第82話 ネスト誘拐
「バイスさん! 大丈夫ですか!?」
「ぐッ……九条か……。クソッ……油断したッ……!」
救急用ベッドを取り囲んでいたギルド職員を押しのけ顔を出すと、そこに横になっていたのはバイスだ。
苦悶の表情を浮かべ、話すのも厳しいといった状況。
右上半身の損傷が酷い。血と汚れでわかりづらいが、恐らくは火傷。
切り傷に加えて激しく擦り、皮がめくれてしまったような有様だった。
「ちょっと! 部外者は立ち入り禁止ですよ!」
歪んだプレートアーマーを必死になって脱がすギルド職員に制止され。引き離そうと腕を掴まれる。
俺はその手を振りほどき、ポケットの中に入っていたプラチナプレートを提示した。
「あっ……。しっ……失礼しました……」
ここはギルド本部の緊急治療室。帰還ゲートと繋がる部屋に隣接している部屋で、適性値の高い
朝、セバスのけたたましい声で起こされ、ネストとバイスが何者かに襲撃されたとの一報を受けた。
その後すぐにバイスがギルドに運び込まれたとの連絡を受け、急ぎ向かったのである。
「回復術を使います! 離れて!」
「【
職員達がバイスの鎧を脱がせていたのは、患部に近い位置の方がより回復効果を得られるからだ。
傷が癒えていくにつれ、バイスの強張った表情と激しい呼吸は少しずつだが穏やかさを取り戻す。
「すまん九条。ネストが攫われた」
「何があったんですか!?」
「ノーピークスから帰る途中に襲われた。気づいたら馬車は炎上。遠距離から魔法をぶっ放された可能性が高い。その衝撃で気絶しちまってたネストを抱えて馬車から脱出したんだが、すでに馬は殺されていて逃げる術はなかったんだ……」
話している間にバイスの治療が終わる。
とは言え、失われた体力はまだ戻っていないようで、起き上がるのは無理そうだ。
血と汚れを濡れタオルで拭き取っていく職員達。
「ありがとう。後は自分でやれる。それより九条と話がしたい」
その申し出に察したギルド職員達は、早々に部屋を引き上げた。
礼儀正しく一礼してから閉められる扉。
「ブラバ卿の手の者だ。盾に何かを塗って隠していたが、削れたところから少しだけブラバ家の紋章が見えた。狙いは最初からネストだろう。ネストを確保したら即時撤退して行ったからな……」
「何処に連れ去られたかわかりますか?」
「いや……わからないが、王都方向ではない……。ただしばらくは何もしないはず。表向きは貴族同士の争いは禁じられている。もしそれが明らかになればブラバ家も処罰を免れない。ネストを交渉材料に騎士団をノーピークスから引かせるか、魔法書の奪取が目的だろう。九条はネストの家へ戻れ。要求があるとすればネストの屋敷に行くはずだ」
「バイスさんは?」
「俺は動けるようになったら。第4王女に報告に行く。何かあったら教えてくれ」
「わかりました」
ミアとカガリを連れ、一路ネスト邸へと駆ける。
まさかここまでとは……。子供の悪戯と侮るのは早計だったのかもしれない。
差がありすぎだろう。最早嫌がらせの域を超えている。
もう少し警告のようなものがあってもよかったんじゃないかと思うが、相手がただのバカなのか、それともよほどの自信があるのか……。
とにかく情報を集め、ネストを取り戻さなくては……。
誰がどう見ても急いでいることがわかるくらい必死に走っているのだが、それにも関わらず空気を読まずに声をかけてくるクズ達。
「お急ぎのところすいません。九条様でいらっしゃいますか?」
「お急ぎのところすいません」の一言がなければ、恐らくぶん殴っていただろう。
額に血管が浮き出てるんじゃないかと思うぐらい苛立ちはしていたが、相手をしている場合ではない。
完全なる無視を決め込み、ネスト邸へと急ぐ。
必死に並走していた黒服はカガリに威嚇され足を止めると、それ以上ついて来ようとはしなかった。
ネスト邸へと辿り着くと、門の前にセバスが佇んでいるのが見えた。
その手に握られていたのは紙くずのような何か。
それは1通の手紙であった。その中身に憤り、くしゃくしゃに握り潰してしまったらしい。
大事な手紙をくしゃくしゃにするんじゃない! というツッコミは後だ。
息を切らしながらも、手渡されたそれに目を通す。
