺とミアに馬車は必要ないと言った理由がわかってもらえただろう。


「乗り方のコツはシャーリーにでも聞いてくれ。慣れたら馬車に追い付けばいい」


「えっ? 私!?」


 まさか自分が名指しされるとは思わず、素っ頓狂な声を上げるシャーリー。


「よ……よろしくお願いします」


「もう、しょうがないなぁ……。えっと、毛を掴むときは首の辺りを掴むといいよ。その辺は痛くないみたい。それと……」


 シャーリーがグレイスに乗り方のコツを伝授し始めると、俺はコクセイを走らせ馬車の中へ。

 そのままバイスを横切り、御者の肩を叩いた。


「どうも、お疲れ様です。後は自分がやりますので、暫く後ろで休憩してていいですよ?」


「は?」


 疑問に思うのは当然だろう。御者は馬車を走らせるのが仕事だ。それを客に任せるなんてこと出来るわけがない。

 もちろん俺だってわかっている。タクシーの運転手に運転を代われと言っているのと同じことだ。

 だが、ここは日本ではない。手綱を握る御者の手の隙間に金貨を1枚そっと差し込んだ。

 それだけで十分だった。同時ににっこり微笑みかけると、御者は小さく咳払いをした後、金貨をポケットに仕舞い荷台へと移った。

 その入れ違いで御者台に顔を出したのはバイスだ。俺は手綱を握り直し、バイスは俺の横に腰掛ける。


「九条。俺の言いたいことがわかるか?」


「ええ。ニーナの姿が見えないってところじゃないですか?」


「そうだ。本当にニーナと一緒だったのか?」


「ええ、間違いありません。最初の話し合いの時にはノルディックの隣にいました。ですが……」


 俺達の前を走るノルディックの馬車には見当たらない。こちらにとってはいない方が好都合だが、それが逆に不気味だった。

 同行しないのならば、何故話し合いの時に同席していたのか……。

 ミアは馬車には乗っておらず、カガリに跨り後方から追っているといった状況だ。馬が暴れるのを警戒しているのだろう。

 俺達の視線に気付いたミアが振り向くと、笑顔で手を振った。

 もちろん俺とバイスはそれに応え、緩んだ笑顔で手を振り返したのだが、話している会話は至って真面目である。


「気を付けろよ九条。ミスト領のニールセン公は第2王女の派閥に属している」


「ええ。わかっています」


「それともう1つ。ギルドでロバートに聞いたが、最近ノーザンマウンテンの辺りで小さな地震が頻発しているみたいだ。崩落には気を付けたほうがいい」


「はい」


「まぁ、出口が塞がれても九条がいれば安心だけどな。いざって時はグレイスを引き離すから、その間に何とかしてくれ」


「簡単に言いますけど規模によりけりってところですかね。一応注意はしておきます」


 王都を出てから7時間ほど。正午を少し過ぎたあたりで大きな城壁が見えてくる。左右が大きな山に囲まれている山間に作られた関所。その先がミスト領である。

 そこを通過しようと列をなす人々を尻目に、止まることなく通過するのは、通行許可証が発行されているからだ。

 それにほんの少しの優越感を感じてしまうのは、俺が器の小さい人間だからだろう。

 そしてそれは起こった。空気が震えるほどの大歓声。関所の門を通過すると、街道の両脇には鎧を着た兵士達が思い思いに武器を掲げ、ズラリと並び立っていた。

 その視線の先にいるのはノルディックである。

 ざっと数百はいるだろう兵士達は、ノルディックに向かって手を振る者や、無理に馬車に近づき握手を求める者など、アイドルの出待ちかと思うほど。

 それに驚きを隠せず、さすがプラチナプレート冒険者だと思いつつも、正直ちょっと引いてしまう。

 しかし、それはノルディックが通り過ぎるまで。

 その後ろにぴったりとついていた俺達に向けられた視線は、嫌悪感すら感じさせる。

 だが、正直嫌いじゃない。ノルディックのような扱いをされる方が困惑する。むしろ願い下げだ。


「露骨すぎてビビるわ……。アウェイだからって泣くなよ九条?」


「泣きませんよ……」


 全くと言っていいほど動じていないバイスは、その扱いをものともせず冗談を言ってのける。


「俺も第4王女の派閥に属してる貴族の領内に行けば、こうなりますかね?」


「なんだ九条? あんなのがいいのか? 全員エキストラでよければ俺が用意してやろうか?」


「冗談ですよ……」


 本当にやり兼ねないと思いながらもケラケラと笑うバイスを横目に、馬車は今日の休憩地であるプラヘイムの街を目指し、ミスト領を東へと進んで行った。

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