第二髪 森の中 回る轍で 目を覚ます  

 ガタガタガタッという大きな音が床から鳴り響き、慎太郎はあわてて目を開ける。

 地震でも起こったかと思い上半身を起こそうとするが、長い眠りから起きた直後のように身体がうまく反応してくれない。

 かろうじて動く眼球でとらえた光景に、慎太郎は愕然がくぜんとした。

 視界に映るのは、どう見てもリビングの光景ではない。

 空は鬱蒼うっそうとした深緑に覆われ日陰ひかげになっているが、所々差し込む木漏こもれ日の部分はやけにちかちかと明るく輝いている。

 床からの振動は相変わらず続いている。どうやら、乗り物の上にいるようだ。

 意識がやけに遠い。夢を見ているような感覚だ。

 軽トラの荷台にでも乗せられたのかと思ったが、回りの囲いは金属製ではなく、明らかに木で作られたものだ。

 何より──。

 馬のいななきが、聞こえる。


「お目覚めになりましたか、大神官様」


 景色が流れていく中、やけにおっとりとした声が横からふわりと降りてくる。

 そちらを見ると、そこには桜色を薄めたような髪色の少女が一人、笑顔で座っていた。


「君は……」


 慎太郎は声をかけようとする。が、その瞬間、荷台が大きく揺れる。何かに追突されたかのようなあばれ具合だ。

 ようやく動くようになった身体を何とか起こし、後方を見る。

 そこには、信じられない光景が展開されていた。

 ソレは、ソレらは、世界をそこだけ塗り潰したように漆黒しっこくをしており、しかも獣のような形となり、高速で追いすがっている。

 先程の衝撃はその一匹がぶつかったものだろう。荷台後方のさくは大きくへしゃげている。

 ソレらは明確な敵意をもって、この馬車を狙っていた。

 慎太郎はどうしたらいいか分からず視線を泳がせると、ちょうど少女の翡翠ひすい色のそれと目が合う。

 にっこりと微笑ほほえむ少女はたおやかに立ち上がると、慎太郎に近づく。

 そして顔に右手をえると、ようこそ、偉大なる異界の大神官様、と耳元でささやく。

 花蜜はなみつのような匂いが少女の首元から立ち上り、この混乱した状況にもかかわらず、慎太郎は不思議と落ち着きを取り戻し、急激に頭がクリアになっていくのが分かる。

 とにもかくにも、絶体絶命であることは間違いないだろう。

 慎太郎は少女へたずねる。


「君、この場を切り抜ける方法はあるのか」

勿論もちろんございます。そのためには、大神官様のお力が必要なのです」


 そうこうするうちに、森を抜ける。と、一気に視界が明るくなる。

 起伏きふくのある一本道に青々としげる草原がはるか遠くまで続き、辺りは森とは少しおもむきの違うさわやかな草の香りで満たされている。

 ちょうどそのタイミングでに黒き獣がまた一匹、荷台の左端に衝突する。

 間一髪かんいっぱつのところで車輪の破損はまぬがれたが、その寸前までが食い千切ちぎられるように大きくけずり取られた。


「私は何をすればいい?」

「こちらのをお持ちになって下さいませ。そう、そして書かれている古代文字を詠唱えいしょうして頂けますでしょうか」

「……君では無理なのか?」

「私達にはこの文字がうまくめないのです。それに……」


  言いにくそうに口ごもる少女を尻目に、細長いの紙切れを受け取る。

 少し厚みのあるそれには、こう書かれていた。


 やみはらう

   ひかりかがやく

     とうちょうぶ


 何と言うかこれは。どこをどう見ても。


「俳句、いや、川柳せんりゅうじゃないか!」


 慎太郎のツッコミに、少女はぱあっと表情を明るくする。


「さすが大神官様、お分かりになるのですね! 今は違う名がありますが、確かにふるき文書ではセンリュウと呼ばれていたものでございます」


 少女の言葉に違和感を覚え、慎太郎は符に再び目を落とす。

 どこをどう見てもひらがなである。

 少女ほどの年齢であれば、海外育ちでもなければさほど読むのは難しくないだろう。少なくとも日本語を話すことが出来るのであれば、何とかなりそうなものではある。


 ─―私達にはこの文字がうまく詠めないのです。


 その言葉の意味を認識し、ようやくここが尋常でない場所であることを脳が理解し始める。

 すなわち、海外か、あるいは。

 側頭部にかいた汗がつるり、としたたり落ちる。

 ……ともかく、だ。


「君! 話は後で聞かせてもらうからな!」


 慎太郎はそう叫ぶと、異形達と相対そうたいする。

 眼前の漆黒は、荷台がえぐれた奥にある車輪へ当たる寸前まで肉薄していた。

 慎太郎は必死の形相で符を前に突き出し、その句を詠みあげる。


「やみはらう! ひかりかがやく! とうちょうぶ!」


 刹那、符が淡く発光し、同時に慎太郎の頭部もまるで太陽のような輝きを放つ。


「おおおお!」


 慎太郎は頭に急激な熱と高揚感を感じ、符を持った手をさらに強く突き出す。

 すると、そこから光弾がいくつも飛び出し、迫り来る黒を片っ端から薙ぎ払う。

 直線的な動きの猟犬達は、もろにその一撃を食らい、穿うがたれると形を失い崩れ去る。

 それは、ものの数秒の出来事であった。

 その全てを微笑みながら見守っていた女性は、事が終わると慎太郎に抱きつく。


「大神官様! さすがですわ!」

「いやあ……。はっはっは、私もたまにはやるんだよ」


 熱を帯びていた頭部は急激に温もりが薄れ、寒々しさすら感じる。

 が、心の高揚こうよう感は何とも甘美であり、アラフィフの慎太郎はまるで少年のような心持ちを得ていた。

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