第七十二髪 園庭に まばゆい青の 花開き

 夜も深くなり、慎太郎と大巫女だいみこうたげを抜け出し、中庭を歩いていた。

 あれだけ飲んでいたというのに、大巫女はむしろ少し酔いが覚め落ち着いた様子で、足取りもしっかりしている。

 だが、酒が入った身体からだはお互いに火照ほてったままで、外の肌寒い空気は何とも心地が良い。

 咲きほこる花々は今日もあわ蛍光けいこうを放ち、手入れされた美しい園庭えんていいろどっている。


 二人は中央の泉の前にある、いつものベンチに座る。

 目の前には、首から上がない先代大神官の石像が泉の中心に雄々おおしく立っている。

 石造りなので気づいていなかったが、確かに彼も羽衣スーツを着こなしていた。

 やはり、あの羽衣スーツ正式フォーマル衣装いしょうであったのだ。

 頭のないその石像が、何者かは分からない。

 ただ、ヤナギノクかか屹立きつりつした姿は、彼に対する製作者の感謝と、平和への願いであふれている。

 もしかすると、私の石像も造られるのだろうか。

 正直なところ、それはとてつもなく気恥ずかしいし、もし、ほんの少しだけわがままが許されるのなら、あのエリフサー使用後髪がある時の姿でお願いしたい。

 慎太郎はそんなことをぼんやりと思っていると。


「うふふ」


 大巫女は身をり寄せ、かたをくっつけ、慎太郎の左手を自らの両手で包み込む。

 こうして触れ合うと、その紅潮こうちょうが皮膚から伝わって来るのではないかと錯覚するほどの温かみを感じる。

 そんな熱っぽい彼女の姿と、先程のタガが外れた飲みっぷりを思い出しながら、改めて思うことがある。

 彼女はここにいたるまで、本当に多くのものを背負ってきたのだろうな、と。

 ともすれば、異邦人である自分よりも、はるかに重たいものを。

 天からそそぐ月光を受け、泉の水面は明るく光り、大巫女の美しい横顔、そして濡れた瞳を照らし出す。


 ──綺麗きれいだ。


 慎太郎は素直に、そう感じた。

 それと同時に、頭の深いところが疼く。

 頭痛ではない、じんじんとしたうずきが身体を支配し、空いた右手で大巫女のほおでる。


「うふふ、――ですわね」


 大巫女の言葉は、上手く聞きとれなかった。

 何を言ったのか問いたずねようと口を開いたその瞬間。

 大巫女はちょうが音もなく羽ばたくかのようにすっと身体を離すと、泉の周りをゆるやかに歩き出す。

 いんむようなその動きは、まるで闇夜で踊る妖精だ。

 大きく口の開いた手のすそがひるがえり、幻想的な舞踏ダンスとなる。

 それを見ていると、記憶の欠片が、どうにもうずく。


 やはり、私は。どこかで、彼女と――。


 泉の周りを一周し、帰ってきた大巫女は、座っている慎太郎に手を差し伸べる。

 その小さくほっそりとした手を握りしめると、次の瞬間、光のあわのようなものが慎太郎の身体から溢れ出す。


「ああ。もう、時間ですのね」


 大巫女の言葉がやけに遠い。目の前にいるはずなのに、輪郭りんかくがぼやけていく。


「これは一体……」

「今回は無理やり、こちらにお呼びしましたから。私だけでは少し力不足でしたけれども」


 優しい表情のまま、笑顔の大巫女の声は、語尾が少しふるえていた。

 気がつくと慎太郎は大巫女を強く、と言っても筋肉痛のためさほど力は入らなかったが、気持ちがあふれんばかりに抱きしめた。


「私は、おそらく君を知っているはずなんだ……。どこかで、出会っているんだ」


 息を飲む音がする。

 そしてすぐに、小さな声が耳元をくすぐる。


「何だね、んうっ」


 花蜜はなみつのような甘い匂いが鼻腔びくうを満たす。

 振り向いた慎太郎のタイミングに合わせるように、大巫女はそのネクタイを引っ張り、顔をぐいと引き寄せ、くちびるを合わせていた。


 ――どれくらいの時間そうしていたのか。


 慎太郎が我に返った時には、すでに大巫女はベンチから立ち上がり、ホタルブクロで淡くライトアップされた噴水のそばで、少し悪戯いたずらな笑みを浮かべていた。


「奥様によろしくお伝えくださいね。あと、莉々りりちゃんにも」

「全く、君という子は……。だが、分かった」


 どうやら刻限こくげんのようだ。

 慎太郎の全身があわく輝き、輪郭を失っていく。


「また、会えるといいな」

「ええ、きっとまたすぐに、会えますわ」


 少し涙が混じるその声に慎太郎は切なくなりながら、だが、意識は一気に暗がりへと落ちていく。

 夢うつつの狭間のようなひと時の闇の中で、ふとあることに疑問を抱く。

 彼女に娘の名前を話したことは、無い。

 どうして、知っていたのだろうか。


 遠くに落ちていく意識の中で、音だけが聞こえてくる。

 大広間の方からだろうか、祭囃子まつりばやしと歌と人々の歓声かんせいが、さざ波のように寄せては返す。

 誰もが喜び、いつくしみ、い、うたっている。

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