第113話 適者生存

「――ッ!?」


 微かに聞こえた悲鳴。シャーリーは即座にトラッキングスキルに意識を向けた。

 グレゴールと思われる微弱な反応は動いていない。

 ウルフ達も健在だが、その反応の影に隠れていた強い反応が、そこより離れ移動を開始していたのだ。

 シャーリーは間違っていなかった。何かは不明だが、それはゆっくりとダンジョンを上って来ていたのだ。


「チッ……。だから言ったのに……」


 悲鳴は恐らく仲間達のものだろう。

 言うことを聞かなかったとはいえ一応は仲間だ。脱出の手助けが必要なはず。

 シャーリーは愚痴りつつも、持っていた革袋から1つのアイテムを取り出した。


「これ、結構高いんだよなぁ」


 直径10センチほどの丸い爆弾のような見た目のマジックアイテム。

 中には炎元素と水元素が含まれていて、導火線にも見える付属の紐を引っ張ることで中の元素が混じり合い、長時間蒸気を噴射し続けるというものだ。

 本来の使い道は蒸留水を作る為の物ではあるが、少し弄って火力を上げれば、持続時間と引き換えに大量の蒸気を噴射させることができる。

 それを煙玉のように目くらましとして使い、その隙に皆を引き連れて逃げる。

 部屋の中央付近にそれを設置し、噴射口を通路へと向ける。

 起動用の紐を延長し、それを握り締め身を隠した。

 少しずつ悲鳴が近づいて来る。そしてバタバタと大きな足音を立てて部屋に駆け込んでくる仲間達。


「みんな! こっちに……」


 その声は届かない。シャーリーにさえ気づかず、部屋を真っ直ぐ走り抜けて行く様相は、まさに死に物狂い。


「そっちじゃない!!」


 6人の冒険者がシャーリーの目の前を通過した時、金属同士を擦り合わせた甲高い音と、地面を力強く踏み込む重低音を響かせて近づいて来る何か。

 トラッキングせずともわかる威圧感。室内なのに激しい向かい風の中立っているような感覚。

 心臓の鼓動が徐々に速度を上げていく。


(おかしい……。私の前を通ったのは確か6人……。残りの7人はどうした? アレンは?)


 考えている暇はなかった。その緊張がピークに達する瞬間、何かの鎧の一部を視界に捉え、それを確認もせずシャーリーは迷わず紐を引いた。

 勢いよく噴射する大量の蒸気。――だが、それが部屋を満たすことはなく、小さな竜巻のようなものが全てを巻き取り、辺りに水たまりを作っていた。

 シャーリーが視線を移すと、そこにいたのは刀を握り締めた黒いリビングアーマー。


「――ッ!?」


 見た瞬間、全身に鳥肌が立った。まるで首元に刃を突きつけられたような戦慄である。

 踵を返し、全速力で走るシャーリー。


(なんであんなのがこんな低階層にいるんだ! 冗談じゃない!!)


 強い反応を示していた魔物がリビングアーマーだとは確認したが、あれはその中でも上位個体と呼ばれる物に分類されてもおかしくない存在。

 ダンジョンでのリビングアーマーの出現層は地下20階層前後だが、あれはそんなもんじゃない。25……いや、30階層よりも下で出るレベル。

 しかも、持っていた武器は魔剣。シャーリーが武器マニアのフィリップから聞いた物と特徴が一致していたのだ。

 一振りすれば風の刃が遠くの岩をも切り裂く旋風を巻き起こす。

 その知識がなければ、知らぬ間に切られているであろうことから『無明殺し』という名で呼ばれていると。

 何より目の前で小さな竜巻を発生させたのだ。間違いない。


(くそっ! くそっ! あいつらなんか放っておいて1人で逃げればよかった! お願い! こっちに来ないで!)


 シャーリーは走りながら願った。――だが、その願いは叶わない。


(胸が苦しい……。でも止まったら確実に死ぬ……)


 シャーリーは逃げながらも思考を巡らせていた。こんなにも恐怖しているのに頭では冷静に考えていたのだ。


(何故だろう……。きっとグレゴールの所為だ。アイツと対峙した時もあり得ないほどの恐怖を感じた。しかし、今はそれほどでもない。……慣れた? まさかね……)


 真っ直ぐ逃げていてはやられてしまう。

 緩急をつけ、狙いが定まらないよう無作為に動きながらも、常に相手の視線を意識する。

 見えない刃は脅威以外の何物でもない。直線上に立った時、それは死を意味する。

 相手との距離は縮まっていないがそれでいい。


(風の刃さえ打たせなければ……)


