第105話 宴の終わりに
夜は更け、大宴会の盛り上がりも少しずつ終息へと向かう。
食堂は閉店の時間。腹の膨れた村人達は満足そうに食堂を出ると、おぼつかない足取りで自宅へと帰って行った。
最終的に残ったのはギルドを住処にしている俺とミア。酔いつぶれ寝ているソフィアと後片付けをしているレベッカだけだ。
ちなみにカガリは飯だけ食うと、さっさと部屋に戻ってしまった。
それというのも、カガリに大勢の村人達が集まって来てしまうからだ。
慣れと言うのは恐ろしいもので、すでにカガリの姿を見ても怯える村人なぞ1人もおらず、その姿を見ると拝み始める御老人さえいる始末。
黙っていれば神々しくも見える容姿は、神の使いだと言っても信じてしまいそうである。
「レベッカ。後片付け手伝おうか?」
ソフィアが起きないよう、小声で話しかける。
レベッカはソフィアの様子を窺い寝ていることを確認すると、俺に湿った布巾を投げてよこした。
「じゃぁ、これでテーブルを拭いてくれるかい?」
「まかせろ」
レベッカが食器を下げたテーブルから順に布巾を掛ける。
古臭い木製のテーブルは、若干不安定でガタガタと小刻みに揺れ動く。
「報酬は、朝定食1回無料ってのはどうだ?」
「いや、いらんよ。テーブルを拭いているだけだぞ?」
「一応冒険者を使ってるわけだしさ、報酬は必要だろ?」
「いらんと言っている。知り合いをちょっと手伝うくらいで見返りなんて求めないだろ? これは厚意だと思ってくれて構わない」
「好意? おっさん、もしかしてあたしの事が……好きなのか?」
「嫌いじゃないが、そっちの好意じゃない」
「アハハ……冗談だよ。毎日あたしの料理を食べてるからさ、ついにおっさんの胃袋を掴んじまったのかと思ってさ」
「まあ、正直美味いとは思う。俺はあまり料理はしないからさっぱりだが、毎日食っていても飽きないし、好みの味付けではあるな」
「おっ? 嬉しいこと言ってくれるねぇ。それならウチもプラチナプレート冒険者の推薦を貰ったってことで、武器屋の看板でも真似てみようかね?」
「……それだけはやめてくれ……」
げんなりとした表情を見せると、小気味にケラケラと笑うレベッカ。軽い雑談をしながらも、汚れた食器を厨房へと下げていく。
10枚近い食器をまとめて運ぶその様子は手慣れたものだ。
食堂にあるテーブルの3分の2を拭き終わった頃、厨房からレベッカが顔を出した。
「ありがとう九条。もういいよ。それよりもそこで寝てる奴等を起こして、帰るように言ってくれるかい?」
その視線の先には涎を垂らしてテーブルに突っ伏しているソフィアとミアだ。
2人とも幸せそうである。
「ソフィアさん、起きてください」
肩をぽんぽんと優しく叩き声を掛けるが、まるで起きる気配はない。
仕方がないので先程よりも強く叩き、ついでに体を揺すってみるも無反応。
寧ろそれが原因で、起きてしまったのは隣のミアだ。
「んうぅ……。おにーちゃん……?」
ひとまずソフィアは置いといて、先にミアを部屋に運んでしまおう。
「先にミアを運んじゃいますね」
「あーい」
厨房から返って来た軽い返事。ミアを抱き抱え自分の部屋へと運ぶ。
「おにーちゃん。トイレ……」
「トイレくらい1人で行けるだろ?」
「だって、おにーちゃんが怖い話するから……」
「あー……」
グラハムとアルフレッドを追い払う為とはいえ、子供には少々刺激の強い話だったかもしれない。
部屋に戻ると、真っ先にお手洗いへとミアを運ぶ。
「ドア閉めないで! おにーちゃんはここにいて!」
「あー、はいはい」
ミアに背を向け、用を足すのを待つ……。まあ、こうなるだろうとは薄々思ってはいたが、別に恥ずかしいなんてことはない。
俺も子供の頃、同じことを母親にしてもらった覚えがある。テレビで見たホラー映画が忘れられなかったのだ。
実家はお寺。故にべらぼうに広い。クッソ長い薄暗い廊下の先にトイレがあるのだ。
昔はLEDなんて便利な物はなかった。運が悪いと、切れかけの蛍光灯がチカチカと点滅しているのだ。それが更に恐怖をそそる。
あの時の親の気持ちはこんな感じだったのだろうかと思うと、今更ながらに元の世界を懐かしく感じてしまうのだ。
もう元の世界には戻れない……。未練がないわけじゃない。最後に両親に挨拶……いや、顔を見るだけでも出来ていればと思うと、感傷的にもなってしまう。
「おにーちゃん、終わったー」
そう言って両手を俺の方へ伸ばす。
いや……自分で歩けるだろ……。とツッコミたいのを我慢しつつ、ミアを優しく抱き上げる。
お手洗いの扉を器用に足で閉じ、ミアが掛布団を被ったのを確認すると、部屋を出る為踵を返す。
「おにーちゃん、何処かいくの?」
「ん? あぁ。下にソフィアさんを置いて来てるから、起こして帰さないと……」
ミアの表情が曇る。言いたい事はわかる。怖いのだろう。
だが、ソフィアを放っておく訳にもいかない。
「大丈夫だ。カガリがいるだろ?」
起きていたのか、自分の寝床に丸まっていたカガリがムクリと起き上がると、ベッドに飛び乗りミアの足元で丸くなる。
さすがはカガリだ。これでミアも安心して眠りにつけるだろう。
