第三髪 再びの 危機に男は 詠み上げる
ようやく
「君、ここは一体どこなんだ。どうしてこんなところに私は居るのかね」
それに大神官とは、君は一体、と取り留めのない質問が次から次へと溢れてくる。
そんな慎太郎の言葉を、しかし、目の前の少女は真剣な
「ここは、大神官様が先程まで居た世界とはまた別の世界でございます」
「別の世界……、だと」
「はい。大神官様は、私達の願いに
深々とお
「私は家で寝ていたんだ。普段飲み慣れない缶チューハイ……酒なんて飲んで、少しいい気分になって。それで、起きたらこうなっていた。私は悪酔いして夢でも見ているのか」
「それは。お休み中のところ、申し訳なく思っております。ですが、私どもの術式はとても特殊なものでして、その力が有り、その想いが
「ううむ……」
慎太郎は何か思い出せそうか頭を右に左に傾ける。
だがしかし、寝ている時の記憶なんてあるはずがない。
ただ、昔から寝言は多いらしい。昔、妻に言われたのをふと思い出した。
何らかのOKサインを出してしまったのだろうか。
「ともかく、だ。ここは私が住んでいる現代の日本ではない、ということだな」
「ええ。この世界は『ルミーノ』と呼ばれております。古い言葉で『光り輝く』という意味です」
光り輝くが語源とは、実に素晴らしい名前である。
最近では、その表現が身体と心を
「ですが、ここ数か月で急速にその言葉の姿を失いつつあるのです」
森を抜けてすぐは草原が豊かであったが、ある一線を越えると荒野が続いている。
背の低い雑草が点々と生えてはいるが、その色も端が黒ずみ、枯れかけているのが目に見えてわかる。
さらに遠くに目を向ける。
ところどころ大地が
少女は続ける。
「黒き神が復活してからというもの、一層
「……黒き神、とは何かね」
話の流れから察するに、どうやらそれがこの状況を引き起こし、また慎太郎達を襲った「敵」であろう。少女は身体を馬車の進行方向へ向け、指をさす。
「なんだ、あれは」
慎太郎が見たもの。
それは、空中にぽっかりと空いた、黒く縦に長い穴だ。
美しく澄み渡る空の青を
慎太郎は不意に鳥肌が立つのを感じた。
不吉な気配は遠くにあっても感じ取れるほどで、見る者の心を沈ませていく。
少女は先程慎太郎に向けていたものとは違う、
「あれが、私達が黒き神と呼んでいる存在です。古くからの伝承によると黒き神は、都の神殿地下の中心にある
「何と。恐ろしい話だ」
思わず頭に手を当て、馬車が巻き起こす風にたなびく同志達を
根から絶やす。実に邪悪な
「ですが、大神官様のお力があれば、黒き神を打ち倒すことが出来ます。あの素晴らしい
あの一部始終を思い出しているのだろうか、夢見る少女のような瞳で少し興奮気味に語る少女の表情は
「うむ、まさにそこだ。大神官とはつまりは私のことだな。それは理解した。が、あの謎の力は何なんだ、どうしてあんなことが出来るんだ」
にわかには信じがたい光景だった。
「この古代符術は元々、創造神と
「なるほど……」
「なんでも、符に書かれた古代文字の記号群は未来の事象を
「ふうむ、そういうものか」
「宝物庫に保管されていた符をご用意させて頂きましたので、お預かり下さい」
少女は横に置いていた皮の
五十枚はあるだろう。
正直なところ、何らかの現象を引き起こせるようなものは半分あるかどうかで、残りはそれこそサラリーマン川柳やシルバー川柳で出てきそうな、家庭や自分の立場、社会などへの怒りや哀しみ、ちょっとした笑いの瞬間を切り取ったフレーズのものばかりであった。
「あと、符によっては数度しか使えないものもございます。右下の
慎太郎は先程詠んだ符を確認する。
どうやら光弾は何度でも使うことが出来るようだ。はっきりと横棒が刻まれていた。
「つまり、使える符を増やしていけば、不思議な力を使い放題というわけだな!」
「ええ。神殿の宝物庫もまだほんの一部しか確認しておりませんし、それ以外にも古代の遺跡や民家などでも大事に保管されていることがございますから、使用出来る符術はきっと増えていくと思われます。ただ……」
「ただ?」
「その、ヤナギノクには一つ問題がございまして」
「む、何かね」
「その、代償を必要とするのです」
代償という言葉に慎太郎は固まる。
馬車は荒野を抜け、深い
「具体的にはどのようなものなのかね」
「それが、この世界に
使用前と後で何かお変わりになられたことはないですかと尋ねられるが、先程は切迫した状況であったため、慎太郎にも思い当たる節がない。
うーん、と思い出そうとしていると不意に、
「大巫女様、大神官様、お耳に入れたいことがございます」
と、急に馬を走らせている女性の
慎太郎が少女から進行方向に顔を向けると、
「なっ、これは!」
石橋の奥に当たる端の一部が数メートルに渡って
御者が
慎太郎は
「まごかかえ まだまだげんき はねのばす!」
すると、慎太郎の頭頂部がちりちりと熱を帯び、先程と同じ不思議な高揚感が生まれる。それと同時に、
御者も少女も、その奇跡的な状況に言葉も出ない。
慎太郎はほっと一息つく。
天馬と化した馬車馬は、勢いそのままに空へと
「さすがですわ、大神官様」
「いやあ……何とかなったが。
おそらく元の句とは別の場面をイメージして詠んだであろうが、思った通りの展開になってくれたようだ。
一方、しばらくすると、頭部がまたもや急速に冷え込む。
そのうすら寒さは首を伝い全身にまで到達し、慎太郎はぶるりと震える。
そして、この時になって何かを直感した。
「その、君、ええと大巫女君。鏡はないかね」
「あ、はい。こちらに」
大巫女の鞄から取り出された手鏡を受け取ると、慎太郎は顔の上半分を映し出す。そこにあるのは、少し
慎太郎は震える声で
「減っている」
そう、正直なところ
日々のケアや動向に最近特に敏感になっている部分だ。
そして、今起こっている状況は、慎太郎にとって極めて厳しいものであった。
前頭部から側頭部にかけて辛うじて残っていた毛髪が、見るも無残に削り取られていた。
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