第8話 近衛兵
爆風に飛ばされ、沙夜は一瞬何が起きたか分からなかった。気がついた時は地面に倒れていた。怪我などはない。まだ変身したままだった。ただ、天莉がアグニアを生み出したという衝撃が大きい。それも自分のせいで。沙夜は力なく起きあがるが、煙に包まれて周囲が見えない。
「天莉?」
呼びかけたが、何も答えはなかった。風で煙が晴れてきた。やや遠くの方に、巨大な何かが現れた。黒い影のようで、人の形をしているようだ。煙がさらに晴れて、姿が分かってきた。巨人だった。直立不動。制服を着て、長い鉄砲を携えている。それは巨大な近衛兵だった。顔は男とも女ともつかないが、無表情で地上を見下ろしていた。
『何だあれは? なんで兵隊なんだ?』
ドロンがあきれたように言う。沙夜が答える。
「天莉が言ってたけど、ルリエは小学校の学芸会で、近衛兵の役をやったって」
『それでか……』
突然、近衛兵が動いて、鉄砲を構えた。地上に向けて、引き金を引いた。破裂音とともに、鉄砲が火を噴き、眩しい火の玉が地上に打ち込まれる。火の玉は地上に当たると衝撃波を伴って爆発し、周囲の建物や樹木をなぎ倒した。それらは炎を上げ、一面が火炎に包まれる。人ももちろん無数に倒れていた。近衛兵は火の玉を何発も地上に打ち込んだ。地上はたちまち爆風と炎に包まれた。
沙夜は恐ろしく、震えながら頭を抱えてうずくまってしまった。
『沙夜!』
ドロンの声がする。
『沙夜、大丈夫か? 返事はできるか?』
「できる……でも……私、一人では……」
『とりあえず、俺のところに来れるか? いつものサーカスの場所だ』
沙夜は返事もせずに、羽ばたいて飛び立った。海沿いの、サーカステントのある場所に向かう。ふと後ろを向くと、近衛兵が沙夜に向けて鉄砲を構えていた。恐怖に怯えて、慌てて羽ばたくのと破裂音が同時で、背丈ほどもある炎の塊が、すぐ傍らを通り過ぎた。熱風を感じて気が遠くなる。沙夜は地上に落ちかかるが、どうにか地面にぶつからずに飛行を続けた。力がもうなくなりそうだ。爆風も爆音も止まず、地上のほとんどが炎に包まれた廃墟のようになっていた。
サーカステントがあったはずの所には瓦礫しかなく、広場にピエロの姿をしたドロンだけが立っていた。沙夜はその前に降り立ち、がっくりと膝をついた。
「沙夜!」
ドロンが駆け寄ってきた。
「もう……無理だよ……」
「分かった。よくここまで来れた」
巨大な近衛兵は、機械のような動きで、辺りを見回していた。まだ破壊していないところはないものかと、探しているかのようだった。ドロンはうめく。
「二人いなければ……窓は出せない」
ドロンも辺りを見回すが、誰もいなかった。まるで広大な廃墟の中に二人きりだ。
「ドロンは……魔法使えないの?」
沙夜がそう訊くが、ドロンは首を横に振る。
「残念ながら、俺は魔法使いじゃない。空も飛べない」
絶望感が二人を包む。このまま、この破壊された幻から抜けられないと、本当に破壊されたことと同じことになる。
妙に風が強くなってきた。二人の周囲で、おさまっていたはずの砂埃が舞い上がる。
「くそ……また何も見えなくなりそうだ」
しかし、遠くの方で砂埃が待っている様子はない、自分達の近くだけだ。
「ん? まさか……」
ドロンは上を見上げた。あの時と同じように、無音のヘリコプターが滞空していた。ドロンは唖然とする。
近衛兵が鉄砲を構え、ヘリコプターを狙って引き金を引いた。打ち出された火の玉がヘリコプターに命中したが、それは何も破壊することなく通り抜けていった。
「どうしてだ? 幻だと知っているのか?」
ドロンが驚く間もなく、底部が開くと、ワイヤーが降りてきて、スーツ姿の女性が滑り降りてきた。ヴァナデ・カネールだった。彼女は微笑をたたえながら、ドロンの前に降り立って、手袋や降下器具を投げ捨てた。沙夜も降りてきたヴァナデを見て驚いている。やや人工的な印象だが、現実離れした美しい顔立ちは、瓦礫にもピエロの相手にもそぐわなかった。
