第五十三髪 境界を 踏み越えて往け 四十六歳男よ

 その晩。

 慎太郎は莉々りりと一緒に自身の寝室で寝ることになった。

 昔は親子三人で寝ていたダブルベッドなので、そこそこ広い。

 そのため、二人で寝るくらいであればそんなに窮屈きゅうくつではない。

 昔はおさなかった莉々が寝ぼけて落ちないようにとベッドの片側を壁につけていたが、今は少し離している。

 莉々は延々と携帯端末をいじってはいるが、時折ちらちらと慎太郎を見ている。

 娘からの視線に妙に気恥ずかしくなり、慎太郎は背を向けたままだ。

 時計の針の音が妙に大きく感じて、せっかく久々の親子の時間だというのに、早く過ぎてほしいと願ってしまっていた。

 それに、莉々には申し訳ないが、慎太郎はあの世界のことが頭から離れずにいた。

 この世界とあちらの世界では、時間の経過で約四倍のずれがあるのだという。

 つまり、ここで過ごす一時間は、向こうで四時間に相当する、というわけだ。

 黒き神の進行状況とこれまでのスケジュールを思い出すに、そんなに時間が残されているとは思えなかった。


 正直なところ、今すぐにでも戻りたかった。


 下北沢から貰った御守を、慎太郎は強くにぎりしめる。

 とはいえ、このまま行ったとしても莉々に反応されてすぐ戻ってしまいそうな気がする。

 そうなると、今度こそどうしようもなくなる。

 どうしたものか……、と妙案みょうあんひねり出そうとしたが何も出てこず悶々もんもんとしていると。

 莉々から、おだやかな寝息の音が聞こえ始めた。

 慎太郎は身体の向きを変えて様子を見ると、左手に持った端末を頬に軽く押し付けながら、目尻めじり弛緩しかんさせたお休みモードへと移行していた。

 慎太郎は思わず苦笑する。

 そもそも、眠い時は父母にくっつけばすぐに寝ていたような娘だ。

 寝つきがよく、しかもなかなか起きない。

 しかも中学の頃まで長らくお世話になったベッドだ。

 先日のイベントとやらの疲れもあったのだろう。

 聞き慣れたその音は、なつかしくもあり、慎太郎の目元も思わずゆるんだ。

 慎太郎はそろりとベッドから抜け出すと、端付はしづけしているテーブルに座り、莉々への手書きのメッセージを書いていく。

 万が一、莉々が起きた場合でも、あちらの世界で戦っているだろう父をそのまま見守ってもらえるように。

 それを書き終わると、ドアノブのところにテープで貼り付け、寝室を出る。

 そして、書斎に向かい椅子いすに座ると、目を閉じる。


 ──パパは必ず、世界を救って戻ってくるから。


 メモに書いたメッセージを心の中で反芻はんすうし、下北沢から預かったあの御守を強く握りしめると、あの場所へ再びおもむきたいとひたすらに念じ続ける。

 不思議なことに、しっかりと目をつぶった先にある見慣れた暗闇の世界が、段々と違う色へと切り替わっていく。

 それが何色なのかうまく説明出来ない。

 だが慎太郎は、それこそが道標みちしるべだと直感した。

 それは黒の代わりとなって満ち、さらに膨れ上がり、何もかもを染め上げ、そして――。


 まるで、真横で金属製のドラを打ち鳴らされたかのように、頭の中に幾重いくえもの音がひびきわたる。

 軽いめまいのような痛みもあるが、何とかして目を開く。

 視界に広がるのは、大神殿地下の中央にある祭儀さいぎの間だ。

 無理やり上体を起こすと、奥にある祭壇さいだんには、白い光が辺りを舞う中、あかい玉が燦然さんぜんと輝いている。

 それの健在を確認し、ほっと一息つく。どうやら、間に合ったようだ。

 と、そこに。


「慎太郎様!」


 勢いよく、大巫女だいみこが抱きつく。

 首に回された両腕と慎太郎の顔のすぐ横にある首筋からは、いつもの花蜜はなみつ魅惑的みわくてきな香りがあふれ、慎太郎は別の意味でもくらくらとした。


「良かった、本当に……」


 その涙ぐんだ声を耳元に受け、いつになく優しいトーンで、彼女へと声をかけた。


「大丈夫だよ。私はここに居るから」

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