第九髪 拍子抜け げに素晴らしき 夜はしじま

 休日前ということもあり残務処理が多く、午後9時頃に帰宅した慎太しんたろう郎は、冷蔵庫にある作り置きのいため物をあたため、の物などを頂く。

 風呂に入り身をきよめ、洗面所でいつもの入念な頭皮ケアを行う。

 それが終わると寝室に入り、ベッドにたおれこむ。

 疲労感がどっと押し寄せる。それはまるで、かなり長い時間身体を動かしていたような強いものであり、普段のものとは明らかに違う感覚であった。

 帰ったら読もうと思っていた例の雑誌アシュタも手に取る気力すらかず、重たいまぶたに逆らえず、目を閉じる。


 ――また、あの世界へ行けるだろうか。


 期待と不安が交錯こうさくする中、慎太郎の意識は急速に遠のいていった。


     *


 午後10時。

 莉々りりは慎太郎の寝室の外で待機していた。

 理由は勿論もちろん、昨日の怪奇かいき現象が今日も父親の身に起こらないかと、気が気でなかったからだ。

 ドアに耳を当て、中の音を探る。大きめのいびきが聞こえてきて、莉々はげんなりとした表情になるが、気を取り直す。


 心配するのは、家族として当たり前のことだから。


 と、莉々は自分に言い聞かせる。

 実際そうなのだが、親離れ(というより父離れ)が今のトレンドである彼女には、一つ行動を起こすのにも何かしらの言い訳が必要なのであった。

 そっとドアノブをひねり、中に入る。

 間接照明がベッドを淡く照らす中に、慎太郎の姿を見つけた。


 ……光ってないし、けてない。


 はあ、と安堵あんどというよりも拍子抜ひょうしぬけのため息がひとつこぼれる。

 そして、久方振ひさかたぶりに入った両親の寝室を改めて見回し、改めてなつかしむ。

 なんと言ったらいいのか。

 自分の部屋とはそもそもの匂いが違う。

 小さい頃はここが安息の場所だった。

 一人で寝るのが特に苦手だった彼女は、自分の部屋があてがわれても、ここで良く寝ていた。

 仕事柄、母親がい寝することはめずらしく、もっぱら父が彼女の安らかな眠りをまも騎士ナイトだったのだ。

 そんな日々に思いをせながらベットのふちすわり、すこやかに眠るあの頃より少し老いた騎士ナイト様をながめる。

 昨日はあんな状況でゆっくり見るひまもなかったけれど。

 こうしてちゃんと見るのも久しぶりだ。

 50近い歳にもかかわらず、寝顔は無防備であどけなさが垣間見かいまみえる。

 若い頃の映像を見たことがないのだけれど、もしかすると同じくらいの年代の頃は髪は当然フサフサで、結構可愛い少年だったのではないか。

 自分がハマっている乙女ゲーの少年ショタキャラを重ね合わせ、きたえ上げられた妄想もうそう力がたぎってきて変な笑いが込み上げてくる。


 ……っと、いけない。


 莉々は急にわれに返ると、すっと立ち上がり、そろりそろりと足音を立てずドアへと向かう。


「う……ん、莉々……」


 名前を呼ばれ、ぎょっとして振り向くが、寝言だと分かると苦笑いしながらドアを開け、そしてゆっくりと閉める。

 その直前、届かないほどの小さな声で、「おやすみなさい、パパ」とささやいた。

 完全に閉め終わると、緊張きんちょうしていたのかどっと疲れがあふれてくる。


 だが、明日は土曜日。


 小物で仕上がってないものもある。

 理絵が来る明日の朝までに終わらせておかないとだ。

 莉々は有り余る体力と若さを武器に、自室という名の戦場に戻っていく。

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