「お困りのようね、ヴァシリオス」
「何だ、からかいに来たのか?」
「あの暴れる兵隊さんを何とかしたいんでしょ」
「魔法少女が一人しかない。つまり、もう一人があれになっちまったんだ」
二人の会話は日本語ではなく、沙夜には意味が分からない、ただ二人を見ている。
「その魔法少女になるのって、年齢制限があるの?」
ヴァナデは意味ありげに目配せする。
「何だって? まさか……」
「私も子供の頃、日本のアニメはずいぶん見ていたわ。こう見えて、魔法少女に憧れていた時もある」
「意外だな。ゼクステで、子供にあんな番組を見せるとはね」
「あんな番組とは何よ。あなたも見てるんじゃない。変身用のペンダント、もう一つぐらいあるんでしょ。お出しなさい」
ドロンは顔をしかめてポケットからペンダントを出した。ヴァナデは微笑する。
「うまくいったら、ゼクステに戻ってくること」
ペンダントを渡そうとしていた手が止まる。
「いや……それはできない」
「じゃあ、この世界線はこのまま幻に飲まれて終わりよ。自分で窓でも見に行ったら?」
「……分かったよ。戻る」
そう言って、少し嫌そうに、ペンダントをヴァナデに手渡した。ヴァナデは早速、身につける。
「何て言えばいいの?」
「『テュリスフィリア』だ。大きな声で」
ヴァナデは、少し離れて気取ったように立つと、片手を上げて叫んだ。
「テュリスフィリア!」
ペンダントが一瞬眩しく輝き、その直後、変身したヴァナデがいた。金色のコスチュームだった。髪も金色で、翼も金色だった。ドロンは自分でも意外なほど驚いた。顔立ちからしても、まるで女神がそこにいるかのようだった。沙夜も目を見開いて、変身したヴァナデを見ていた。ただ、ヴァナデはやや不満そうだった。
「このコスチューム、あなたがデザインしたの?」
「そうだが」
「もっとフリルとかアクセサリーとか、つけたらどう?」
「そういうのは、戦闘のじゃまだろ」
「つまらない男ね……まあいいわ」
そしてヴァナデは、沙夜に近づいて、日本語で話しかけた。
「さあ、行こうか」
座り込んでいた沙夜は、ヴァナデを見上げる。
「あなたは……」
「ヴァナデ・カネール。ドロンの……まあお友達といったところね。魔法少女という年齢じゃないけど。一緒に、お友達を助けよう」
「助かるん……ですか?」
「あなた次第」
「え?」
「窓を出すと、あの幻の兵隊さんは窓の向こうに吸い込まれて消えていく。でもお友達の心も、一緒に吸い込まれるかも」
「吸い込まれたら?」
「体は生きていても、抜け殻のようになってしまう。だから、あなたが呼び止めるの。この世界に留まるように。窓の向こうは、お友達が望むパラレルワールドよ。そこに行ってしまわないように、力の限り、声をかけて」
沙夜はうなずいた。
「やります」
ヴァナデは沙夜の手を取り、立ち上がらせた。
「じゃあ、行きましょう」
「はい」
二人は同時に羽ばたいて、空を昇っていく。ドロンは二人を見送っていた。
近衛兵が二人に気づいた。鉄砲を構える。
「来る! 身構えて」
ヴァナデが叫んだ。鉄砲が火を噴き。火の玉が二人を直撃したが、そのまま後ろへ抜けていった。
「オッケー。窓を出そうか」
二人は距離を取って叫んだ。
「テュリスアニックス!」
光の窓が出現し、開いていく。しかし、近衛兵の鉄砲がまた火を噴き、窓に命中すると、窓を形作っていた光のフレームが破壊された。窓は消滅した。慌てて沙夜はヴァナデに近づく。
「ヴァナデさん、窓が……」
「この窓も幻の一種か……困ったものね」
ヴァナデがつぶやくように言う。そしておもむろに叫んだ。
「トクソヴェロス!」
ヴァナデの手に弓矢が出現した。聞いたことがない言葉なので沙夜も驚く。ドロンの声がした。
