世界の支配に必要なのは恐怖と力と純粋な心と空虚な未来

 この世の中に、人を意のままに操る催眠術などというオカルティズムなものが存在するかどうかは議論によるところだろうが、人間心理とは不思議なもので、洗脳という行為そのものは存在する。

 そして、その術中にはまり、自由意志を極限にまで他人や思想にゆだねて、ただそれに妄信するという現象は古今東西の歴史の中で証明をしていた。

 それは宗教という形もあれば、家庭というコミュニティにも発生する。時には幼子同士の関係にも……。

 人の精神とはとかく容易く支配することができるという事実を、とうの人類があまり自覚していないという事実が確かに存在する。


 だからこそ、引き金を引いたその士官は震える手と、頭と、視界をなんとか止めようとして、周りを見渡す。誰も、何も言わない。ただ唖然としていた。

 支配。それは軍の中においては絶対的なものとして存在する。上官の命令。司令部の指示。周囲の圧力、使命感、野心……それら全てをないまぜにした何かが突き動かす。

 人差し指にほんの少し力を入れたのはそんな、些細なものだ。


「よくやった」


 震える士官の肩に男の手が置かれる。

 若き士官はその手に視線を向け、それを伝い、老人の顔を見上げた。

 自らの指導者。英雄。尊敬すべき人。ニューバランス総帥、ファウデンを見上げた。

 老人は無表情のまま、遥か彼方で、残骸となったモノを見つめていた。

 その視線に、その場にいた者たちも続いた。言葉はなかった。静寂……否、虚無がそこに漂う。

 聞こえてくるのは駆動音だけ。


「ノアプロジェクトの、その始まりに一歩がこれで始まったのだ。君はその偉大なる始まりを、引き金と共に幕を開けたのだ」


 ファウデンは笑いもしない。ただ、ありのままを淡々と述べるだけだった。

 彼は式典用に用意された礼服のマントを翻し、バベルキャノンの射撃兼管制塔の、その指揮官用の座席に腰かけた。


「マイクを」


 その後、まるでいつもの事務処理を促すような口ぶりで、唖然とする者たちに指示を与えた。


「聞こえなかったか。ファウデン総帥にマイクを渡せ。全艦に放送である!」


 ファウデンの傍らに着くアンフェールの怒号が走ると、ピリリとした空気が蔓延し、士官たちの動きは活発になる。

 慌ただしくなる中、ファウデンはマイクを手にした。

 無機質で、無感情、しかしどこか鷹揚とした口調で、ファウデンは語る。


「この光景を見て、諸君らが胸に抱く感情は理解しているつもりである。そう、バベルキャノンはアル・ミナーの集光レンズコロニーを撃ち抜いた。これにより、この宙域は元の極寒の惑星へと還ることになるだろう。そこに住まう人々の数百、数千の命は消える。そうこれは大量殺戮である」


 殺戮。その言葉を受け、多くの者たちが動きを止めることだろう。

 だが誰もそれを指摘する者はいない。そのような理解を越えたことが、今そこで起きているからだ。


「無論、この殺戮の責は全て私にある。引き金を引いた者、バベルの調整、開発に携わった者に責任はない。そう及ばぬように約束しよう。しかし、事実として諸君らは大量殺戮の片棒を担いだ。それは悪しきことである。しかし!」


 ここで、初めてファウデンの声は跳ね上がった。


「膨れ上がった富の象徴、地球資源のほとんどをつぎ込み、今なお消費し続けるその最もな存在は今、この瞬間に消えたのである。これの意味するところは何か。解放である。惑星開拓などという幻想を、それはただ巨大な鉄の塊で補っていたに過ぎない幻であると人類は気が付くことになるだろう! ではどうする! また作り直すか! 地球の資源を、まともに開拓も出来ぬ植民惑星か、資源をかき集め、ただ光を求めてまたあれを作るか! そしてその成功に目がくらみ、次へ、次へ、新たに資源を食いつぶし、また捨てるか! 否! そうして突き進んできた発展という名の免罪符の後ろに広がる光景を見るがいい! 母なる星の環境すら破壊しつくし、あまつさえそこに住まう者たちを苦しめるだけの存在! 宇宙開発、甘美なる響きだが、その甘い汁を吸えるのは一部の者だけである。過酷な惑星開拓が、さらなる過酷な生活を他者に押し付け、それはフロンティアであると言い訳をして、さらに金を、資源を貪る!」


 その言葉は、理不尽の一言であったが、それを止めれる者はいない。

 なぜか。彼らは、少なくともそこにいる者たちは、壮大な暴言を吐くこの老人の命令に従い、宙域を死を振りまいた。

 その事実が、言い訳をさせてはくれない。

 それは支配の一つの形である。お互いに、手放すことができない事実を共有してしまったというある種の連帯感が楔となり、彼らを縫い付けた。


「この殺戮は、私の信念の表れであるが、私は何も人類の滅亡を望んでいるわけではない。だがこのまま、惑星開拓を続ければ遠からず地球の資源は底をつく。愚か者どもはいう。だからこその惑星開拓であると。馬鹿をいうな。母なる星をまともに管理できん人間が、他の惑星をどうこうしようなどと烏滸がましい。結局、あの集光レンズの維持の為に建設費用以上、収益以上の資金と資材がつぎ込まれた事実を、知るべきである。各所の開拓惑星の資源もまた結局はアル・ミナーにつぎ込まれた。それが意味することは単純である。己の欲しか考えぬ愚者が、そのことをに目を背け、一時の快楽の為に続けているからである。つまり、人類はそのような享楽を得るにはまだ幼いと言いたい」


