誰れや詠む もうこんなにも ない地でも～頭頂部薄めのアラフィフは滅びゆく異世界を救うため、一句吟じます～

第六髪 花の香 薫る寝室 身寄せられ

　今までの記憶を遡（さかのぼ）っても、今日のこの時間が慎太郎の人生で一番の好待遇（こうたいぐう）であった。

　至福のもてなしが終わると、寝所（しんじょ）へと向かう。

　案内をするのは、ミレットと名乗る女性だ。

　普段は侍従長（じじゅうちょう）という大巫女の身の回りのサポートをする役割なのだという。

　一見したところ、年齢は二十代半ばだろうか、藍色（あいいろ）の髪は肩の高さで切り揃（そろ）えられており、前髪も丁寧に眉の上でカットされている。

　いわゆるボブカットというやつだ。

　他の者と同じ、白を基調とした祭祀服（さいしふく）に身を包んでおり、気さくで明るい大巫女とは違い、どことなく神秘的で近寄りがたい雰囲気だ。

　彼女に連れられ、中庭へ入る。　

　すっかり夜も更けており、柔（やわ）らかな月光が一帯を照らしている。

　その月明かりに負けじと、中庭はそれ自体が青白く輝（かがや）いていた。

　といっても、なにか人工の照明が焚（た）かれているというわけでは無い。

　淡（あわ）い光を華（はな）やかせていたのは、あちこちで咲（さ）き誇（ほこ）る花々だった。

　まるで釣（つ）り鐘（がね）のような形をした、先端がすぼまった花で、内側には、蛍のような光を灯している。

「いやあ、実に幻想的だな」

「……ここら辺のような山地帯では、この季節にこうして良く咲きますのよ」

　どうやら生態を聞くに、ほぼ、ホタルブクロと同様のようだ。

　その光は涼しげで、美しくもあるが、見ているものに夜風の寒さを強めてしまう。

　慎太郎は先程防寒対策に、とありがたく頂戴（ちょうだい）した長衣（ローブ）を思わず引き寄せ、熱を逃がさないようにする。

　少し進むと、正面に泉があり、その中央には人型の石像がそびえ立っていた。

　数メートルはあるだろうそれは、虎（とら）のような生き物の像を足元にはべらせており、手には慎太郎が用いたあの符が何枚も広げられ、天高く掲げられている。

　そして奇妙なことに、その像にはなぜか、首から上が無かった。

「この像は、先代の大神官様を讃（たた）えるために造られた石像です」

「……頭が無いな」

「もう数十年ほど前になりますか。侵入した盗賊（とうぞく）により、頭を持ち去られてしまったのです。頭部には希少（きしょう）な宝石で作られた装飾具（そうしょくぐ）がございましたので。そこだけ毟（むし）り取ろうとしたのでしょうが、溶接しておりましたので奪（うば）えず、頭ごと持ち去ったのでしょう」

「なるほどな……実にむごい話だ」

　毟（むし）り取ろうとし、それが出来ないと分かると頭ごと持ち去るとは、とても人間の所業（しょぎょう）とは思えない蛮行（ばんこう）だ。

　先代大神官の像と自分を重ね合わせて、思わず身体が震（ふる）えた。

　そのまま泉の周囲を歩き、奥の宮へと向かう。

　中に入ると大広間と同じように白亜（はくあ）の美しい内装となっており、その中の一室へ招（まね）かれた。

「おお……」

　慎太郎は感嘆（かんたん）の息を漏（も）らす。

　上等な絨毯（じゅうたん）が床に敷（し）き詰められ、一見して高級であると分かるくらい、細やかな草木や花等の文様が精緻（せいち）に彫（ほ）られた調度品（ちょうどひん）が並ぶ。

　香（こう）が焚かれているのだろう、バニラのような甘い匂（にお）いが室内に薫（くゆ）り、不思議と心拍数が上がっていく。

　そして、慎太郎の視線はある一点でぴたりと止まった。

　そこには先程の宴（うたげ）で途中から姿を消していた、淡い桜色の長い髪が美しいあの大巫女が豪奢（ごうしゃ）なベッドの隣の窓辺に立っていた。

　服装も先ほどとは違い、下着に半透明のネグリジェしか着ていない。青白い月光が照らすその肌は幻想的で、まるで稀代（きだい）の職人の手により作り上げられた陶磁器を見ているかようだ。

　しかも、昼に見た時には分からなかったが、少女というにはあまりにも艶（あで）やかな体つきで、魔性を感じさせるような妖しい魅力がある。

　目を奪われ立ちつくしていると、彼女は振り返り、こちらへどうぞと案内される。

　近づくと、大巫女はベッドに座り横にあるスタンドを指先でなぞる。すると暖色（だんしょく）の光がふわりと広がる。

　勝手がわからぬまま、慎太郎は巫女の隣に座ると、ベッドは柔らかく軋（きし）む。

　まさか、これはあれかね。

　慎太郎は若干焦（あせ）っていた。

　妻に溺（おぼ）れた時間も最後が十数年前で、特にここ最近は欲（よく）というものが枯れ果てている。戦いよりはるかに動揺（どうよう）する己（おのれ）を隠しきれず、とはいえそれを悟（さと）られるのも恥ずかしく、不明瞭（ふめいりょう）な笑顔を浮かべ、視線は泳いでいた。

　思考力を奪うかのように甘い香（こう）の匂いに抗（あらが）うように、冷静に、冷静に、と心の中で繰り返し、己という人間の立場をわきまえる。

　と、その瞬間、妻と娘の笑顔が浮かび、急激に冷静さを取り戻した。

　なぜかはよく分からない。

　が、まるで戒（いまし）めのように、罪悪感のように、あるいは、愛ゆえにだろうか。妻の顔が大巫女と重なる。

「すまない、今日は私も冷静でないかもしれない。なんというか。君は魅力的なんだが」

「……ふふふ」

　あまりに情けない態度に蔑（さげ）まれるかとも一瞬思ったが、巫女は立ちあがると、くるりとこちらを振り向き、笑う。

「優しい方、ですのね」

「……甲斐性（かいしょう）無しなだけだよ」

　慎太郎の自嘲（じちょう）を大巫女は優しく受け入れながら、それでは、また明日お会いしましょうね。とだけ言い残して、さっと部屋を去る。

　花蜜（はなみつ）のような匂いが歩いた先から広がり、体が火照るような、それでいてリラックスするような、穏（おだ）やかな幸せを慎太郎は感じていた。

　それと同時に、妙（みょう）に頭に引っかかることがあった。

　いつか、どこかで、同じ経験をしたような――。

　だが、あれこれと思考を巡（めぐ）らせる前に、今日一日の疲れが全身に広がっていき、睡魔（すいま）に耐（た）えられず、意識は深い闇へと引きずり込まれていった。