『おい、それをなぜ知ってる?』
ヴァナデは微笑した。
「ギリシャ語でしょ。あなたが作りそうな物は分かる」
ヴァナデは光る矢をつがえた弓を構える。それはまっすぐ近衛兵の鉄砲を向いていた。沙夜は目を見張る。ヴァナデは指を離し、矢が放たれた。矢は正確に鉄砲の口に吸い込まれた。同時に近衛兵が引き金を引いたが、発射されることなく内部で爆発し、鉄砲の銃身から煙が出て、使えなくなってしまった。沙夜は驚く。ヴァナデはどういう能力を持っているのだろう。
「今よ!」
二人は再び距離を取ると、窓を出現させた。今度は近衛兵も何もできず、窓の方を見ているだけだった。やがて近衛兵が壊れ、砂のようになって窓に吸い込まれていく。
ヴァナデは沙夜に向かって言った。
「さあ呼び止めて。お友達を。あなたの言葉で!」
窓の向こうに、ルリエと自分が見えた。とある休日の昼下がりに、ルリエと自分が会っていて。ただ寄り添って座っている。ルリエは幸せそうだった。二人ともいじめられてはいなくて、ルリエは目のはっきりした、明るい子だった。あんなルリエに会いたかったと、天莉がずっと思っていた子だ。
自分もあの世界に行く。あの世界の自分と一体になる。この世界にルリエはもういないのだから。
天莉の心は、ゆっくりと窓に向かっていった。沙夜がルリエを刺してしまったのは、ルリエの方が襲ってきたのだからしかたないことだけれど、やはり許せない。この世界にはもう、自分はいなくてもいい。窓の向こうに、望む世界があって、それはちゃんと実在している。
「天莉!」
ふと、声が聞こえた。沙夜の声だ。
「天莉! 行かないで! 別の世界に行かないで!」
沙夜、もう無理だよ。あそこにルリエがいるんだから。
「天莉! 私のことを憎んでいてもいい。もう口をきかなくても、相手にしなくてもいい。だから、この世界に一緒にいて! お願いだよ!」
どうして? 沙夜、どうして?
中学から知り合った沙夜、気が合う子だった。自分は少しいじめられていたけど、沙夜は見守っていてくれた。中学二年になり、二人でいろいろなところへ行くようになった。
「天莉! ここで別れてしまうのは嫌だ!」
沙夜の悲痛な声。この世界の沙夜を、つらい目にあわせたくない。自分だけが向こうに行って、それでいいのだろうか。
天莉はまた窓の向こうを見る。ルリエと一緒にいる、幸せな自分。確かにそこにいる。あの世界の自分。そう、あの世界の自分は既にいるのだから。
この世界の自分と、つながっているこの世界の人は、沙夜だけではない。他の友達も、家族も、学校の先生も……みんな、あんな悲痛な声を出すのだろうか。たとえ自分が、幸せな自分と、一体となるとしても。だから、そんなに悲しむことじゃないよ。でも……それを伝えることができない。
「天莉!」
アグニアだったものが、窓の向こうに消えていく。
近衛兵が崩壊し、砂のようになって窓の向こうに消えた。そして窓が閉じて、消えてしまった。
誰もいない……沙夜は全身の力が抜け、羽ばたく力もなく落ちていく。
「待って! あそこにいる!」
ヴァナデの声。よく見ると、近衛兵が立っていたところに、天莉が倒れていた。
「天莉!」
沙夜は天莉のところまで飛んでいった。そして、抱き起こすと、天莉の体を揺すった。
「天莉! 天莉! 生きてる?」
天莉はゆっくり目を開けた。
「天莉!」
天莉は一瞬微笑んだ。
「沙夜……」
「天莉! よかった!」
沙夜は天莉を抱きしめた。沙夜は泣いていた。天莉は無表情だった。
「沙夜の声、聞こえたよ……私は、向こうに行かなかった」
「ありがとう……ありがとう天莉……」
「でも……沙夜を許せるか、分からない……ごめんね」
「許してもらわなくてもいい! この世界で、生きていて!」
いつの間にか、ドロンやヴァナデも来ている。壊れていた街が、元に戻り始めた。コスチュームも、元の服に戻っていく。