 なんとかダンジョンを抜け出し炭鉱に入るも、走る速度は緩めない。

 松明を用意している暇などなかった。

 真っ暗闇の炭鉱の中、記憶と経験だけを頼りにシャーリーは走り続けたのだ。


 ――――――――――


 階段を登りきると、見えてきたのは大きな扉。6人の冒険者達はそれに手を付き、足を止めた。


「はぁっはぁっはぁっ……うおぇ……」


 走りすぎて気持ちが悪い。脇腹は酷く痛み、嗚咽が出るほどである。

 何とか逃げ切れただろうかとトラッキングスキルを確認すると、どうやらリビングアーマーはシャーリーの方へ行ったようだとホッとする。


「よしっ……。これで少しは時間が稼げる……。それよりも……」


 目の前の巨大な扉は閉まっている。これをなんとかしなくてはならない。


「開けるぞ? 一気に押せ! せーのッ!」


 生き残った全員の力を込めてもびくともしない。

 ある者は短剣を扉の隙間に差し込み、ある者は体当たり。ありとあらゆる手を尽くすも、それが開かれることはなかった。

 トラッキングスキルに意識を向けると、リビングアーマーの反応が戻って来ていることに気が付く冒険者達。


(シャーリーは逃げ切れたのか……それとも殺されたのか……)


「くそっ! シャーリーがこんなところに連れてこなければ……」


「人の所為にすんじゃねぇ! どうやって生き延びるかを考えろ!」


 一喝したのは4班リーダーの男。


「幸いここは長い1本道だ。このリーチを生かして全員で一斉に攻撃する」


「あんなのに勝てるわけねぇだろ!」


「何もしないよりマシだろうが!!」


 4班のリーダーは文句を言う冒険者の胸ぐらを掴むと必死に叫ぶ。

 その鬼のような形相を見て、落ち着きを取り戻す。


「この中で"リジェクトショット"を使える奴は?」


 全員が手を上げた。"リジェクトショット"はそれほど難しいスキルではない。

 殺傷能力は低く、相手を吹き飛ばす為だけの弓スキルだ。

 矢が直撃する瞬間、破裂して強制的にノックバックさせるというもの。


「いいぞ。6人分だ。全員の"リジェクトショット"を奴の足に向かって同時に放つ。そして倒れた隙に脱出を狙う」


「倒れてる間に横を抜けろってことか? そんなこと出来る訳ねぇ……」


「……俺はやるぞ……。それ以外方法はない……」


 生き残った冒険者達はお互い頷き合うと弓に矢をつがえ、階段下へと向けた。


「怖ぇ……怖えぇよ……」


 誰かが涙声で弱音を吐いた。弓を持つ手がガタガタと震えている。

 長い階段の下からゆっくりと近づいて来るリビングアーマー。

 ガシャリガシャリという足音が大きくなるにつれて、緊張も高まっていく。


「まだだ……」


 矢の速度が乗った最高の状態で当てる為、ギリギリまで引き付ける。

 そして、ついにその瞬間が訪れたのだ。


「今だ!!」


「「"リジェクトショット"!!」」


 一斉に放たれた6本の矢。それにはありったけの力が込められている特別な1発だ。

 個人の限界を超えて放たれた6本の矢は風を切り、リビングアーマーの足目掛けて真っ直ぐに飛翔した。

 当たれば狙い通り膝をつき、逃げ出すだけの時間が稼げていただろう。

 しかし、それは当たることなく弾き飛ばされ、脆くも地面に転がった。

 目に見えぬ風の障壁がリビングアーマーを覆っていたのである。

 そこから放たれた風の刃が封印の扉にぶつかると、激しい轟音を上げた。

 扉の外側にいたオーク達も、その音に驚き逃げ出すほどだ。

 それほどの攻撃だったにも関わらず、封印の扉には傷1つ付いていなかった。

 ……唯一付いたのは黒みを帯びた真紅の血痕。

 扉の前には6つの亡骸が、寄り添うよう横たわっていたのだ……。


 ――――――――――


 人の気配がしなくなったことに安堵していた獣達は、ダンジョンを見て回っていた。

 漂う死臭。ダンジョン内に散らばる無数の死体。そのあまりの惨状には言葉も出ない。


「やっべ……。これどうしよ……」


 108番は困惑の表情を浮かべていた。

 九条は殺す必要はないと言っていたのだ。ちょっと脅かしてお仕置きしてやればいいと。

 明らかにやりすぎである。


「我々の所為ではないからな?」


 白狐の言葉に、コクセイとワダツミは力強く頷いた。


「いや、だって仕方なくないですか!? リビングアーマーを用意したのはマスターですよ? 私関係ないですよね!?」


「……」


 獣達は返事をせず。ただただ慌てふためく108番を憐れみの目でジッと見つめていた。

 そんな中、液体を1粒こぼしたようなポタリという音が響く。

 こんな地下深くで雨漏りかと白狐は天井を見上げるも、その痕跡は見られない。

 そして再びポタリ。その音の出所は、意外にも目の前にいた。

 それはコクセイの口から垂れる涎の音。人の亡骸が美味しそうに見えたのだ。


「これ、食ってもいいか?」


「「ダメに決まってんだろ!!」」


 108番、白狐、ワダツミの心が1つになった気がした。


 一方その頃、シャーリーは炭鉱で迷っていた。


「ここどこぉぉぉぉぉぉ!!」

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