「いってらっしゃい」
「ああ、いってくる」
と言っても、そんなに時間をかけるつもりはない。俺だって眠いのだ。
食堂へ戻ると、後片付けが終わったのかレベッカはソフィアの隣で腕を組み立っていた。
「どうしたんですか?」
「いやもー全然起きないんだよね……」
レベッカがソフィアの身体を強く揺らしてみたり、頬を強めに叩いてみたりしているが、まるで起きる気配がない。
肩を竦め、お手上げといった様子を見せる。
「ソフィアさんって酒が入ると、いつもこうなんですか?」
「いや、酒を飲んでるのは1度も見たことがないね。こんなこと初めてだよ……。まぁ後は頼んだ、あたしはまだやることがあるからね」
「え? ちょっと待って下さいよ。ソフィアさんって何処に住んでるんですか?」
「確か宿屋に仮住まいだと思うけど……。宿屋ももう開いてないんじゃないかな?」
時刻はすでに日を跨いでしまっている。
宿屋を利用したことがないのでわからないが、レベッカが言うならそうなのだろう。
仕方ない。ギルド3階の空き部屋に運ぶとしよう。しかし、どう運べばいいものか……。
俺が抱き上げ背負えばいいのかもしれないが、正直言って酔っ払いを背負いたくはない。
学生時代に酔いつぶれた友達を背負い、背中に嘔吐されるという苦い思い出があったからだ。今でも思い出すと、吐き気を催す……。
レベッカは忙しそうだし、ミアには無理だろう。寝ているのを起こすのも忍びない。
カガリは一度ソフィアを乗せた事があると言っていたが、今はミアの傍を離れられない。
「そういえば、ギルドに怪我人用の担架が置いてあったな……」
確か盗賊達を追い払った後に使ったのを見た。いつもなら窓際に立て掛けてあるはずだ。
階段を駆け上がり担架を探す。
営業時間外のギルドは明かりもなく薄暗いが、担架はすぐに見つかった。
それを担ぎ上げ食堂に戻ると、ソフィアの横に広げる。
「よし。【
魔法書から取り出した2本の骨を無造作に放り投げ呪文を唱えると、そこから2体のスケルトンが現れる。
「へぇ……。実際見るのは初めてだけど、死霊術ってそーやって使うのかぁ」
後片付けの手を止め、カウンターから物珍しそうに見ているレベッカ。
俺に対する信用度が高いおかげか、それとも胆力の賜物か。スケルトンを前にしても怖がるどころか、平然としていた。
「それって動物の骨なら動物のスケルトンが出来るのか?」
「そうだが?」
「じゃぁ豚の骨なら豚のスケルトンが出来るって事だよな?」
「まぁ、そうなるな」
「なら無限にとんこつスープが作れるじゃねーか!」
その発想はなかった……。
目をキラキラと輝かせてカウンターから身を乗り出すレベッカは、純粋に嬉しそうに見える。
「……それ、マジで言ってるのか……?」
「何かマズイのか?」
「レベッカは、スケルトンの骨で取った出汁を料理に使っても何とも思わないのか?」
「言わなきゃバレねーって」
「そういう事じゃねーよ……」
「ここにスープ用の骨があるから……」
「俺はやらんぞ!」
まあ、言われてみれば確かにそういう使い方も出来るのかもしれないが、死霊術で召喚した骨で出汁を取ったスープを飲みたいかと言われたら、俺は御免だ……。
残念そうな表情を浮かべるレベッカは放っておいて、召喚したスケルトンに仕事を与える。
ソフィアの両手両足を掴み、仰向けの状態で担架に乗せると、それを持ちあげ移動開始だ。
顔の片側にビッシリと木目の跡が付いていたソフィアを雑に運ぶスケルトン。
それなりの衝撃があるだろうに、ソフィアはまったく起きることなく未だに夢の中である。
「まるで地獄に連れてかれるみてーだ。あはははは……」
それを見てゲラゲラと笑うレベッカ。
スケルトンが担架を運ぶその状況がツボに入ったのだろうが、笑い過ぎだ。
ソフィアを運び終えた後も、食堂からはレベッカの笑い声が響いていた。
――――――――――
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!」
次の日の早朝。耳を劈くような悲鳴が聞こえ、飛び起きた。ソフィアの声だ。
もしかして昨晩ベッドに寝かせる時に、ちょっと胸を揉んだのがバレたのだろうか?
俺はミアに部屋から出ないよう言うと、急ぎ悲鳴の発生源へと走った。
鍵のかかっていない扉を勢いよく開け、状況を確認する。
「ソフィアさん! 大丈夫ですか!? あっ……」
ダメそうだった。涙目でベッドに座り込むソフィアの隣には2体のスケルトンが立っていた。目を開けたら目の前にスケルトンがいるのだ。そりゃ驚きもするだろう。
スケルトンを帰すのを忘れていた……。放っておけば勝手に消えるのは過去の話。
バルザックから魔力の使い方を学んだことで、召喚を維持する時間が伸びているのを失念していたのである。
「ちょっと!! コレ九条さんですか!?」
怒りをあらわにするソフィアを横目に、俺はスケルトンをあるべき場所へと帰し、静かに部屋の扉を閉めた。
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