その時、遠くから誰かが歩いてきた。黒い服を着たルリエだった。天莉が気づいて驚く。
「ルリエ! 生きてたの?」
天莉は起きあがると、ルリエのところに駆けていった。二人は抱き合った。
「よかった! よかったルリエ!」
天莉は泣いていたが、ルリエは微笑していた。
「全部、幻だもの……」
そしてルリエは、ドロンをじっと見ていた。天莉の体を離し、ドロンに向かって歩いていく。その前で立ち止まり、自分の首から黒く光るペンダントを外した。あと、スカートのポケットから小さな石をいくつか出した。
「これ、返します」
ドロンは戸惑っていた。
「いや、な、何の話かな?」
「ピエロのメイクをしてても、声でも分かります。これを私にくれたのは、あなたです」
それを聞いて天莉と沙夜が驚く。
「どういうこと?」
「ドロン、これはどういうこと? アグニアって……」
「いや、その……」
ドロンは汗をかいている。
「私が行き場をなくして、山をさまよっていた時、声をかけてきた。ネメシスの使者になりたくないかと。私は、それを受けた。でも、もういいんです。十分見たんです……人が、死んでいくところを……だから、返します」
ドロンは受け取った。ヴァナデがあきれたように見ている。
「だから警告したのに……」
天莉と沙夜は、やや怒っていた。
「説明して下さい!」
「いや、話せば長くなるんだが……」
「それでもいいです!」
その会話が聞こえているのかどうか、ヴァナデが日本語で言った。
「さあヴァシリオス、行きましょうか」
「いや、この子達に説明が」
「残念ながら時間がないの。言い訳はいつかしてあげなさい」
いきなり風が強くなった。上空に無音のヘリコプターが滞空していた。底部が開いて、梯子が降りてくる。風にあおられながら、天莉と沙夜が訴える。
「行っちゃうんですか? 何の説明もなしに!」
「いや、いつかするよ。必ず」
ヴァナデが三人に話しかけた。
「一つだけ、教えておきます。あの『窓』は、やがて世界中にできるでしょう」
「どうして? 何のために?」
ヴァナデは微笑した。
「人類が、幸福のうちに進化するために」
降りてきた梯子に、ヴァナデとドロンがつかまった。三人の少女は何のことか分からず、言葉を返せない。
「ゼクステに栄光あれ!」
ヴァナデがそう言うと、梯子が引き上げられた。ヘリコプターに収納され、ヘリコプターも去っていく。
三人だけが残された。
「ゼクステ……?」
街がすっかり元に戻り、そこは賑やかなサーカステントの前だった。でもいつも楽器を持ってここにいたドロンはもういない。
「そういえば、これ返していないな……」
天莉が首にかかった赤いペンダントを出しながら言った。沙夜も思わず、自分の青いペンダントに触る。
「私もまだある。使えるのかな?」
「どうだろう……でも、アグニアももういないし……」
何もかも夢のようだった。でも夢ではないのは、今もこのペンダントがある。
幼い女の子が親からの虐待で亡くなったニュースは、全国に報道された。自宅前には献花台が置かれ、連日花束が絶えなかった。
ある日、中学生ぐらいの三人の少女が来て、花を置いていった。そのうちの一人が、献花台の前で、自分のせいで亡くなったと言って泣き崩れた。あとの二人が慰めていた。コウモリになって進入したとか、女の子を幻に変身させたとか、それを消してしまったとか、三人とも勝手な妄想としか思えないことを言い合っていたらしい。
ただ、聞いていた人は、次のような話が、耳に残ったという。
死ぬ寸前、女の子は窓の向こうに、幸福な自分が存在しているのを知った。だから幸福のまま死んでいったのだと。
魔法少女デス 紀ノ川 つかさ @tsukasa_kinokawa
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