『令嬢を返してほしければ魔法書を持ってこい。場所は追って指示する』
「九条様……」
俺はバイスとのやり取りをセバスに報告した。
「わかりました。九条様はお部屋でお休みになられてください。なにか続報がありましたら、すぐにお知らせいたします」
「お願いします」
部屋に戻ると、朝食が用意してあった。
こんな大変な時にここまでしなくてもいいのに……。
そう思いながらも、その厚意を無下にはせず。いただくことにしたのだ。
「よし! 腹ごしらえもしたし、そろそろ行くか!」
「え? 行くってどこへ?」
「ネストがどこにいるか確かめてくる」
「え? おにーちゃんネストさんがいる所、どこかわかるの?」
「知らん!」
「えぇぇ……」
「……だが、カガリ。お前ならわかるんじゃないか?」
それにカガリはこくりと頷いた。
「2人が襲われたという場所までいけば可能でしょう。あの臭い……忘れるはずがない」
テーブルの上にあったハンドベルを鳴らすと、1人の使用人が姿を見せる。
「お呼びでしょうか? 九条様」
その使用人に食事の礼を言って食器を下げてもらい、こちらがいいと言うまで誰も部屋に入らないようにしてくれと頼んだ。
「ミア、俺はこれから死ぬ。その間……」
「やだ!」
「いや待て、最後まで聞いてくれ。俺の足では全速力で走るカガリについていくことは出来ない。そこで俺は別の身体に魂を移す。その間、俺は仮死状態になるんだ。ミアにはその無防備な俺の身体を守ってほしい。信頼できるミアにしか頼めないことなんだ」
ミアだって今が大変な時なのはわかっているだろう。
「わかった! がんばる!」
両手の拳をぐっと握ると、真剣な眼差しを俺へと向け力強く頷いた。
「【
魔法書から獣骨を取り出し、床へと投げる。
そこに描かれた魔法陣がそれを飲み込み、代わりに這い出て来たのは猟犬としては大きめな全身骨格。
「【
条件は魂が入れる器であることで、現在魂の入っていないものに限られる。簡単に言うと死体だ。
肉体から離れた魂がデスハウンドに憑依すると、その胸に宿った蒼き炎が鼓動を刻む。
目を開けると、俺は倒れている自分の身体を見ていた。
不思議な感覚であったが、そんな考えはすぐに何処かへ吹き飛んだ。
ベッドの上でやればよかった……。思いっきり頭から倒れたけど、俺の身体は大丈夫だろうか……?
まあ、魂を戻したら後でミアに癒してもらえばいいだろう。
「よし、いいぞカガリ」
ぶっつけ本番だが、魔力を込めて話すことによって声を出せることもわかった。
「行きますよ、主」
「いってらっしゃいおにーちゃん。気を付けて……」
カガリはあらかじめ全開にしておいた窓から飛び出すと、音もなく華麗に着地した。
それに倣えとばかりに俺を見上げるカガリ。
恐らく大丈夫だとは思っていても、2階から飛び降りるのは少々勇気が必要だ。
この体は俺の身体ではない。アンデッド故痛覚はなく、たとえ壊れようとも魂は肉体へと帰るだけ。
そう自分に言い聞かせ窓から外へ飛び出すと、骨の身体とは思えないほどに柔らかく地面へと降り立った。
人間の身体では成すことのできない身体能力に驚きながらも、それを確認したカガリは全速力で走りだし、俺はそれを追いかけたのだ。
――――――――――
ミアはカガリとデスハウンドを見送ると、開け放たれた窓を閉めた。
振り返ると横たわる九条の身体。
それに命は宿っていないはずなのに、覗き込んだその顔はただ深い眠りについているだけのようにも見える。
「……おにーちゃん?」
返事がないことはわかっているのに声を掛けたのは、今なら何をしてもバレないのでは? という考えが、ミアの頭を過ってしまったからだ。
(……ダメダメ! おにーちゃんは私を信じてるんだから、ちゃんと見守ってないと……)
悪魔のささやきに抵抗するかのように首を振り、ミアは気を引き締める。
(……でも、少しくらいならいいよね……。我慢は体に良くないって昔の人も言ってたし……)
白目を剥いてぶっ倒れている九条の右腕に自分の頭を乗せそっと寄り添うと、ミアは満面の笑みで束の間の幸せを堪能したのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます