第七十一髪 あの日々を まぶたの裏に 浮かべては

 祝宴の喧騒けんそうが続く中、エルは少し離れた場所で、壁を背に大樽おおだるに入ったカプラの乳酒にゅうしゅはいいでは飲んでいた。

 と、そこへ。


となりよろしいでしょうか」

「ん? ああ、いいが……。何だ、貴殿きでんか」


 声をかけたのは、侍従長じじゅうちょうのミレットであった。

 エルのとなりすわると、樽からなみなみと酒をいでは飲み始める。

 少しの間、お互い目も合わせず、目の前のお祭り騒ぎをさかな黙々もくもくと飲んでいたが、不意にエルが口を開いた。


から、もう百年以上はったのじゃな」

「ええ」

「ワラワにとっては、ほんのひと眠りの間であったからな。貴殿らは、……のだろう?」

「はい」

「変わってしまったのは、……あやつだけか」


 エルは、過去に想いをせる。

 騒がしくも楽しかったあの日々は、けれども終わりをむかえてしまった。

 今は、そののこをたまたま味わえているだけなのだ。


 杯をあおる。

 カプラのちちさわやかな酸味さんみ濃縮のうしゅくされた酒は、心地よいのどごしと共に、腹の中へと落ちていく。


「あの頃は聞けなかったのですが」

「何じゃ、やぶからぼうに」

「……好きだったのですか?」


 だれのこと、とは無粋ぶすいだった。

 ミレットもエルも、同じ人間を視界にとらえていたからだ。


「……このギアをみ落としたのが全てであろうよ」


 もし、人として関わりを持ちたいと思わないのであれば、ルピカのように見た目にこだわらず、もう少し神威しんいのある存在を作り出していただろう。

 元々ヒト好きなのをこれでもかと自称じしょうはしていたが、彼のことは特別だった。

 だが。


「その答えを得たところで、あやつにはすでに意中いちゅうの者がおり、結ばれておる」


 笑う。それも、あの頃、無邪気に望んでいた未来なのだから。


「ま、ワラワのこのギアも、あと数日で再納棺さいのうかんじゃ」

「やはり、このまま居ることは出来ないのですか?」

「大地がこのまま回復すれば不可能ではないじゃろうな。だが」


 エルは目をつむり、床に置いた手に意識を集中させる。

 情報が黄金にかがやく糸となって手繰たぐり寄せられ、大地に関わるこの世界のあらゆる状況が脳裏に浮かび上がる。


「うむ。この身体で遊びほうけているひまはないの。ムクジャラの影響は広範囲に渡っておる。急ぎ元の豊穣ほうじょうを取り戻さなくては、いずれ多くの人間が、死ぬ」

「失礼しました。わがままでしたわね」

「良い。実に幸せな申し出であった。ワラワもそうだが、貴殿にも時間はいくらでもある。またいつか、な」


 ゲハハハ、と軽く笑う。

 杯の中の乳白色にぼんやりとうつるのは、さびしげな笑顔だ。

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