第二十三髪 垣間見る 日常の朝 穏やかで

 慎太郎が目を開けるとそこは、見慣れた現実世界の寝室だった。

 ベッド脇の間接照明がほのかに光り、眠りに入る直前まで読んでいた本のはしが少しだけ折れてしまっていた。


 先程までの時間を思い返す。

 大神殿に帰ってから、用意された夕食をいただき、マリーナとちょっとした会話をした後に、例の大浴場で疲れた身体をほぐした慎太郎は、寝室の豪奢ごうしゃなベッドに入るやいなや、深い眠りに入ってしまった。

 あれだけ身体を酷使こくししたのは久々だったが、不思議と全身の疲労感に比べ精神的なダメージはほとんどない。

 運動がストレス発散になるというのは、まさにこのことだな。

 と、普段通勤でしか身体を動かしていない自堕落じだらくな生活を反省しつつ時計を見ると、午前四時半になったばかりだった。

 今日は早起きの日だ。

 というのも、莉々がイベントとやらで、かなり早い時間から出発するからだ。

 ゆっくりと身体を起こすと、思いのほかきちんと動いてくれる。

 大浴場での入念なマッサージがこうそうしたようだ。

 リビングに入る前に洗面所で、歯磨きといつもの頭皮ケアを行う。

 鏡に映る自身の姿は髪全体がさらに薄くなっており、地下迷宮ラビリンスでの激闘を思い起こさせるものであった。


 ……悔いはないさ。


 そう言い聞かせると、例の下北沢しもきたざわスペシャルを塗布とふする。

 五分もしないうちにムズムズ感がき上がってくる。

 少しばかりだとしても失ったものを取り戻しているような感覚があり、有能で男前な部下にそっと感謝の念を抱いた。


 リビングに入ると、莉々がすでにパンを焼いているところであった。


「パパ、おはよ」

「ああ、おはよう、莉々」


 莉々はイベントへ向け元気一杯といった雰囲気だ。

 軽くメイクもしているようで、普段とは違うはなやかさがある。

 莉々は手早く食事を済ませると、そそくさと自室に戻る。

 しばらくすると、キャリーバッグにボストンバッグまで持って出てきた。

 衣装などが入っているのだろうか。

 片手でひょいと持てるところを見るに、そんなに重いものではなさそうだ。

 莉々は玄関で見送る慎太郎に「いってきまあす」と軽く挨拶あいさつし、出かけていく。

 慎太郎は玄関のドアが閉まった後も、少しの間、手を振っていた。


 一息つくと、再び急激な眠気におそわれる。

 次は確か、ハーピィの里、というところへ向かうとのことだった。


「ハーピィ、なあ」


 例の雑誌、アシュタにもそのモンスターが敵役てきやくとして出てきていた。

 確か、つばさを持った半人半鳥みたいな生き物であり、どうもうきばを持ち、するどいかぎつめで攻撃してくるというものだ。

 見るからに凶暴な見た目で、人を食らうとも書かれていた。


「あまり怖い相手じゃないといいんだが」


 残りの髪の毛も心許こころもとない。

 くろかみとの戦いもあるだろうし、今後の人生のこともある。

 出来るだけ温存しておきたいと思ってしまう四十六歳男アラフィフである。

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