 その時、かちゃりと音がなった。


「貴様!」


 アンフェールが再び怒号をあげる。

 彼の睨む先。そこには引き金を引いた士官が、顔を青くして、拳銃を構えていた。その銃口はファウデンへと向けられていた。


「ひ、ひ……!」

「ほう私に銃を向けるか。それは正しい感情である」


 ファウデンは立ち上がり、アンフェールを制すると、銃を突きつける士官を見つめた。


「どうした。引き金を引くがいい。ここにいるのは大量殺戮者である。今ここで、私を殺せば貴様は英雄だろう。間違いなく貴様はここで死ぬが、名を残すことになるだろう。だが、その名を永遠に刻めると思うか」


 場は鎮まっている。

 彼はまだ銃を向けていた。


「人類が長く、永遠に生き続ける為に必要な精神性と進化はまだ至っていない。私がここで死んで、愚か者どもが私の代わりに軍を率いて、政治をつかさどり、何をするか、考えたことがあるかね」

「す、少なくとも、こんな大量殺戮はしない……!」

「ふ、はははは!」


 初めて、ファウデンが笑った。

 まるで滑稽なものを見るように。銃口を前にして、それでもファウデンは笑う。


「今この瞬間に、地球で死ぬ者の数を数えたことがあるかね。まともな装備もないまま開拓惑星に送り出され、過労死、餓死、病死する者たちの数は。私は、それをなくすためにここにいる。それらを進めているのは今の政府であり、フロンティアスピリッツなどという幻想を抱き現実の見えていない博徒どもだ。では、私を殺すがいい。そしてそのような愚か者たちの愚かな夢に付き合うがいい。どうした、撃たぬのか」


 こつこつとファウデンはゆっくりと、銃口を向ける士官の下へと進む。

 そして銃口が心臓にくっつくように近づき、それでもなお言葉を続けた。


「今ここで私を殺せば一時の平和が訪れよう。しかし、私の後釜を狙い欲望に染まった者が争いを始める。それが何を巻き込むか理解できぬ愚か者はここにはいないと願いたいが?」


 そういってファウデンはぐるりと周囲を見渡す。

 誰も何も言わない。


「諸君ら行った殺戮に、私は意味を持たせるつもりだ。だがそれは責任を負うという事になる。私の悪行を、ともに歩むということだ。これに賛同できぬものは、去るが良い。この宙域がいなくなるまでは見逃そう。だが、再び相まみえた時は敵である。完膚なきまで潰す。それは当然の帰結であると思い知るがいい。しかし、私と共にこの血塗られた道を進み、人類の恒久的な平和、そして真なる覚醒を目指し、本来の意味で地球を飛び立つ人類を作り上げるという理想を理解するのであれば、私と共に歩め。この外道な行いが、人類の浄化を促し、全てを整える。人類は痛みを覚えねばならないほどに増長してしまった。その痛みを与え、その痛みとしてあらねばならない者が望まれるのだ。諸君らは、ただの殺戮者ではない。汚名を残すことになるかもしれない。だが、全人類を永遠のものとして残したという事実は刻まれる。ノアプロジェクトとはそういうものだ。母なる星に再び人類は戻り、箱舟の中で大洪水を耐えなければならない。我々は神の意思で引き起こされる洪水である。悪しきを洗い流し、その罪をも消し去り、残る穏やかで清らかな人間に全てを託すのである。諸君らは選ばれたと思っていただきたい!」


 その言葉は、確かなる使命感以上に選民思想を植え付けるものだった。まともな思考を持つ者はこれに同調することはない……だが今の状況はまともとは言えない。

 人類史上最悪の殺戮を引き起こしたという事実を前に、彼らの多くは事実から逃げる為、己の行為を正当化する為、中には純粋にファウデンの心に打たれた者もいるだろうが、なんにせよ従う他なかった。

 なぜならば、彼らに待ち受けるのは殺戮者という重しであり、事実なのだから。

 いつしか、銃口を向けていた若き士官はその場にへたれこみ、銃を手放す。

 ファウデンはそれを見下ろしながら、踵を返した。


「時期、反逆者どもも来るだろう。アンフェール、指揮を」

「はっ。総帥閣下は……」

「私には私でやらねばならぬことがある。ゴエティアの下にな」

「ゴエティア?」

「神だ。失敗作だがね」


 そう言い残すと、ファウデンは管制室を後にする。

 長い長い廊下を一人歩くその老人は……


「彼奴等もまた唾棄するべきゴミだな」


 そのような言葉を吐き出した。


(私を討つという選択がとれない、他人を頼るしか能のない出来損ないの人類。己の選択を信じれぬ心弱き民はいらぬということだ)


 ノアプロジェクトの神髄は、仮に自分が倒れても問題なく機能する。

 もちろん、不安要素もある。だが、人生とはそういうものだ。運命とはそういうものだ。それは、例え神であっても覆すことはできない。

 無理をしなければならない時期にまで、人類は追い詰められているのだ。


(トリスメギストス……ゴエティア……どちらの神が勝つか、それは問題ではない。生き残った方が優れた存在。新たなる神。人類を導く真なる存在だ。それが増えれば、人類は良きものだけが生き残る。そして神を打ち倒す強き人が現れれば……それは、人類の本当の進化であるはずだ。片方が、存在すれば、本能として奴らは己を残す。神として、そして生命体として)


 老人はただ暗闇を突き進む。

 そして……。


(デウスエクスマキナ……機械仕掛けの神による支配を、乗り越えられた時こそ、人類は……それが不可能であれば、我々は生きる価値などないのだ)

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