とんびですな。
歩くんが油揚げ。ぼくはとんびから油揚げをかっさらった。
やりかえしましたね、人類を代表して。
ちなみにシュークリームなら、生クリームとカスタード両方はいったやつが
好みです。
殺人事件は家庭内で起こることが多い。
親子で、夫婦で、兄弟で殺し合っています。
お父さんが自分で死んでくれてよろこぶのは仕方ありません。
自分で殺さずに済んだのですからね。
死んだ人間を殺せない。めでたい。
作者からの返信
そうか。歩くんは油揚だったのか。笑
あ、わたしも両方はいってるのが好きです。おいしいですよね(*´ω`*)
事件の大半は、怨恨と色恋と金だっていいますよね。死んだ人間は殺せない。まさに! 名言ですな。
ふむふむ。たしかにどら焼きなら粒あんですね。というか、こしあんのどら焼きは粒あんの赤福と同じぐらい違和感ありまくりです。
本文に戻って、ちえさんらしい爽やかでしんみりしたお話しでしたね。
あの賛美歌歌ってた女の子のお話、救いがなかったですもんね。ちょっと前向きになれますね。
作者からの返信
つぶあんの赤福……! たしかにそれは違和感しかないですね。なんて適切な例!笑
切ないエンドとかだと『こいつら幸せにしてやりたい病』が発症してシリーズ化することが多いんですが、讃美歌少女は『解決しない』という結末でおさまりがついてしまったので、続編とかまったく考えてなかったんですよね。
でも、歩くんにとってはあんまりなエンドだったので、ちょっとでも未来を向けたらよいなあと。甘味をかこむ相手はおっさんですが。笑
☆もありがとうございます‹‹\(*´꒳`* )/››
常々思うのですが、野々ちえ様の小説は常にテーマなりお題に沿った人間関係に軸をおいているような気がする。他の描写はそれらをつなげる縫い糸のようです。
青年の叶えられなかった「願い」。
凄惨な過去から理想の家族関係をついぞ得られなかった中年男性の「願い」。
二つの叶わなかった願いが、二人の新しいゆるい関係の中で浄化されるかもしれない。そんな余韻を感じます。
一方で、今後、甘みを囲む二人の間でかわされるさえずりに(ある意味、護心上、必要な)虚偽は紛れ込んでいるのだろうな……などと考えてしまいました。
(前段の鳥の生態の描写はここにつながる伏線だった?)
いやはや、いつもながら巧手ですね。
作者からの返信
あぁ、そうかもしれません。わたしが書きたいのはつねに『人間』と『心』なので、必然的に人と人の関係性を書くことが多いですね。
等身大の人間にひとふりの理想をまぜこんだキャラを書くのが好きです(聞いてない)
そして、感じてくださった余韻がうれしいです。ふたりの今後……どうなるんでしょうね。わたしにもわかりませんが、たのしい想像がふくらみます。
鳥の生態も伏線にしておいたほうがおもしろそうなので、そうしておきます(え)
お褒めいただきまして光栄です。☆もありがとうございます‹‹\(*´ω`* )/››
愁いを知らない鳥の歌の続編ですね。
父親にされたことを思うと、安堵する気持ちも間違っていないと思いますけど、覚えてしまった罪悪感には、他人がとやかく言えませんね。
この痛みは、自分だけのもの。気持ちがわかるとか、もっと辛い思いをしただの言われても、心の痛みが消えるわけではないですよ。
無理に痛みを分かち合うのではなく、一緒にスイーツを食べる。それだけでいいのです。痛みを知ることはできないかもしれないけど、ここから生まれた絆が、傷を癒してくれることだってあるのですから。
この出会いを、どうか大事にしてください(*´▽`)
作者からの返信
ですー。まさかの鳥のうたタイトル第2弾がきたので、お話もつなげてみようかなと。前作がまったく救いのないラストになってしまったので、今回書けてよかったです(*´ω`*)
たまに、世界にはもっと大変な(飢餓とか戦争とか)思いをしてる子どもだっているんだーとか、説教の定番(?)みたいにいう人がいますが、そういうのを聞くたび、そんなん知らんがなと思います。←
