第106話 3匹の族長

 ソフィアの悲鳴で早朝から起こされてしまった俺達は、少し早いが食堂に顔を出した。

 まだ営業時間ではないのだが、顔見知りということで特別に朝食を頂いているのだ。

 レベッカは昨日遅くまで作業をしていたはずなのに、すでに厨房に立っていた。

 その表情からは少し疲れも垣間見え、今日は何もないからゆっくり休んでくれと願うばかりだ。

 そんなレベッカから昨晩の惨状を聞き、ソフィアは1人赤面していた。


「ミア。もしソフィアさんにあだ名が付くとしたら何だと思う?」


「んっと……。酒豪かな?」


 それを聞いたソフィアは、自分の腕を顔に近づけ匂いを嗅ぐと青ざめる。

 小さな村だ。酒の匂いをさせたままギルドカウンターに立とうものなら、すぐにでもその噂は広まるだろう。

 そして不名誉なあだ名がつけられるのだ。俺の『破壊神』のように……。

 ソフィアは我先にと朝食を平らげ、慌ててギルド管理の温泉へと走って行った。

 そんなソフィアに遅れて朝食を食べ終え席を立とうとしたその時、ミアに袖を掴まれる。


「どこいくの?」


「いや……。俺もたまには朝風呂ですっきりしようかなと……」


 ギルドの温泉は混浴。今なら合法的にソフィアの裸が見れるのだ。男として行かないわけにはいくまい。


「ダメに決まってるでしょ?」


 上目遣いで頬を膨らませるミアからは、絶対にこの手を離すものかという決意の表れを感じた。


「冗談だよ冗談……。ハハハ……」


 俺を見るミアの目はとても冷たかった。


 部屋へ戻ると出かける準備を始めた。残念ながらミアはギルドでお仕事である。


「じゃぁミア、カガリは借りて行くぞ」


「うん。気を付けてね、おにーちゃん」


 村を出て、白狐の住まう森の遺跡へと向かう。それと言うのも、ウルフ達の話を聞いてやる約束なのだ。

 理由は不明だが悩みを抱えているようで、その相談に乗ることになった。

 グラハム達を追い払う手伝いをしてもらった礼である。


「なぁカガリ。何の話だと思う?」


「そうですね……。かなり深刻な悩みなのではないかと思います」


「その訳は?」


「誇り高いウルフ族が、人間の力を借りるというのがそもそも有り得ないことなので……。主は特別だと言われればそれまでですが……」


「そうか……。俺に手伝える事だったらいいが……」


 1度しか来たことのない場所だけにうろ覚えであったが、カガリのおかげで迷わず目的地の遺跡へと辿り着いた。

 深い森に覆われたストーンサークル。一瞥すると誰もいないように見えるが、かなりの数の気配を感じる。

 俺が顔を見せると、木々の影からぞろぞろと出て来る獣達。


「……いや、多すぎだろ……」


 一族総出でのお出迎えといった雰囲気。

 ウルフと共にキツネ達も出て来たのには驚いたが、ウルフの数が以前より多い。

 確か最後に確認したのはネストが俺を尾行していた時だが、20匹程度だったのを記憶している。

 しかし、目の前にいるウルフ達の数はざっと見て50匹はいるだろう。倍以上だ。


「久しぶりに会えて嬉しいぞ。破壊……いや、九条殿」


 キツネの群れの中から出て来たのは白狐だ。

 純白の毛並みは見事。ほっそりとした顔立ちで凛とした瞳からは、面妖な雰囲気を醸し出していた。

 一緒に出て来たのは他の者達よりも一回り大きいウルフ。俺と目が合うと軽く頭を下げた。

 背は蒼く腹の白い毛並みは漣のよう。片耳が少し欠けている彼こそ、周辺のウルフ達をまとめ上げる族長である。

 俺がよみがえらせた長老から族長を拝命した時とは違い、見違えるほどの貫禄。今となっては族長も板についている。

 なんというか、感慨深い。

 そしてもう1匹。体格は族長と同じくらいだが、漆黒の毛並みで黄色い瞳が特徴のウルフ。

 この辺りでは見ない顔……。新入りだろうか?


「こんな人間の力を借りるだと? 誇り高きウルフ一族のクセに恥ずかしいとは思わんのか?」


 声を上げたのはその新入りだ。後ろには同じ毛並みのウルフ達が集まっている。


「この森は、ここにいる白狐の一族と我等の部族が半々で統治している。貴様が口を出す謂れは無い」


 それは種族間での対立のようにも見えた。どちらも引く気はないらしく、背を低くして唸り声を上げる。


「この人間に何をさせようというのだ。コイツが助けてくれるとでも? 俺にはそうは見えんがね。そもそもどうやって我等の考えを伝えるのだ、バカバカしい……」


「九条殿は我らの言葉が理解出来る。嘘だと思うなら試してみろ」


「ついに頭までおかしくなったか東の。それとも夢でも見ているのか?」


「……」


「チッ……。そこまで言うなら試してやるよ」


 漆黒のウルフは鋭い眼光で俺を睨みつけた。

 そして、バカにでもするかのように鼻で笑ったのだ。


「俺の言葉がわかるなら猫の真似でもしてみろ、人間」


「「……ぷっ……くくくっ……わははは……」」


「なっ……何がおかしい!!」


 意味のわからない他の者達が茫然と見つめる中、俺とウルフの族長はお互いの顔を見合わせ吹き出した。

 思い出してしまったのだ。2人が初めて出会った時のことを。

 まさか、同じ質問をするとは思っても見なかったのだ。


「すまんすまん。少し昔を思い出してな。猫の真似だったな……。ぷくくっ……ダメだ、ちょっと収まるまで待ってくれ」


「――ッ!?」


 それを聞いた漆黒のウルフは驚嘆した。


「だから言ったであろう。九条殿は我らの言葉を理解している。これ以上ない相談相手だと思わんか?」


 白狐に諭され、口を噤む。悔しそうではあるが、事実であることには変わりない。


「た……確かにそうかもしれんが、見るからに弱そうではないか。相手が話を聞かず力尽くで襲ってきたらどうするのだ? その為の策はあるのか? 俺達はこんな奴を守りながら戦うのは御免だぞ!」


「……おぬし。逃げて来たくせに、口だけはいっちょ前じゃのう……」


「うるさいうるさい! こんな人間1人いて何になる? 人間同士争わせると言うのか? 相手は大勢いるんだぞ!」


 怨みを込めて俺を睨むその視線からビリビリと伝わる殺気。それにいち早く反応したのはカガリだ。

 主に殺気を向ける者は何人たりとも許さないとでも言いたげに、激しく唸る。


「カガリ、大丈夫だ。気にするな」


 ふわふわの毛並みが台無しだ。逆立つ体毛を優しく撫でると、カガリは唸るのを止めた。


「申し訳ないんだが、そちらで話がまとまっていないなら俺は帰るぞ? 俺だって暇じゃないんだ」


 ホントはめちゃ暇なのだが、さっさと話を進めてもらう為だ。多少の嘘も致し方あるまい。


「いや、待ってくれ九条殿。1度はまとまった話なのだ。コイツが今になって反論を……」


「仕方がないだろう! いくら我らの言葉が理解出来るとは言え、こんな弱そうな人間などとは聞いていない!」


「はぁ……。じゃぁ強さを証明すればいいんだな?」


 それを言い終わるのと同時に周囲に凄まじい悪寒が走り、周りの樹々からは鳥達が一斉に飛び立った。


「主、ちょっと待っ……」


 カガリが止めるのも聞かず、腰に下げた魔法書に手を伸ばす。

 手っ取り早く納得させるには、見た目にもこれが一番だろう。


「【不死の王ロードオブアンデス】」


 俺とカガリのすぐ後ろの空間に大きな魔法陣が描かれると、その中心が歪み暗黒空間へと繋がった。

 そこから這い出して来たのは、スケルトンロード。

 頭には歪みくすんだ金の王冠。白い法衣に天鵞絨で出来た血のような赤い外套を纏うその姿は、死者の王の名に相応しい。

 昼間だと言うのに濃密な瘴気の所為で日の光は遮られ、そこだけがまるで雨雲に包まれているかのような薄墨色の世界。

 俺が最初に召喚した時と同じ大きさ。魔法陣から出ているのは上半身だけだが、それでも5メートルほどの高さがあった。

 そこから見下ろす巨大な骸骨。見られた者は生を諦め、死を覚悟すると言っても過言ではない。

 もちろんウルフやキツネ達も例外ではなかった。本能で逃げ出す獣達。しかしそうはさせない。


「【死骸壁ボーンウォール】」


 魔法書を持った手を右から左へと流すように奔らせると、逃げようとする獣達の前に、骨の壁が迫上がる。

 弧を描くように地面から出現したそれは、鋭く突き出た骨の刃が何者をも寄せ付けない絶壁。

 獣達が逃げ惑う中、漆黒のウルフはただ茫然と立ち尽くしていた。

 耳は垂れ下がり黄色い瞳は力を無くす。その顔に先程の覇気は感じない。

 ほんの数十秒の出来事だが、強さを証明するには十分な時間であった。

 魔法陣が消滅すると同時にスケルトンロードも塵と消え、漂っていた瘴気も霧散する。

 逃げ出さないようにと骨の壁だけはそのままに、それ以外は平穏な森へと戻ったのだ。


「……すまなかった。俺はお前を認め、忠誠を誓おう……」


「わかってくれてよかった。別に従わせようとは思ってない。さっさと話を進めてくれ」


 ――――――――――


 獣の本能が警鐘を鳴らしていた。逆らえば死は免れない。

 一瞬で悟ったのだ。コイツこそが食物連鎖の頂点なのだと。ウルフ達が思い描いていた人間の枠を、遥かに凌駕していた。

 初めて人という種に恐怖を覚え、同時にコイツになら従属しても構わないと本気で深慮してしまったのだ。

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