人とくらべて楽になるならいくらでもくらべますが、そうじゃないですからね。
地元っ子の歩くんは、自己申告以上に甘いもの屋さんにくわしいので、主人公はきっとホクホクだと思います(o´∀`o)
例え似たような境遇であっても、同じ物なんて決してない。考えてみれば当たり前のことなのに、それに気づかず分かったような気になる人は意外と多いのかもしれませんね。
本当の意味で人の痛みを分かるなんて、もしかすると絶対にできないかもしれない。だけど思いをぶつける事で、そばに寄り添う事で、きっとその痛みを和らげることならできる。そうできる相手と巡り合えると言うのは、とても幸運な事だと思います。
愁いを知らぬ鳥のうたの続編。こんな形で見れて良かったです(*´▽`*)
作者からの返信
そうですね。想像はできても、実感としては『わかっていない』し、別々の人間なのだからあたりまえなのだということを、おたがい理解した上で寄り添うのが理想なんじゃないかなと思います。
そんな相手と出会えるのは、奇跡といってもいいような幸運かもしれませんね(*´ω`*)
わたしも続編を書くことになるとは思ってませんでしたが、前作があんなおわりかただったので、今回書けてよかったです。ありがとうございます‹‹\(*´꒳`*)/››
自主企画から参りました。コメントを失礼します。
解決方法も、こたえもない。第三者には分かり得ない種類の気持ちがあります。折りあいをつけていこうともがく苦しみに、自分ではない他人が真正面から向き合ってみても傷付けるだけのことがありますが、「甘味仲間」という形の友人に出逢い、ふっと救い出されたような気持ちになれます。重いですが、救いを感じる短編でした。読ませて頂き、ありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます(#^^#)
人に寄り添うというのは、ほんとうにむずかしいですよね。
鳥のうたタイトル第2弾ということで、内容的には第1弾(読まなくて大丈夫です)の続編に位置しているんですが、前作がまったく救いがない状態でおわっていたので、今回書けてよかったです。
こちらこそ丁寧にお読みくださいまして、お☆さまもありがとうございます‹‹\(*´ω`* )/››
最近読ませていただいた野々さんの作品は恋愛ものが多かったので、新鮮でした!
心理描写が深くて、良いですね。
>ぼくはどんな別れも同列に考えることができない。
ですよねー。
全く同じ体験なんて、なかなか出来ませんもんね。
似たような気持ちになったことがあるので、共感できました。
>自分の気持ちを外にだすことをおぼえた
これ重要ですよね。
主人公は創作活動を通して自分の気持ちと向き合えたんですねー。
>彼が話したいときに、話したいことを、安心して話せる
断酒会とかは、こういう気持ちから始まってるのかもですねー。
『同列に考えることができない』で終わらせない明るい未来を予感させる展開に好感が持てました!
面白かったです☆
作者からの返信
ありがとうございます〜。シリアス系も、ときどき忘れたころに書きたくなります。笑
最近、小説のコメントで似たようなものを見ることが多かったんですよね。そのひとつが、家族に自死されたキャラのとある行動が理解できないという主旨だったんですが、その理由が『自分も家族を病気で亡くしたから』とあって『???』となりまして。実のところ、わたし自身も自死遺族なもので、そのキャラの行動はむしろよくわかるものだったんです。
自分の経験を基準に考えてしまうのはしかたないことですが、それを絶対的なものとしてしまうのは怖いなーと、あらためて思いました。
わからないということをわかっているというか、ほんとうには理解できないということを知った上で寄り添いあえる関係が理想的なのではないかなぁと、こんなラストになりました(*´ω`*)
レビューもありがとうございます‹‹\(*´꒳`* )/››